【投稿】日本共産党第20回大会は何を明らかにしたか
<<「-部の落後者」>>
去る7月19~23日、日本共産党は代議員999人を集めて、第20回大会を開いている。公式発表によると、現党員数は約36万人で、日曜版を含む赤旗読者数は250万人ということである。これは、87年の第18回大会時の公式発表、党員数48万人以上、赤旗読者数300万からすれば7年間の間に党員数は12万人、赤旗読者数は50万人減少したことを示している。実態はいわゆる「12条該当党員」といわれる未結集党員が10万人前後に達していることを考慮すれば、もっと深刻であろう。
志位書記局長の報告によれば「前大会以降、入党者の4割は青年であり、4千人以上の青年が我が党に入党している。同時に全党的にみると、党員現勢の中で占める十代、二十代の党員の比率は、低い水準にとどまっていることも事実である」と述べている。逆算すれば、前大会以後1万人しか入党せず、それに倍する党員が、しかも若い党員が数多く共産党から去ったことを示している。そして赤旗読者の減少についても、「毎月数万の規模の構読中止読者をなくする問題は、極めて重要である」と報告せざるを得ない事態である。
さらに同書記局長は、「ソ連・東欧の崩壊などの情勢の急激な変化を、科学的につかみきれずに落後していったものが、一部に生まれました」と指摘して、できるだけ低く見せかけた「一部の落後者」が相当多数に及んでいることを語らざるを得なくなっている。すでに久しく共産党のお家芸の域に達した排他的な憎悪と攻撃の対象は、反党分子や盲従分子から、これからは「落後者」、「脱落者」へと重点移行するのであろうか。冷戦体制の終焉、ソ連崩壊という歴史的転換の時代からすれば、ここまで食い止め得ていることは、むしろ評価されてしかるべきであろうと思えるが、指導部の姿勢には「わが党以外は、すべてダメ」という硬直的で排他的、独善的な姿勢にいっそうの磨きをかけることに全精力を費やしているとしか見えない。
<<「冷戦終結」論=アメリカ帝国主義美化論>>
その硬直的で、歴史的転換の特徴をまったくつかみ得ない論法が、「冷戦は終結していないどころか、いっそう強まっている」という、現実を直視し得ない強弁論法である。志位書記局長は、「終結したどころか、生き残り、再編・強化されているのである。アメリカを中心とする軍事ブロックは、諸国民への軍事的経済的支配の手段としての役割と機能をいっそう強めている。「冷戦が終結した」とするのは、世界のこの現実に目をつむる根本的誤りである」と報告している。そもそもアメリカ帝国主義はソ連や中国とは仲良くしながら、各個撃破政策をとっていたのであって、それが冷戦体制であった、したがってソ連が崩壊すればそれがよりいっそう強化されるというわけである。しかしもはや冷戦的政治支配体制や軍事支配体制が主観的にも客観的にも継続し得なくなってきていることは否定しがたい。
そこで不破委員長は、「アメリカ帝国主義が、かつての『ソ連脅威』論をより一般的な「紛争脅威」論などにおきかえて、『世界の憲兵』戦略という新しいよそおいのもとに、冷戦体制を再編・継続している」として、「いま注目すべさことは、ソ連解体という情勢のもとで、同じ型のアメリカ帝国主義美化論が再び登場していることです。それが『冷戦終結』論であります」と論点のすり替えを行っている。そして、「冷戦終結」論などを唱えるものはアメリカ帝国主義美化論者であるとして、たとえ党内の学者や研究者であれ、容赦はしないという姿勢を打ち出すわけである。これは、昨年10月の党員研究者の会議で、この党中央の冷戦崩壊論批判に異論が続出し、それが新聞報道されたこと(94/4/6、毎日)を念頭においている。
<<「公開の討論は、中央委員会の承認のもとに」>>
これに関連して、今回の大会では、「党の会議や機関紙誌で党の政策・方針に関する理論上・実践上の問題について、討論することができる。ただし、公開の討論は、中央委員会の承認のもとにおこなう」という規約改定が行われている。その理由説明に立った小林幹部会委員は、「討論の権利に関連して、公開討論は中央委員会の承認のもとにおこなうことを明記した。討論は党内民主主義の保障にとって重要ではあるが、この討論を公開で行うか非公開で行うかという討論形態は別個の問題である」と述べている。またもや党員の除名や排除は「意見の相違が理由ではない、党規律違反が理由である」、党の承認を得ずに党内の討論を党外に持ち出したから、党内の討論であっても所属の違う党員に討論を持ち出し、それは分派活動的な規約違反行であったからといった、これまでにもさんざん用いられてきたすりかえ論法が規約上でも確保されたわけである。
さらにこの規約改定では「討論は、文章であれ口頭であれ、事実と道理にもとづくべきであり、誹誘、中傷に類するものは党内討論に無縁である」という規定を追加し、その理由について、「近年、党大会前の機関紙誌などでの討論、あるいは質問や意見提出などのさいに、とうていまともな議論や疑問とはいえない、悪罵や誹誘、中傷に類するものも少なからずあったので、それが党内討論とは異質であることを明らかにした」と、その意図を露骨に述べている。公開討論はもちろん、党内討論においても「悪罵や誹誘、中傷」等々を理由に、「アメリカ帝国主義美化論者」やその他諸々の異見を有する人々を排除するお膳立てが整ったのである。
