【投稿】進む地域の「国際化」–大阪南河内の例から–
「国際化」という言葉がマスコミで言われ始めてからかなり久しい。今や、巷の日常会話でも「国際化」という言葉は違和感なく使われ、抗うことのできない大きな流れとして、国も自治体も企業も学校もそして個人もそれに対応しようと様々な試みを行っている。この間「国際化」については様々な議論がなされ、その意味するところはかなり深く考えられるようになってきたと思うのだが、実際には、私たちの身の回りではこの言葉の意味やそれによって私たちが目指すもの、私たち自身の行動原理として曖昧な部分が多いように思う。私たちの地域では以前アサート誌
上で紹介した反アパルトヘイト運動や在日韓国・朝鮮人問題を考える市民団体が発展し、昨年10月「地域の国際交流を進める南河内の会」が結成された。(この原稿の締切日の10月14日・15日には、富田林市のすばるホールで「国際交流フェスティバル」を行っている)この運動にかかわる中で感じた地域の「国際化」あるいは「国際交流」のあり方について考えてみたい。
<地域の「国際化」の状況>
*増えている在日外国人*
まず、実際の地域の「国際化」の状況について見てみたい。
「地域の」国際化と言った場合、当然その地域によって「国際化」の度合は違ってくる。統計的な面から見れば南河内地域は大阪府下的にはかなり遅れていると言っていいだろう。例えば豊中市では93年で外国人登録人員が4994人(人口比1.2%)に対し、富田林市では、同年で外国人登録人員848人(人口比0.7%)にすぎない。もちろん、この内の多くは在日韓国・朝鮮人で、その地域の歴史的形成過程の影響が大きいと思うが、大学や企業等の存在も大きく左右していると思われる。この人口比は全国平均(約1%)より低い。年別の推移を見てみると、88年までは500人を少し上回る程度で、登録人員も人口比もほとんど変化がないにもかかわらず、89年からは急に人員が増え、わずか5年間で1.5倍になっている。国籍別の内訳は不明だが、このことから富田林市での「国際化」は統計上は、東南アジア・南米・中国帰還者等のいわゆるニュウカマーによって顕在化していると推測できる(もちろん統計ではあらわれない部分もかなりあると思うが)。実際、我が家の校区の小学校は、近くに中小企業団地があるため、中国帰還者・ベトナム難民の子弟が多く、昨年から大阪府より外国人教育のための加配教員がつけられている。
*もうひとつ盛り上がらない「国際化」への対応*
一方、住民の意識の面での「国際化」はどうであろうか。豊中市等では住民アンケートを行い、この問題にかかわっていこうという、住民の積極的な意識を引き出しているようだが、南河内地域でそのようなアンケートを実施したという話は聞かない。住民運動も「進める会」以外は、アジア友の会等はあるものの地域での活動は見えてこない。ただ、公民館主催の「国際交流講座」には主婦を中心にかなりの申し込みがあったようである。他に、農業地帯であるだけに中国との技術交流等もあるようだが関係者だけの交流になっているようである。
それでは、自治体の政策面での「国際化」はどうであろうか。それは、はなはだお寒い。富田林市の場合、総合計画案では「国際化」という言葉が頻繁に出てくるにもかかわらず、市がこの政策課題を一体どのように受け止め、具体的にどのように展開しようとしているのかまったく見えてこない。これまで市の国際化政策と言えば、アメリカのベツレヘム市との姉妹都市交流だけで、市長はさかんに「日本でも最も早く姉妹都市提携をし、国際交流をしている」と自慢するが、全く古い形の「国際交流」の域から一歩も出ていない。アジアや在日外国人に対する「内なる国際化」への視点が全く欠落している。この4月にようやく担当窓口ができたものの、予算もなく、新たに担当となった職員は困惑の表情ありありである。自治省からの指導もあって多くの自治体で国際交流協会や国際交流センターができている中で、富田林市の対応はあまりにお粗末ではないかというのが、「進める会」の中心メンバーの率直な感想である。
しかし、国際交流協会ができても必ずしも素晴らしい国際交流ができるわけではない。富田林市のお隣の河内長野市では市が大々的に援助して「国際交流協会」を設立し、様々な事業を行っているが、上からの運動の限界で市民への広がりや自発性に欠けているように思う。できれば、豊中市のように多くの地道な国際交流活動を行っている民間団体が存在し、それらに活動の場を提供するような形で国際交流協会や国際交流センターができるのが理想ではないだろうか。
*がんばっている現場*
市の方針のなさにもかかわらず、行政の現場レベルでは、住民のニーズに対応してユニークな取り組みも行われている。それが公民館で行われている「日本語読み書き教室」と「ザ・河内インターナショナル」である。前者は元解放会館で識字学級を担当していた職員が、全市民を対象とした公民館でこそ識字をやるべきだという考えで開催したもので、結果としてほとんど在日外国人の生徒で占められている。
