【投稿】ドル安・円急騰と村山政権の登場
<<ドル売り・円買いに走る日本企業>>
6/21正午過ぎのニューヨーク外為市場で、外為ディーラーがあっけにとられるうちに円は1$=100円を突破した。そのきっかけは、このところ強まってきていたドル暴落の危険性を予感して、今の内に少なくとも100円台で円をドルに替えておきたいという日本の輸出企業、その浮き足立った注文を受けた金融機関が一斉に円買い・ドル売りに走ったことにあり、しかもそのドル売りの規模は50億ドルに達したという。利益確保の行動が、逆に急激な円高という逆襲を受けることとなった。
こうした事態はさらに拍車をかけ、その後一気に95円台をうかがうに到り、協調介入も行われ、とりわけ日銀の円売り・ドル買い介入は100億ドル以上に達した。ドル買い支えのために政府の外為会計の累積為替評価損は94年度末で10兆円を突破する勢いである。泥縄式に惜しげもなく使い捨てられた評価損の規模は、決して無視し得ない巨額なものであり、これらが円の国内購買力を高め、貧困な社会資本の充実に使われていたならば事態はまったく違った展開になっていたであろう。
<<一顧だにされないサミット特別声明>>
そして少なくとも通貨対策ぐらいは注目されていたナポリ・サミットであるが、各首脳はワールドサッカーの結果に気もそぞろで、何らの合意も獲得できず、為替対策にいたっては、「ドル安は好ましくない」との蔵相特別声明だけで終わった。市場は、この特別声明を無視し、あざ笑うかのように、いっそうのドル売りを進行させている。冷戦終結後のサミットには、個々の不安定な国内事情、ブロック化した経済とその維持に精いっぱいで、もはや国際的に強固な意思統一を期待すべきリーダーも政策も不在であり、サミット廃止論まで登場する中、国際的な市場と経済に影響を与えたり、コントロールできるような先進国サミットの時代が終了したことを明らかにしたといえよう。
それは同時に、国際通貨体制について言えば「今やドル本位制ではなく、市場本位制なのだ」という新たな時代への移行期をも表している。ドルの包括的支配の時代、決裁通貨としてのドル垂れ流しの時代がもはや許されないし、さらにはサミット参加諸国を含めた先進国が世界市場を支配し得ていた時代が、すでに過去の時代のものとなったのである。それぞれの諸国の当局の動き、そしてサミットでの合意でさえ、急速にグローバル化し、拡大した国際市場の中では、それらの比重は以前ほどの重さを持ち得なくなっており、いわば市場の一材料に過ぎなくなってしまったのである。
<<景気回復下のドル不信>>
もちろんドル安の放置は、クリントン政権にとって最も危険なドル暴落をもたらしかねないし、短期的にも物価上昇をもたらし、インフレ抑制の大きな障害になる。しかしこれまでクリントン政権は貿易赤字縮小の最も手っとり早い手段として、公然とドル安を求める発言を繰り返してきた。その結果、今年の1月から6月にかけてドルの実効為替レートが5%も下落してきたのであるが、今回の新たなドル安は、株・債券を含めたトリプル安をもたらし、金融・株式市場の混乱を伴った新しい段階に入っていることを示している。
これまで米国にとっては、「ドル本位」制を続けておれるかぎり、膨大な経常赤字対策を先延ばしにし放置してきても、他の諸国や黒字国が対外資産をドル建てで運用する限り、赤字が自動的にファイナンスされる利点を徹底的に利用してきた。だが基軸通貨であり決済通貨であるドルだけに働くこの特権も、もはや通用しなくなってきたのである。市場は放漫財政を支え、ドル紙幣を乱発する体制を支えきれなくなり、逆に規律を失ったドルと、支えるに値しなくなってきたドル支援体制そのものをも投機の対象とするようになってきた。
そして皮肉なことに、米景気回復が明瞭になるとともに、ドル信認低下のムードが広がってきたのである。94年上期には米経済は、4%台の経済成長を達成している。ところがレーガン・ブッシュの放漫財政のツケは、景気回復とともに、財貨・サービスの輸入(実質)のテンポが同輸出より早いという経済構造を根付かせてしまっている。これを改善し、逆転させるには、ドル安政策からドル防衛政策に転換し、財政赤字穴埋めのための対外借り入れ依存から脱却し、金融引き締めと財政の構造的赤字の大胆な削減の実行が迫られている。しかし、11月に議会の中間選挙を控え、内政外交上で多くの行き詰まりを打開できず、個人的スキャンダルで傷つけられているクリントン大統領にはそれが出来ないであろうという不信感が市場を支配している。
