【投稿】「沖縄を帰せ」から「沖縄へ帰せ」へ
先般、沖縄を訪れた。私にとっては2度目の沖縄であったが、前回とは違う沖縄の雰囲気を感じてきたので、思うままに感想を述べて見たい。
<日本で唯一の地上戦を経験した島>
前回は確か3年前の夏。地元の教員グループが沖縄研修を企画。家族で参加した。海軍司令部跡から始まり、ひめゆりの塔や戦没者慰霊碑、また読谷村では日の丸事件の知花さんの話を聞き、伊江島では反戦老人の話を聞くというコースである。
その時の印象は、むしろ旧日本陸軍が如何に沖縄の住民を裏切り、犠牲にしたのかという戦前の歴史に関心が集中した。その時買い求めた本も「沖縄タイムス」の「鉄の暴風」という沖縄戦記であった。確かに象の檻と言われる米軍レーダー基地を遠くから見たり、車で移動しながら嘉手納基地を見たりしたが、米軍の存在とその問題についてはあまり重大視できないでいた。
私の率直な感想は、教師諸君の「沖縄」「沖縄」と姿勢に批判的であった。漠然とした感想であるけれど(論争には耐えられないと思うが)、自分の足元ではなく、「極端な犠牲」に着目し、自分たちの現場にそれを持ち込んでしまうという安易な発想に対して批判的であった。部落差別の次は在日韓国・朝鮮人差別、そして沖縄だ、という意味で。
乱暴な展開だが、自分のテーマとしては少し合わないなと思いつつ。
そしてもう一つ。当時NHKの大河ドラマは確か「琉球の風」だったか、沖縄の近代史を扱い、リゾートブームと観光キャンペーンが印象的だった。首里城も復元されて、悲惨な戦争の地沖縄というイメージは払拭したい、という空気を感じた。
<冷戦構造崩壊の沖縄では>
今回の沖縄行きでは、むしろ米軍基地の問題について、そして少し沖縄の戦後史と民衆の肌に触れることができた今回は沖縄の人々の思いに心から共感することができたと思う。
やはり焦点は、米兵による少女暴行事件である。沖縄では72年の本土復帰以後も合計4700件を越える米兵による事件が起こっているという。3日に2件発生していることになる。交通事故から今回のようなレイプ事件まで、沖縄の人々は日米安保条約や日米地位協定などによって犠牲を強いられてきた。冷戦は終わったというのに、日本の国土の0.6%しかない沖縄に、日本の米軍基地の75%が存在するという現実。その軍用地の7割は国有地だが3割は民間地主の土地である。10月21日の県民決起集会が8万5千人を越える人々が集まったという背景には、戦後沖縄の歴史を背景にして本土の犠牲にはこれ以上ならない、沖縄のことは沖縄(ウチナー)が決めるんだ、という熱い思いがある。あの集会当日沖縄県内のバスは5つの会社があるが、この集会に参加する人は無料で乗せたという。5つのバス会社すべて赤字経営で、琉球バスでは合理化で労働争議もおこっているにも関わらずである。旧来の保守・革新を越えて代理署名拒否、地位協定見直し、米軍基地の撤去が県民の総意となっている。
さらに失業率が7%を越えるという経済的な厳しさも大きな背景にある。タクシーの運転手と話をした。那覇の町に米兵は買い物とかに出てくるのかと。町中で米兵を一度も見かけなかったからだ。運転手いわく「基地の中に何でもある。たばこも酒も那覇市内と比べて半額以下。今の米兵は月給600~800ドルだから、円高もあって町で買い物をするものはいない。ベトナム戦争の頃はドル高もあったし、従軍中の海兵隊は手当てもたくさんあって大変な勢いだったが、今はその影もない」とのことだった。
沖縄の近代史は明治政府による琉球処分、そして沖縄戦、そして復帰後も居座る米軍基地。近代沖縄の歴史は本土(ヤマトンチュ-)のための犠牲の歴史だったという。沖縄の人々が心から気分がスッキリした出来事が戦後3つあるという。一つは、占領時代、アメリカ軍による任命制であった主席が公選となり屋良主席が誕生した日、そして復帰前の70年のゴザ暴動、そして今回の「代理署名拒否」の大田知事の快挙だというのである。日本の戦後は沖縄の犠牲で成り立ってきた、いつまで続けるのか、そう沖縄の人々は叫んでいるのである。
<職務執行命令訴訟は、歴史的な裁判になる>
村山政権は、12月7日大田知事に対して米軍用地の強制使用に対する職務執行命令訴訟を福岡地裁に起こした。大田知事は署名拒否を貫くと、県内の16名による弁護団を編成して徹底抗戦の構えだ。沖縄県民のこころは一つのようだ。こんな場面で何故社会党政権なのかと悔やんでも仕方がない。社会党沖縄県本部は、反基地闘争の歴史を持つ党の首相による訴訟に怒り、村山退陣を求めつつも社会党にとどまると苦しい立場だ。
沖縄タイムスは「千載一遇のチャンス、沖縄の痛みを法廷へ」と述べて、単なる手続きとしての法廷から「沖縄の主張をする」法廷へとむしろ大きなチャンスと報道し、非常に冷静な主張だった。知事が首相の命令を拒否するという一面では地方主権の実例として国と県の関係、また米軍の強制使用は「財産権の侵害」との憲法論議も注目される。
社会党の命運などより、沖縄の人々の心に響く政策が求められているようだ。
<「沖縄へ帰せ」へ>
沖縄から戦後50年を見直す講演集会があり、冒頭に沖縄の島歌を聞くことができた。島歌歌手の大工さんは、懐かしい歌を謡った。「・・・民族の怒りに燃える島 沖縄よ 我らと我らの祖先が血と汗をもて 守り育てた沖縄よ ・・・沖縄を帰せ・・・」という歌。大学1年の頃、まだわけも分からない頃民青系のデモに誘われ、歌ったことがある。(すこし民族主義っぽい歌だな、という印象だった)しかし、今聞いているのは少し違う。最後が「沖縄を帰せ 沖縄へ帰せ」と替歌になっている。アメリカから日本に帰せ、という本土復帰運動の歌だったが、今の沖縄では、沖縄を沖縄へ帰せ、と歌われている。沖縄の人々の気持ちがよく現れている。(95-12-12H)
【出典】 アサート No.217 1995年12月16日