【投稿】「地方分権と政治改革」
1、はじめに—今日の政治状況と課題 No205 1994-12
2、地方分権の意義と理念—「保守主義」との分岐 No206 1995-01
3、行政の果たす役割と地方分権 No207 1995-02 No208 1995-03
No209 1995-04 No210 1995-05
4、地方分権と政治改革 No211 1995-06
5、分権・自治の拡大に向けた新たなシステム No212 1995-07
1、はじめに —今日の政治状況と課題—
<必要な政策的分岐の明確化>
現在、日本の政治は過渡期にある。近い将来、日本の政党も、政治理念や政策の共通性によって集合・組織される本来の姿になるだろう。また、そうでなければ、日本の政治は「機能不全」に陥ってしまう。
しかし、当面はそんな展開は見られそうもない。なぜなら、現局面では、政党を形成する上で最大のポイントとなる国会議員や地方議員は、自らの個別利害、すなわち新しい選挙制度の下で生き残れるか否かに最大の関心を払うからである。「当落」という現実の前では理念や政策は二の次となる。
実際、新生党や公明党による新党(新進党)づくりは、理念や政策をポータレスにして、選挙における利害調整を武器に人集めをしている。日本の政界に理念や政策でなく利害で集合・組織されている自民党という巨大な政治勢力が存在している限り、そうした対応が現実的なのだろう。政治改革の一部をなす「政党再編」から「政党改革」への道を進むには、自民党を更なる分裂に追い込むことが引き続いて第一の課題である。
そしてその際には、自民党内の政治理念や政策における混在を整理させることが必要でなる。すなわち、新保守主義政党の性格を明瞭にしつつある元・新生党とその同調者をひとまとめにし、それ以外の考え方のグループとの分岐を拡大することが、長期的な政治戦略として重要なのである(※アサート11月15日号掲載の投塙、「社民・リベラル新党と3橿構造の産みの苦しみ」を拝見した。私は、大阪M氏と考え方を同じくしている。)
具体的な政策課題のすべてに基本理念の相違が反映するということは、今も昔も変わらない。現在は、東西冷戦体制にあった時のように単純な構図で反映するものではないが、政治理念の相違が政策に如実に反映することに違いはない。ただ、その相違が見えにくいだけだ。また、各政党も具体的な政策の違いを通して、基本的な政治理念の違いを明らかにする作業をなし得なかった、あるいは、違いを認識し得ずにきたように私には思える。
しかし、日本の政治における「分水嶺」は、間違いなく「新保守主義」と「洗練されたリベラリズム」ないしは「社会民主主義」の間に屹立する。特に、「政府(地方政府を含めた)」のあり方、換言すれば、「公的保障(特に福祉のあり方)」は最大の分岐点となろう。新生党が主導する新進党は、その点をあいまいにした寄り合い世帯である。なぜなら、新保守主義のエッセンスである「自立・自助」という考え方を強く’打ち出せば、公明党や民社党グループとの乖離が大きくなり、新党づくりが瓦解してしまう危険性が大きいからである。
政治再編は更に進めねばならないし、実際、この数年の間に大きく進むだろう。しかし、その展開は政治理念や政策の違いを明確にすることでしか加速できない。その作業が何よりも重要なのである。
<社会党の混迷–連立政権でなすべきこと>
ところが、その作業を中心になって担わなくてはならない社会党の混乱ぶりは目に余る。
9月3日に開催された日本社会党第61回臨時全国大会で採択された「当面する政局に臨むわが党の基本姿勢」という文章の冒頭を読んで、私は開いた口がふさがらなかった。第1章は次のように述べている。
「党は現在、国政の最高責任を担い、生活者優先の政策が実現できるという可能性を手にした半面、これまでの『政敵』を失ったことによって、新しいアイデンティティー(自己存在)の確立が求められます。党にとって『政敵なき時代』は初めての体験であり、全党員はあらゆる固定観念、慣行から自らを解放し、新時代に対応できる党へ建て直す『自己革命』の決意と決断を示さなくてはなりません。」
実に見事にビンほけた認識である。理由は次の二点だが、村山政権発足以来の社会党の混迷ぶりの基礎は、このスタンスに起因しているように思える。
第一に、自民党との連立政権が始まり、55年体制が崩壊した、だから「政敵なき時代」に入った、などというのは「お人好し」を通り超して、政党としての日本社会党の解党宣言に等しい。連立の相手こそ政策実現に向けてイニシアチブを競い合う最大の「政敵」だし、自民党は新生党と袂を分かったとはいえ、政治理念や政策内容においては、新保守主義的なものも色濃く持っているのである。ましてや、野党の新生党は「政敵」でなくて何なのか。こんな認識では、「党の独自性」もあったものではないし、連立相手に吸収されてしまうのは当然の帰結であろう。現に社会党はその道を進んでいる。
第二に、首相を出したからといって、「自らの政策が実現できるという可能性を手にした」と評価するのも楽観的に過ぎる。これも、社会党が苦しい対応を強いられてきたこの間の現実が証明している。
私は一つの連立政権で成し遂げられることは、あらかじめ政策合意が形成できた一つか二つの重要課題が精一杯で、残るテーマは、いわば「連立の解消に至るプロセスのプロデュース」と「自らの存在価値の売り込み」に尽きると考えている。逆説的だが、連立政権は「守る」ことに意味があるのではなくて、「壊す」プロセスが重要なのである。
連立政権では、政策調整が当然必要だから、必ずしも自党本来の政策は実現できない。すなわち、連立政権とは、自党の政策の優位性と連立政権ゆえの限界を絶えずアピールする場でしかないということである。政治的に妥協し、自らの政策に近いものを一つでも実現する。また、決裂して連立を解消し、連立相手の組み換えに進む。いずれにせよ肝心なのは、自らの存在価値を高めることである。「連立の維持」を自己目的化して、自らの安楽死に至るような対応は愚の骨頂である。
ただし、自らの存在価値を高めながら連立政権を構築し、また解消するためには、常に個々具体的な政策について内容を詰め、背景となる理念の差異を明確にしておく必要がある。そして、政治的妥協を行うのであれば、それに至るプロセスを積み重ね、理由を明確にした上でタイミング良くこれを行う決断力が必要だ。そうしたことを考えると、社会党村山政権はあまりにも準備不足であった。
さて、社会党内の議員集団「新民主連合」が「社民リベラル新党」の結成に向かうという。社会党が丸ごと新党結成に向かうのか、はたまた党の分裂に進むのか、先行きは不透明である。
しかし、いずれにしても「新党」という言葉が浮き上がっていて、実質的な意味がないように私には見える。既成政党・グループの集合・離散だけで新党をつくろうとしても、できたものは「新党」になりそうもないし、第一、時期的にやや遅きに失した観がある。
ただ、社会党の動きがどうであれ、個々具体的な政策や、それを支える理念を明確にする作業の必要性に変わりはない。
本稿では、非常に地味ではあるが、今後大きな政治上の論点となると思われる「地方分権」の内容と意義について、そして、地方分権の確立が真の意味での政治改革を完成させるのだということについて述べてみたい。 (以下次号)(by 依辺 瞬)
【出典】 アサート No.205 1994年12月15日