【投稿】 年末特別企画 1995年とASSERT
1995年も残りわずかです。阪神大震災、オウム、戦後50年等など揺れに揺れた1年でした。新聞やテレビでも年末企画で激動の95年を総括しようという記事や番組が増すが、アサートでも社会のいろいろな出来事を追いかけてきたつもりですので、毎月の紙面を通じて95年を振り返ってみるとともに、アサート自身をも振り返ってみようという珍しく企画モノで1年をしめくくってみたいと思います。
<阪神大震災とその後>
1月号は昨年より続いての依辺氏の『地方分権と政治改革』の第2回をトップに、政界再編がらみのM氏、民守氏の投稿、生駒氏の共産党モノ、私江川のいじめ問題と、その時点での情勢にマッチした記事で、その後の激動の前の静けさといった感じの無難な1年のスタートでした(ただし、編集作業中の震災による通信回線不良により校正不十分となる事件も)。山花さんの離党騒ぎで幕をあけた95年でしたが、社民リベラルの結集に全てをかけた彼らの勇気をふりしぼった行動は、あの阪神大震災の前にふっとんでしまいました。
2月号は震災と地方分権を結びつけた生駒氏の『阪神大震災と「大地動乱の時代」』をトップに、職務で被災地に派遣されたT.T氏の『芦屋市での数日』による現地レポートなど、混乱の中でも取り急ぎ震災特集を組めました。民守氏恒例の春闘情勢も震災を踏まえた内容で掲載することができました。
3月号も引き続き震災関連で、現地レポートを折り混ぜながら在日外国人やボランティアの問題に踏み込んだ若松氏の『復興は順調に進んでいるのか』をはじめ、生駒氏の『原発直撃地震の可能性』(この記事で氏が指摘していた「もんじゅ」のナトリウムの危険性は、現実のものとなった!)、佐野氏の『住民合意の被災地復興はできるか』と様々な角度・視点から大震災を評価することができました。
<円高、統一地方選、オウム>
春先の話題はなんといっても円高。生駒氏の『歯止めなき円高・ドル安』(4月号)から『日米貿易戦争の新たな段階』(5月号)と、日米関係の背景とそれぞれの内部要因を鋭く分析していただきました。
統一地方選関係では、駆け込み入稿した私江川の『青島・ノックの当選がもたらすもの』(4月号)が、結果的に唯一の記事となってしまい、何とか体裁を整えることができたところです。
世間的には大いに話題となったオウム関連では、佐野氏の『神なき終末論は、どこへ行く』(4月号)、鈴木氏の『ロシア人の宗教意識とオウム真理教』(同)と論評2本。願わくばもう1本、微罪逮捕がらみで法律家の一筆がほしかったのですが、某大物人権派弁護士に原稿依頼したところ、「真相の解明のためには、あれはあれでいいんですよ」とのお返事だったとか。ふーん・・・。
<そして夏、戦後50年、参院選>
戦後50年の絶好の機会に、あまりにも不様な結果となった国会決議問題では、生駒氏の『「戦後50年国会決議」が明らかにしたもの』で厳しく批判されたところですが、その前後の政治家たちの相次ぐ暴言・妄言を見るにつけ、「まだまだ終わらない戦後」を今後も提起し続けていく必要性を感じます。
政治情勢で今年の目玉はやはり参議院選挙。M氏の『政治の季節の到来』(6月号)、生駒氏の『参院選と社会党バッシング』(7月号)、私江川の『参議院選挙を前にして』(同)と選挙に関連しての提起やとまどいが、選挙前に次々と掲載され、世間的には低調ムードだと言われていた参院選も、アサート的にはそれなりの雰囲気はできたのではないでしょうか。選挙後は久々の誌上討論会『参議院選挙結果は何を意味しているか』(8月号)で総括論評が行なわれました。紙面的には記事の他に結果表あり、グラフあり、衆院選予想あり、4コマ漫画ありとビジュアルにまとまったものになりました。討論では、新進党の「躍進」の分析、低投票率、無党派層、社会党への評価、今後の政治的分岐点たる介護保険制度など、全般的に多岐にわたって意見交換ができたのではないでしょうか。 この時期、もうひとつアサートで特徴的だったのが、7月号で鈴木氏訳のゴルバチョフ『民主主義なき安定』、生駒氏訳のシメリョフ『現代ロシアが直面する経済』の2本のロシアものがおもむろに掲載されたこと。エリツィン入院-ロシア情勢激動を予感していたのでしょうか。
<金融不安、新党論議>
秋以降はアサート得意の(というか生駒氏得意の)経済問題と迷走する社会党の新党問題に集約されます。生駒氏の『「金融秩序維持」と「公的資金の導入」論』(9月号)、『「金融不安」の徘徊と「自己責任」論』(10月号)は、大蔵-日銀-銀行業界の閉鎖性を鋭く指摘し、後の大和銀事件をも予言するかのような切り口でした。新党がらみでは佐野氏の『社会党の新党議論に出口はあるか』(9月号)、『もたつく新党 揺らぐ村山政権』(10月号)、田中氏の『今、何をなすべきか・・・?』(9月号)、M氏の『リベラル新党への道』(11月号)と立て続けに分析・提言が行なわれていますが、現実の事態の進行は、これらの分析・予想どおりに私たちの思いとは裏腹の方向に突き進んでいるようです。連載を終了させたい依辺氏も、今の政治状況では「まとめ」を書く意欲が湧かない、と筆が止まっているそうです。
<アサートの1年>
駆け足でこの1年を振り返ってみましたが、こうして改めて紙面を見直してみると、結構きっちりとその時々の情勢を押さえています。アサート恒例の書評もR氏の哲学関係を中心に随時掲載できています。また、O氏の4コマ漫画も時々の政治局面を見事に風刺したものとして好評を博しています(まず漫画から読むという読者も・・・)。アサートがずっと追いかけている長良川問題も、運用開始から集会現地レポートとフォローしています。フランス核実験の原稿がなかったのが少し寂しかったですが・・・。
しかし、やはり執筆者が固定化している現状は否めません。毎号入稿いただいている生駒氏、佐野氏をはじめ、依辺氏、M氏のようにテーマをもった方々に多大に依拠している現状です。というのも、やはり「もっと投稿を」ということになるのです。私の方から言えば、最近ご無沙汰の教員の方々の寄稿を期待して、1月号でいじめ=学校免責・家庭責任論をぶったのですが、お返事がありません。また、7月号で政治的所属を変えていく先輩方の意見を聞きたいと呼び掛けたのですが、音沙汰なしです。特にこの問題では先日の朝日新聞の近畿面でも「新進党・かげる小沢神通力」として、大阪の北川問題が取り上げられていました。グループ内でも混乱されていることでしょうが、どなたかアサートに匿名で一筆いかがでしょうか。そのように誌上で様々な意見を闘わせることによって、今後の展望・指針を見いだそうというのが私たちアサート発刊趣意で有り、目標なのです。
と、まるで私が編集作業の中心人物のような書き方をずっとしてきましたが、知る人は知っている、佐野氏にほとんどの編集作業を依拠しています。編集作業の引継ぎは将来的な私のパソコン導入を待つとして、最低限迷惑をかけないよう、定期的な入稿、締切厳守を心がけていくことを96年への決意としたいと思います。
みなさん、来年こそもっと投稿を、もっと議論を! (江川 明)
【出典】 アサート No.217 1995年12月16日