【投稿】社会主義の理想に寄せて
① 小森さんが、以前「社会主義の理想がまちがっていたとはとても思えない」と書いていらっしゃったのを、痛ましい思いで読んだ記憶があります。ぼくも同感で、大阪のUさんがいつもおっしゃるような「とにかく民主主義だ、というスタンス」もわかるけれども、ぼくは、まだ社会主義にこだわっているのです。
マルクスもレーニンもたいへん評判が悪い昨今ですが、おりに触れて著書を読み直してみると、やはりそんなに間違っていたとは思えません。もちろんみなさんご承知のように歴史的限界はあって、マルクスはいくつものおもな先進国で一挙に革命が起こらざるを得ないと思ったし、「絶対的貧困化」という実際にはそのまま当たらなかった見通しを述べた。その他にも、「全集」の序文でも指摘されているような、たとえばバルカンのスラブ諸民族についての見解など、明らかな誤りだってあった。民族自決権については、どうしてもマルクス主義では「階級の利益優先」ということで抑圧される傾向があって・・・・でも、これは難しい。よくわからない。スターリンみたいな領土拡張主義は論外としても、みんなが自発的に民族の利益より階級の利益を優先するようにすれば、問題はないはずなのに、と、つい思ってしまうので、いけませんね。
さてレーニンの場合ですが、彼は議会制民主主義の否定的側面ばかり強調しすぎていたでしょうし、何しろ絶対主義的ツァーリ専制の国の人ですから、彼の「戦闘組織としての革命党」の論は、今では有効でない面が多いのも確かでしょう。しかしそれもまさに歴史的限界で、当時の事情では実践的には有効な選択だったと思えます。ただ、たとえば「プロレタリア革命と背教者カウツキー」をはじめ、とくに革命情勢下での論文に強く見られる攻撃的で激越な調子に、ついて行けないなと思うことはよくあります。現実の革命運動の方針をめぐって、メンシェビキやエスエル派の「社会排外主義」と激しくて重大でギリギリの闘争(もちろん理論的な)を展開していたから、仕方がないのかなとは思いながら。だいたいがマルクスからして論争のときに口調が辛辣すぎたから、マルクス主義者に悪い模範になっちゃったんだ、とある先輩がおっしゃっていたのを思い出します。
② 森信成(この人の名はアサートではあまり目にしませんが)は、民主主義を徹底したところに社会主義があるのだと実にわかりやすく説明した人でした。そして、社会主義における民主主義的要素の拡大(独裁的要素の死滅)をめざす任務でうしろ向きになったところにスターリンの限界があり、この点にスターリン批判の眼目があったと森先生は総括している。でも今から見れば、スターリンの政権は、最初からおよそ民主主義とは無縁だったとしか思えません。スターリンの政権奪取によって、ロシア革命は(そして世界中の社会主義運動が)大きく変質した。そして、フルシチョフらによる批判、改革の試みは不徹底に終わり、198号で紹介されている書物の著者西尾氏も言う通り、「プラハの春」は、現実の社会主義体制が悶え苦しんでいる矛盾を露呈した。
では、その前は? なるほどレーニンは反革命軍との内戦の時期、とにかく利敵行為は厳禁で、「銃殺」の命令を乱発していますが、あれは革命の防衛のために、どうしても必要だったのだろうとぼくは思います。では内戦終結後は? 残念ながら、レーニンが反対政党の復活のために努力した・・・・とは言えないように思われます。ソヴェト権力の維持が至上命令だったから、反対政党を積極的に復活する余裕がなかったのでしょうね。でも、共産党以外の政党を認めることがいずれは必要だったはずで、レーニンが長生きしていればそういうときが来ていたのではないかと希望的に観測する。ただし、そういう党がもし多数派になりそうになったら、やっぱり、「プロレタリア独裁の維持」のために、非合法手段を取ったかも知れない、いや、きっと取っただろうな、という気はする。要は、そうならないように、社会主義の方がいいんだと人々が政治経験を通じて納得できるようにやれたはずだし、そうでないなら、社会主義の思想は絵にかいたモチに過ぎない。いまの朝鮮民主主義人民共和国みたいに、個人崇拝の大宣伝と情報統制で維持する「社会主義」なんて。それこそ、新聞のない政府よりは政府のない新聞を選ぶ、と言ったとかいうアメリカの大統領の方が、ずっとまともです。
③ どこかの党みたいに「プロレタリアートの独裁」を「執権」だの「労働者階級の権力」だのと言いかえたらすむというものではないけれど、この「ディクタトゥーラ」という語は、たしかに物騒な語感がありますね。でも、資本主義社会は議会制民主主義になっていようがいまいが「ブルジョワ独裁」である、とする把握を反映した言い方なわけですから、歴史的に正当な用語だったと思います。
レーニンがていねいに説明している通り、選挙で公平に代議士を選んでいるんだといくら言ったってカネやメディアを握っている資本にカネもメディアも持たない労働者人民が公平に戦えるわけではない。したがって、議会制民主主義だからというのでただちに超階級的な全人民の国家だとは、もちろん言えない。本質的にブルジョワ独裁であることに変わりはないとしたレーニンの指摘は、十分に真実を含んでいたと思います。