<<綱領に「反動的俗論」に対する反論を挿入>>
さらにその排他的な磨きの矛先は、丸山真男氏の日本共産党論にも向けられ、これを「反動的俗論」として描き出し、わざわざ綱領改定の重要な柱としている。「他のすべての政党が侵略と戦争、反動を推進する流れに合流する中で、日本共産党が平和と民主主義の旗を掲げて不屈に闘い続けたことは、・・侵略戦争を阻止しえなかったから日本共産党にも戦争責任があるとするたぐいの攻撃の、根拠のなさを明らかにしている」という反論
を今回新たに挿入したのである。丸山氏は、絶対主義的天皇制の精神構造が日本共産党にも転移していることを指摘したものであるが、綱領改定の提案者である不破委員長は「その提唱者が誰であれ、学問の名に値しない反動的俗論であります」と切って捨てている。
ここには共に闘うべきさまざまな人々、諸政党、広範な要求に根ざした運動、諸団体に対して、「唯一日本共産党だけが・‥」、「我が党だけが一貫して・‥」といった、馨り高ぶった、統一戦線思想をまったくかえりみない極左的俗論と言うべきかあるいはセクト主義的な唯我独尊論が浮き出ているといえよう。そこには戦前の党が、社会民主主義者を始め、さまざまな反ファシズムの諸運動や大衆団体、労働運動と連帯して闘い得なかったことにたいする徽塵の反省もないばかりか、むしろそれぞれに対する断罪に全エネルギーを注ぐ醜悪な側面が浮かび上がってくる。
志位書記局長は大会決議の報告の中で、現在の社会党について、「もはや社会党から自民党政治を引いたら何も残らない。『社会党マイナス自民党はゼロ』という『方程式』が成立するような状況になったわけです」と述べ、さらに村山政権のもとで、「海外派兵体制と小選挙区制は、反動勢力の「車の両輪」ともいえる長年の野望だったが、その実現への突破口が開かれたことは、日本型ファシズムヘの危険を増大させるものである」と、危機感を煽っている。唯一前衛党をふりかざし、他をあざ笑い、危機感を煽り立てるような政治姿勢は、絶対主義的天皇制思想と同一のものが転移したと指摘されても致し方のないものであろう。
<<「日本の支配体制」論の混迷>>
ところでその絶対主義的天皇制についても、今回綱領改定を行い、「当時の日本は、世界の主要な独占資本主義国の一つになってはいたが、農村では半封建的地主制度が支配しており、これらの基礎の上に絶村主義的天皇制が反動支配勢力の主柱として軍事的、警察的な専制権力をふるい、国民から権利と自由を奪い、アジア諸国に対する侵略と戦争の道をすすんでいた」と改定している。そのようにした理由を不破委員長は「現行の文章で述べられている『当時の支配体制の特殊性』を、内容的に明確にした。絶対主義的天皇制、半封建的地主制度、独占資本主義の三つの結合だが、並列的な結合ではなく、軍事的、警察的な専制権力をふるった天皇制がその全体の背骨をなし、農村における半封建とともに、日本社会の進歩をおさえる前近代的な遺制をなしていた」と述べている。
これは何を意味しているのであろうか。戦前の講座派やコミンテルン32テーゼの誤りの上塗りをここでなぜ繰り返す必要があるのであろうか。そのいずれもが戦前の支配体制を絶対主義的天皇制の優位においてとらえ、独占資本の侵略と戦争責任を免罪し、社会民主主義主要打撃論を展開して反ファッショ統一戦線の道を自ら閉ざした主要な立脚点である。戦後においては、日本の支配体制を独占資本よりもアメリカ帝国主義の支配の優位においてとらえる、日本=対米従属・半占領国家というあの破産ずみの俗論である。さすがにこの点については、今回の綱領改定で現行の「アメリカ帝国主義になかば占領された」事実上の従属国という規定を、「国土や軍事などの重要な部分をアメリカ帝国主義ににぎられた」事実上の従属国と改定している。しかしこれでは本質的な改定にはなっていない。やむをえず不破委員長は、「この「半占領」という規定は、理論的な意味では、日本の現在の状態にもあてはまりうる規定です。ただ、現状の表現としてよりわかりやすい、うけとりやすい規定に改めたというのが、改定の趣旨であります」と弁解している。さらに「一部には、経済面の従属はもうないのか、という質問がありました。経済面での対米従属では、いまでは、アメリカが日本経済の重要部門を直接にぎるといった形態よりも・‥」とまったくしどろもどろの答弁である。まさにこの点は、彼らの政治的理論的混迷の象徴ともなっている。
<<「旧ソ連は何だったのか」という問題>>
