【投稿】官僚主義から民主主義へ
—-村山大連立政権と政界再編の行方を考える——
<羽田=小沢ファッショ政権の崩壊>
6月29日、47年振りに社会党の党首が首班となって第1党自民党と第2党社会党による大連立内閣が成立した。この1年の間に、自民党一党支配とそれがもたらした政治腐敗に対する国民の不信感が、細川・羽田という2代の連立政権を生んだ。自民党を初めて野党に追い込んだことによって、念願の政治改革が緒に着き、選挙制度改革や政党助成が準備されていた。しかし、「改新」という新会派づくりを社会党に何の断りも得ずに進めたことで、社会党の存在を数合わせとしか見ていない小沢ファッショ内閣の本質が明らかになって、社会党の政権離脱と羽田=少数与党内閣の成立という波瀾ぶくみの展開となった。政局の焦点は、自民党政治に止めをさすのか、「普通の国」=政治大国へと一気呵成に突き進もうという小沢の政治戦略に止めをさすのかという消極的な選択にうつった。
社会党がそのキャスティングボードを握った。なぜなら、その選択について党内が真っ二つに割れていたからである。右派のデモクラッツは反自民の連立をあくまで追求するべきだと主張したが、これは連合の社会・民社両党の協調という路線に後押しされていた。しかし、小沢ファッショ政治は歩み寄りを見せなかった。すなわち消費税の大幅な引上げを年内に決めること、欧米主導の国連安保理事会の常任理事国入りに積極的になることなど反国民的、好戦的課題について社会党の一方的な譲歩を迫った。大蔵省を始めとした官僚とマスコミが一体となって展開された福祉のための増税という大キャンペーンや「普通の国」に対抗するビジョンを国民に示せなかった自社大連立派の政策面での弱さによって、国民の期待はまだ反自民連立政権にあった。したがって、世論の後押しを受けた小沢ファッショ政権の内閣総辞職から政権協議へという動きに同調する社会党右派のデモクラッツの動きも楽観的であった。
しかし、小沢は海部という切札をもっていた。これによって社会党を割り、自民党の政治改革推進派を取り込むという、自社を分裂へと追い込む勝負に出た。この勝負は、小沢の後ろに中曾根が付いていたことが会期末ぎりぎりになって明らかになったことで、デモクラッツの村山首班指名への方針転換につながった。しかし、74人の衆議院議員の内3分の1の24人が白票か海部票だったことに社会党内の混乱振りが現れている。
<「ハト派政権」の波紋>
自民党が社会党の首班を担ぎ、しかも社会党の政権構想を丸飲みするという決断をしたこと自体が自民党の政権奪取への並々ならぬ意欲を示している。社会党の従来からの「反自民」の看板もわずか一日で降ろされてしまった。このような姿勢を国民は「野合」政権ととらえている。確かに一年前の選挙まで全国津々浦々で宿敵のような闘いを演じてきた両党がなぜ簡単に連立を組めるのかという疑問が湧いて当然である。その疑問をいち早く捉えて大連立への道を清めたのが新党さきがけである。「ハト派政権」という国民のもっとも受け入れられやすいネーミングで時代遅れのイメージが定着しつつあった社会党への国民の再評価と分裂を繰り返してきた自民党の体質の変化を端的に表現し、国民の自社大連立アレルギーを幾分和らげた。
新党さきがけの「普通の国」批判は、ビジョンとして国民に示されるところまでまだいかないが、国民に何が論点かを示している。国連安保理事会の常任理事国になることによって発生する責任と義務の重さ、そして積極的になることによって加重する軍事的貢献の危険性を指摘したことが、社会党や自民党の平和国家路線を結びつける触媒の役割を果たした。ここでも官僚とともに羽田政権が、国民の重大な進路選択を国民の前にわかりやすく説明することなしに既成事実を積み重ねていた。このような官僚が国民の意思を問うことなく重要な意思決定をするという官僚政治の悪弊は、族議員という形で一定程度の発言力を持っていた自民党政治よりもひどい状態、すなわち小沢と彼を支える創価学会=池田というごく一部の人間にだけ官僚が意思を聞けばよいという国民不在の政治になりつつあった。
新党さきがけと自民党が社会党の村山を担いで結束できたのは、このような一部の人間が密室で政治を行うというファッショ政治の阻止ということが最大の理由である。しかもこの羽田=小沢政権の好戦的性格に対してアジアの国々が警戒の色を強めていたことに示されるように、社会党が政権構想を骨抜きにして反自民の連立に付いていたならば、消費税の大幅引上げがもたらすであろう軍事大国化に周辺諸国の警戒はますます強まっていたと思われる。村山内閣の誕生を中国が歓迎の意思で迎えたことと日本をカードとして国連で使いたい覇権主義のアメリカが落胆の色を隠せなかったのは、当然の結果である。
<官僚支配から民主主義の国づくりへ>
消費税の問題は村山政権の命運を掛けた大問題であると同時に、日本の官僚支配を政治の側が第1党と第2党の大連立で打ち破れるかという民主主義をかけた戦いである。国民が選んだ政治家たちが国の進路に関わる政策決定に何の影響も及ぼすことができないという官僚支配の壁を破壊するための闘いが、自民、社会、新党さきがけのサンフレッチェ内閣で始まることを、国民が本当に期待できるかが問われている。民衆の立場を代弁するという当たり前のことを政治がしはじめたとき、政治不信が解消に向かいはじめる。消費税問題にしろ、国連安保理事会の常任理事国入りにしても国民の声と村山内閣の政権合意とはみごとに符号していることに一縷の望みがある。
問題は、このような国民の声を実行できるだけの力量が村山内閣にあるかどうかということである。官僚の壁は厚く一筋縄ではいかないが、国民世論を味方にして闘いを挑むのか、55年体制のような密室での取引に終わるのかによって内閣の命運が決まるだろう。村山内閣が自らの公約を国民の生活に密着した具体的なビジョンとして国民に示し、行政改革と大企業優遇税制の是正、誰もが安心して暮らせる福祉社会づくりといった公正な政策を確実に実行に移すことがまず必要なことである。
・—新しい連立政権の樹立に関する合意事項(1994年6月29日)—–
①政治改革の継続的推進 ②行政改革と地方分権の推進 ③経済改革の推進
③農林漁業振興の推進 ④高齢社会と税制改革 ⑤外交・安全保障・国連改革
⑥戦後50年と国際平和 ⑦朝鮮民主主義人民共和国の核開発への対応 ⑧教育
の充実と男女共生社会の創造 ⑨連立政権与党の運営
(1994年7月15日 大阪 M)
【出典】 アサート No.200 1994年7月15日