でも、やっぱり一面的すぎたかな、と。レーニンに議会主義クレチン病だとか何だとかひどい言葉で罵倒された一部の社会主義者たちは、議会制度を充実させつつ、そこで多数派を占めることを通じて、社会主義が実現できると思った。それは当時の情勢や力関係のもとでは、まだ実現可能性の低い方針であったかも知れないけれども、のちには「モスクワ声明(81か国共産党・労働者党の声明)」にも明記されたように共産主義者が一致して有効な方針だと認めるようになったわけですから、むしろ彼らに先見性があったとも言える。逆に言えば、レーニンは専制国家しか経験していなかったために、ブルジョワ議会制度の意義やその未来の可能性を十分に見抜くことができなかったのかも知れません。
さらに言えば、「民主主義的中央集権制度」という本来正しいはずのシステムが、すっかり諸悪の根源みたいに言われるような代物になり下がったのも、レーニンの指導する非合法下の社会民主党での運用のされ方(くりかえし言えばそれは当時の事情においては不幸ではあってもやむを得ない、その意味で正しい運用であったとぼくは考える)が悪い伝統として残り、また広まってしまったというのも、一つの原因ではなかったかと思う。民主主義的中央集権制については、これが最も完全な民主主義を体現するものであることを森先生が明快に論証しています。(したがって「民主集中制なんて間違いだ」とは、ぼくは思えないのですが、アサート紙の寄稿者の方々はみんなそう思ってらっしゃるように感じる。でもぼくはいろいろな会議などにもなかなか参加できないので、どういう議論を経てそういう共通認識になったのか知らないのです。あるいは、以前にどなたかの論証が載ったのでしょうか。どなたか教えてくれないかしら。)しかし、言うまでもなく、これが国家のシステムに適用できるのは、再び森先生の言葉を借りれば「全人民を党の水準に引き上げることによって、党が自己を不要にする」ことが達成できた暁のことなのであって、そうでないのにこれを国家のシステムに適用すれば、それは民主主義の封殺に導かざるを得なかったのではないかと思うのです。旧ソ連の大きな誤りの一つは、このことだったでしょう。「ソヴェト」という形態は、レーニンをはじめ当事者たちの言う通り、ロシアにおいて自然発生的に生まれ、人々が進んで選び取った権力形態ではあったのでしょうけれど、それがロシアの後進性の刻印を生まれつき帯びていたものでなかったのかどうか? ぼくにはまだよくわからない部分なのですが、とにかく、西欧で模範的に発達したブルジョワ議会制度とは、無関係ではないにしても、ある程度は独自に生まれた制度だったと言えるでしょう。そして、それを指導したロシア社会民主労働党の圧倒的影響力のもとで歩んできた社会主義(共産主義)運動。きちんと整理することはぼくの力に余りますが、このへんに「不幸の始まり」があったのかも知れないという気がしています。
ともあれ、議会制度と、三権分立。日本の三権分立の機能のしかた–ことに司法権のテイタラク–を見ると、今のままでもいけませんが、やはりこのシステムの思想は人類の経験と英知の産み出した宝物だと思います。この基礎の上に、そしてその発展の中に、一つ一つの民主主義的な改革がかちとられて行くことを通じて、社会主義の理想に向って行かなければならないのではないか。
ここまで来れば、ぼくの考えは、たとえばUさんの「とにかく民主主義」とほとんど違わないような気もします。要するに、ぼくのこだわりは、敬愛するマルクスやレーニンがナニモカモ間違っていたという前提の上に立ってこれからのことを考えるのはイヤだ、という「ファンの感傷」みたいなものに過ぎないのでしょうか。
④ 話はすっかりかわりますが、最近気に入らないことを一つ。日本の常任理事国入りなんて、とんでもない思い上がりですね。前に、PKOだって憲法改正して、やってもいいのじゃないか–などと気楽なことを書いてしまったのですが、あれは原則論としてはともかく、やっぱり実際論としては間違いだったと深く反省しています。日本にそんな資格はない。
いまの常任理事国どもも、たいして立派な国ではないと思いますが、そこに日本みたいなろくでもない国を加えることはありません。女子差別撤廃条約だって、大慌てでいいかげんな法律を作ってやっと批准できた国。むしろ、国連が示す世界のスタンダードに肩をならべるために、まだまだ努力を要する政治後進国で、国連によって指導してもらわなきゃいけない身分なのに、指導的な立場になろうだなんて、おこがましい限り。それに、韓国をはじめ、日本から迷惑をこうむった国々は、日本との経済関係が大きいからか、あまりあからさまには反対せずに遠慮しているけれど、まだまだ日本に常任理事国になってほしいだなんて言っていない。そういう国々の人々みんなが気持ちよく日本を常任理事国に推してくれるまで、おとなしくしてるのが、分相応の態度です。
蛇足もいいところでしたが、どなたも「常任理事国」問題に触れてらっしゃらないように思うので、一言申し述べました。 (大阪 I)
【出典】 アサート No.205 1994年12月15日