後者は、この日本語教室の生徒を主体に、行政区を越えて河内の在日外国人の交流の場として開催されたもので、お互いの文化を交流し、悩みを出し合う場として喜ばれている。また、ボランティアとしてかかわる日本人も、肩肘のはらない本音を言い合える国際交流の場として、大いに刺激を受けている。
今後、地域の国際化が進んでいく中で(今は実態把握さえできていないが)、地域の在日外国人と同じ目の高さで、率直に交流できる場が益々必要になってくるだろう。
<地域の「国際化」を考える基準は何か>
以上の地域の実態を踏まえて、まだ浅い経験ではあるが「進める会」の活動や在日外国人の方々とのお付き合いを通じて、「国際化」というものを地域にこだわって考えてみたい。
*後ろ向きの国際化と前向きの国際化*
一つは、「国際化」というのは「後ろ向きの国際化」と「前向きの国際化」があるのではないか。それをきちんと区別していく必要があるのではないかということである。どんどん海外旅行に行き、英語をペラペラしゃべるのが本当の「国際化」だろうか。たとえ海外旅行に頻繁に行っても日本人だけかたまって行動し、「XXは黒人が多いから恐い」などというガイドの説明をうのみにして、知ったかぶりで日本で吹聴している人間はとても国際人などと言えないだろう。まして、東南アジアで買春ツアーなどというのはもってのほかである。これらは本当の国際化などとはとても言えない。むしろ、百害あって一利なしの「後ろ向きの国際化」といっていいだろう。外国人を呼んで話を聞き、結局「日本に生まれてよかったわー」で終わってしまう「後ろ向きの国際交流」はけっこう多いのである。そうではなく、お互いの違いを認め合い、様々な問題を協力して解決していくような、人間的信頼関係を築いて、自分自身を変え高めていく「前向きの国際化」こそ今求められている。
*地域にこだわり共生社会の実現*
二つ目は、「国際化」を考える時、地域にこだわろうということである。抽象的な「国際化」は私たちにはピンとこない。自分達の地域に在日外国人がどれだけいて、どんな生活をし、どんな悩みを抱えているのか。地域の在日外国人の具体的状況に対応し、人権を尊重する立場で共生社会を実現していく中で、地域の「国際化」は進んでいくのではないだろうか。また、外国への援助にしても、政府間援助と言うのではなく、具体的な地域に対して、その地域の実情に合わせたかたちで援助をしていく。地域と地域を結ぶネットワークこそ国際交流と呼ぶにふさわしいのではないだろうか。
*人権概念の拡張としての国際化ー外国人概念の無意味化*
三つ目は、「国際化」という現象が、私たちに根本的な価値観の転換を迫っていると感じることである。それは人権という概念の拡張であり、逆の側から見れば国家という概念の曖昧化である。ご存じのように人権という概念は、封建社会の王権に対するブルジョアジーの権利として、自由権をその歴史的出発点としている。この概念は社会主義運動の進展の中で社会権を含むものとして発展してきた。だが、それもあくまでも国家を前提として、国権に対して主張されてきたのである。しかし、「国際化」という流れの前では、国家というものの枠の中では人権について語れなくなってきているのではないか。例えば、在日外国人が地域の住民として生活している以上、参政権や社会保障を始めその人権は当然保障されなければならない。しかし、法律は「国民」という枠を設けてそれを阻害しようとする。どう見ても大きな矛盾である。この点については現在様々な運動が展開されており、その結果は徐々に人権を「国民」に限定することの不合理を明らかにしつつある。
人権の視点から「国民」の概念が揺れているように「外国人」というのも実にあやふやである。例えば日系ブラジル人のMさん。彼女は日本で生まれ、幼少の時ブラジルにわたり40才台で日本に帰って来た。その間彼女の国籍はずっと日本である。顔ももちろん日本人。しかし、日本語は苦手で日本の習慣に戸惑っている。彼女は「日本人」それとも「外国人」? 在日韓国人2世のKさん。彼女は日本で生まれ、日本で育ち、日本語をしゃべる。習慣等も全く苦労しない。しかし、彼女の国籍は韓国。彼女は「外国人」? 中国から日本に帰化したUさん。国籍は日本になったが、子供は「おまえのかあちゃん、中国人」といじめられる。彼女は「日本人」? こういう現実を見ると「外国人」という概念も実にいいかげんなものだと気付かされる。
このように「国際化」ということは、国家の枠をとっぱらい、人権の概念を拡張して本当に人間と人間との関係を考えていくことではないか。当然それは「平和」ということに繋がっていくだろう。 そんなことを考えながら、多くの人との結び付きとカルチャーショックを楽しんでこの活動を続けている。
南河内の住民の方、一度「地域の国際交流を進める南河内の会」の活動をのぞいて見て下さい。 (若松一郎)
【出典】 アサート No.215 1995年10月27日