この政治的理論的混迷をさらに押し進めたのが、「社会主義をめざす国」という新しい規定である。今回の綱領改定で新たに「社会主義をめざす国々には、第二次世界大戦後、世界の広大な地域にひろがった。しかし最初に社会主義をめざす道にふみだしたソ連では、レーニンの死後、スターリンを中心とした指導部が、科学的社会主義の原則を投げ捨てて、‥・」と述べて、さらに「ソ連およびそれに従属してきた東ヨーロッパ諸国の支配体制の崩壊は、科学的社会主義の失敗ではなく、それから離反した覇権主義と官僚主義・専制主義の破産である。これらの国ぐにでは、革命の出発点においては、社会主義をめざすという目標が掲げられたが、指導部が誤った道をすすんだ結果、社会の実態として、社会主義社会には到達し得ないまま、その解体をむかえた」と規定している。
これについて不破委員長は、「ここでまずあきらかにしておきたいのは、この『社会主義をめざす』という言葉は、その国の人民あるいは指導部が社会主義を目標として掲げている事実をあらわしているだけで、これらの国ぐにが、社会主義、共産主義社会にいたるいわゆる過渡期に属していることを、一律に表現したものではない、ということです。では、旧ソ連は何だったのかという問題で、これは、大会前での討論でも、最も議論の多かった問題の一つであります。スターリン以後の転落は、政治的な上部構造における民主主義の否定、民族自決権の侵犯にとどまらず、経済的な土台においても、勤労人民への抑圧と経済管理からの人民のしめだしという、反社会主義的な制度を特質としていました。スターリンによる転換以後、強力をもって形づくられた旧ソ連社会が、社会主義社会でもそれへの過渡期の社会でもなかったということ、そこに私たちの認識の今日的な到達点があるということであります」と述べている。
「ソ連共産党の解体を歓迎した党の態度の根本には、この綱領的立場があった」というのであるが、それでもなお旧ソ連は一体何だったのかという疑問には答えていない。そこで不破氏は「私たちは、この党大会でソ連をいかなる社会主義構成体とよぶべきかという学問的結論をだして、こんごの学問的研究を制約するつもりは少しもありません」と、一見殊勝な態度を表明している。しかしそれは単に自らの理論的混迷を示しているに過ぎない。歴史的な社会主義の現実をありのままの姿で真摯に検討し、自らの教訓とするのではなく、自分たちの尺度に合わないものを検討の対象外として、「おれたちには関係のないこと」とする無責任な態度の表明といえよう。
<<よりいっそう重くなる業病>>
このようにして問題点を取り上げ出すとキリがないので、最後に実践上のいくつかの問題についてだけ触れておきたい。今大会に限らずそうなのであるが、労働運動の現状と展望について、そして人類的課題である地球環境問題については言及がほとんどなされなかった。本来彼らがセクト的な引き回しの結果として作ったはずの全労連についてその強化策がまったく触れられず、質的にも量的にも展望が見出し得ない実態を反映して、大会決議では「連合参加労組や、末組織労働者の中での活動を抜本的に強化する」方針に転換している。連合参加労組内での反対派活動、フラクション活動の強化である。
さらに生協問題についても大会決議で不穏当な方針が提起されている。「この間、生協運動の分野では、日生協本部の活動方針から、核兵器全廃などの平和の課題が欠落したり、組合員の共同購入を消極的に扱って大企業と競い合う大店舗化をすすめるなど、『平和でよりよい生活』をめざす生協運動の原点からの逸脱が問題とされてきた。生協運動の原点と伝統を守り、生協本来の活動を発展させるための改善の努力をはかることが、期待されている」。これは次のセクト的な行動を予測させるものであろう。
そして綱領改定の中で、当面の行動綱領の内、部落問題を独立の項目からはずし、「党は、社会の諸方面に残っている半封建的な残りものをなくすためにたたかう。いわゆる部落問題については、ひきつづき国民的な融合に努力する」と改定し、その理由について「同和問題をめぐる全国的な闘いの成果をふまえて、独立の項目とせず、半封建的な残りものをなくす全体的な要求の中に位置づけた」と述べている。ここでいう全国的な闘いの成果とは、いうまでもなく自らが扇動してきた差別キャンペーンであり、その最終段階での強化を意図しているといえよう。
もう一つ奇怪なのは、今回の綱領改定で「18歳になった日本国民は、党員になることができる」としたことである。その理由について、「現行の『日本人』という規定は、第7回大会での規約統一解釈において在日外国人は日本共産党の党員となることができないとしたのを明文化したものであり、『日本国民』として、本来の趣旨をより明確化した」と述べているが、このボーダーレス化がますます進行し、国際的人類的課題の遂行が共通の責務となっている時代に、この民族排外主義的な認識は何という落差であろうか。多くの地方自治体や議会で在日外国人の選挙権、被選挙権を認める方向が論議され、また実際に決議もされ、新しい諸政党がその入党を当然のこととしている時代にである。
彼らに骨の随から染み着いた民族主義的でセクト主義的な業病は、今回の大会でその症状をよりいっそう重くしたといえよう。
(生駒 敬)
【出典】 アサート No.202 1994年9月15日