<<MIT教授「日本は5年程度の減税先行が必要」>>
クリントン政権下の米エコノミストの主流は、レーガン・ブッシュの共和党政権時代に影響力のあったシカゴのマネタリスト派からハーバード、MIT(マサチューセッツ工科大学)系のネオ・ケインジアン派などに移っているといわれる。その一人、ドーンブッシュMIT教授は、「いまのように米国内の投資が好調で、貯蓄をはるかに上回っている状態では、経常赤字が減少しないのは当然だ」として、「むしろ米国とは逆に投資が増えずに貯蓄がたまり、経常黒字の減らない日本が、景気低迷を放置していることこそ問題なのではないか」と主張している。もちろん一方では、「ドルの全面安になった段階で、米政府はドル安放置がいい政策ではないことをはっきりと認識した」と政策転換の必要性は認めている。しかしドルは、円とマルク以外の通貨に対しては強含みであることから、特に日本の財政・景気政策に不信を投げかけ、官僚の強大な抵抗を問題にし、とりわけ日本の内需拡大に不可欠な減税問題について、「大蔵省の力が非常に強いから結局、消費税の引き上げが減税とセットになるだろう。減税の先行期間は1年より3年の方がいいに決まっている。実は日本を消費者重視の経済にするには5年程度の減税先行が必要だ」と述べている。(6/17日経)
日本の内部では、減税先行論は財政に無責任な暴論としてまともに検討もされず、旧連立与党では新生党と公明党が大蔵省と組んで、社会党に無理矢理消費税の大幅増税を認めさせようと、次から次へとハードルを高く設定してきたことは周知の通りである。
景気回復に冷水を浴びせるような暴論が、責任政党の必須条件に祭り上げられていたわけである。
<<村山新連立政権登場の意味>>
たしかに世界中を駆けめぐる投機資金は、日本が抱える巨額の経常黒字を格好の標的にしていることは間違いない。大蔵省の貿易統計によると、不況進行下の92年度の平均1$=125.15円から、93年度1$=108.17円へ、約13%円高が進んだのであるが、それでも輸出額は3662億$で、前年度を6.5%上回っている。94年度に入っても、実質数量ベースでは減少傾向が明瞭になっているといわれながらも、ドル換算の輸出額では、4月が前年同月比7.3%増、5月も同4.4%増と、増え続けているのである。最近は5月の通関統計によると、貿易黒字額が前年同期比15.9%も減少するなど、明らかに円高で輸入が増える作用の方が強く働いているのであるが、90円台に入った急速な円高によってドルベースでは逆に、94年度の貿易黒字額も当初の見通しより40-60億$増額すると試算されている。
大胆な内需拡大を目指した景気拡大政策が実行されない限り、円高攻撃は止まないであろうし、一部には1$=80円台説まで言われ始めている。すでに94/1-6月期、円高倒産が近畿地区では前年同期の5倍近く発生している。こうしたさなかに村山新連立政権が登場したのであるが、旧連立政権とは違って、ハト派色を鮮明に打ち出し、所得税減税の先行を明瞭にし、消費税増税については何よりも国民合意を重視し、論議の公開性と民主的手続きの重要性をうたっている。そしてサミットでの村山・クリントン会談では村山首相は、大衆の生活に根ざした公共投資の見直しと拡大を提起している。唐突な社会党と自民党、新党さきがけとの連立政権の登場ではあったが、ある意味では現実の要請と必然性に敏感に対応したものであったとも言えよう。
モンデール駐日米大使は村山政権の登場とともに「羽田政権とはかなり違った話が出来た」ことを評価し、税制改革について「減税は恒久的ということなら非常に良い。増税は景気が回復してから考えれば良い」と強調し、「日本に戻ったら大蔵省があいまいにしているようだ」と大蔵官僚の批判を忘れてはいない。(7/16日経)
問われているのは、日本の官僚を乗り越える政治経済改革の具体性と整合性、そして国民の合意を背景にした実行力ではないだろうか。
(生駒 敬)
【出典】 アサート No.200 1994年7月15日