【投稿】「キラリと光る」政界再編成を

【投稿】「キラリと光る」政界再編成を

<<国民福祉税をめぐる混乱>>
2月3日未明に突如発表された「国民福祉税構想」を巡る混乱は、現在の細川連立政権の実態を如実に示すものであったともいえよう。首相自らが緊急の記者会見で発表しておきながら、社会党のみならず、身内の日本新党、官房長官や閣僚からさえ相次いで反対され、おおあわてで再協議して、「白紙」に戻すことを発表、あとは「与党で十分ご協議願いたい」というのである。過ちは改めるにしかずではあるが、まったくあきれた事態であった。
今回の場合、わざわざ政界の裏情報に通じていなくても、こうした暴走を仕組んだのは新生党の小沢氏、公明党の市川氏、そして大蔵省幹部であることが歴然としている。彼らは他の与党幹部や閣僚にさえ秘匿してコトを運び、首相自身さえ直前まで知らされていなかったといわれる。だからこそ首相が記者会見で、7%の税率の根拠を聞かれてしどろもどろとなり、「だいたいこの程度は」とか「腰だめの数字」などを連発せざるをえなかったのであろう。政治改革、新しい政治を語り、だからこそ高支持率を誇ってきた首相にとって、政策の決定過程を不明朗にした責任は重大であるといえよう。

<<なぜ突如出されてきたのか>>
問題は、与党内や閣僚の合意も得ないままに、「消費税を廃止して国民福祉税」などという明らかなスリカエ議論がなぜ突如出されてきたのかということである。この案は「早く出るとつぶれる」と伏せられてきた大蔵省の秘策であったという(2/4朝日)。いわゆる官僚主導論である。細川政権の支持率が再び上昇したこの機に一気に念願の増税をというわけである。不況対策や福祉・高齢対策をないがしろにしてすべてを財源論で切って捨てる論法である。今回の混乱で、一定程度これは良くも悪しくも浸透したといえよう。しかし情報や実態を秘匿した問答無用の誘導的な論議はもはや許されるものではない。あらゆる情報を公開した国民的な議論こそが要請されている。それこそが政策形成の近道であり、強さでもある。最終的には国民投票のような手段で問われるべき課題である。こうしたことを回避したい勢力が今回の事態を引き起こしたのだといえよう。

<<「やっぱり怪しい」ミッチー>>
しかしもう一つ忘れてならないのは、政界再編との絡みではないだろうか。自民党の大勢が今回の国民福祉税構想に反対を明らかにしているのに、渡辺元蔵相だけはすぐさま支持を表明したのである。2/4日経によると「実は小沢と渡辺ミッチーの間で密約が出来ている。政治改革に代わって、国家財政観を軸に連立の線引きをし直す」、「渡辺が国民福祉税構想を高く評価したので『やっぱり怪しい』ってことになった」という。
税制改革を政界再編の起爆剤にしようというわけである。ねらうところはもちろん社会党の連立政権からの切り捨てである。社会党は造反議員の行動で大いに自民党に点を稼がせた。もはやご用済みである。この際、新生・公明連合に渡辺新党が加わった政界再編第2幕を切って落とそうという目論見である。渡辺派の幹部である山崎氏は「渡辺新党構想は生きている。党内で渡辺会長が多数を掌握できない場合は、新党という可能性はある」ことを認めている(2/10朝日)。今や自民党議員にとっても「いまは自民党を出ても行くところはいくらでもある。もはや派閥は機能しない」と公言する事態である。自社両党ともに党内はドラスティックな再編必至の状態にあることが予想されるのである。

<<あらゆる可能性を追求すべき>>
今回の事態ではそこまで一挙に進むことはありえなかった。税制や福祉という国民の生活に直接かかわる政策を一部の闇取引で決められるものではないし、何よりも国民の監視にさらされているのである。しかしこうした底流はいつ表面化してもおかしくはないといえよう。そして変化と新たな展開はより多くのさまざまな可能性を提供してくれることも間違いないであろう。自民党の一党独裁政治の復活を許さないことを大前提にすれば、あらゆる可能性を追求すべきであろう。このほど武村官房長官は、「小さくともキラリと光る国・日本」を出版し、日本は軍事的には「小さい」ままで、環境など非軍事分野の貢献によって国際的に評価されるべきだ、と述べている。これは明らかに小沢氏の「日本改造計画」、軍事面を含む国際貢献を果たす「普通の国」に対抗するものであろう。
一方、社会党は今回の事態で初めて存在感を示し得たのであるが、連立政権内野党の立場でしかなかったことを肝に銘ずべきであろう。連立政権のイニシャチブをとれる新しい結集軸に向けて大胆に踏み出さなければ、社会党はもはや取り残され忘れ去られる存在となろう。「反新生・公明大連合」といった程度のものではなく、この際もっと幅広く、政策とビジョン、国家観の競合を軸とした国民に開かれた広範な連合に向けて、あらゆる政治勢力が解党的な再編成に動き出すべきときに来ているのではないだろうか。
(生駒 敬)

【出典】 アサート No.195 1994年2月15日

カテゴリー: 政治, 生駒 敬 パーマリンク