【コラム】ひとりごと –連合赤軍事件判決に思うこと 

【コラム】ひとりごと –連合赤軍事件判決に思うこと

◆2月19日「連合赤軍」事件の三被告に最高裁が判決を下した。19日夜のニュース番組はすべてこのニュースをトップで伝えた。◆思えば、浅間山荘事件は、私にとって思い出深いものがある。72年2月の浅間山荘事件の頃、私は高校三年生で、大学受験のさなかであった。志望校は大阪市大。赤軍派最高幹部故森恒夫(獄中で自殺)が逮捕されたとき、彼の出身が大阪市大であったと、新聞が報道したとき、私の母は本気で心配したようだ。私自身もこんな学生運動をするのではないかと。(残念ながら「過激派」にはならなかった。)◆フジテレビの俵孝太郎は、この事件を境に、六〇年代、七〇年代を駆け抜けた「学生運動」は急速に衰退したと伝え、TBSの筑柴哲也は「行動」から「無関心」へと若者の行動が変化し、若者の政治無関心の時代が来たと解説している。◆残念ながら、私はこの事件の後に「学生運動」に参加し、六〇年代の後半のような世間を揺るがすほどの影響力はなかったとは言え、「怒り」を持続させてきたのである。おそらく、「旗」の読者の多数も私の世代に属しているだろう。◆確かに「セクト」の時代は、終わりを告げている。ソ連の崩壊で、社会主義運動も整理の時期を迎えていることは疑えない。◆マスコミは「連合赤軍」判決で、「学生運動」や「社会主義運動」を、許容できないもの、とのキャンペーンを強めているように思える。◆事件から21年という。我身に振り返れば、今年が民学同結成30年である。すでに歴史に属する経過もあるが、我々に取っても、私自身にとっても「歴史的総括」が必要であることは言うまでもない。(佐野)

【出典】 青年の旗 No.184 1993年2月15日

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