【投稿】社会党を変えるものは
–党内良識派議員・党員・市民のネットワークに期待–
締切の大幅遅れで、この原稿を打とうとしている時、山形県知事選挙での社会党、日本新党推薦候補者当選のニュースが飛び込んできた。
これはひとえに「日本新党効果」であり、社会党の逆効果を相殺してなお、あまりあったことは衆目の一致するところだろう。
細川護熙のゴーストが香山健一ではないか、などの日本新党のうさんくささも含めた評価はひとまず置くとして、社会党がリストラ可能かどうか、少しばかり検討してみたい。山花、赤松の新体制がスタートして一ケ月が経過したが、委員長が何もしない代わりに書記長が問題発言を連発、という構図が出来上がってしまったようだ。そもそもこの新執行部体制そのものが、予想される都議会選挙、そして総選挙の敗北までの暫定政権だとの認識が、本人達も含めた党内の了解事項である以上、お互い何を言っても勝手という状況なのだ。
こうしたなか、本気で政治改革を考える若手議員を中心とする勢力は、既成の党内派閥にとらわれず活動を始めている。もちろんそれはバブル選挙の中で当選した自らのサバイバルであり、社会党への帰属意識が薄い分だけ「自由な動き」になることも事実である。
しかし、社会党変革の期待は党内にあっては国会、地方議会のこうした議員と良識派の専従者の動きであり、そして何より重要なのは党外の様々な運動との結合なのである。
これまで原水禁運動や護憲運動、そして総評の存在が理想とは言えないまでも、社会党を支える役割を果たしてきた。しかしながら、冷戦構造の崩壊以降、既存の組織は統廃合を余儀なくされ、個別の課題は存在するものの、その影響力は急速に衰退している。また、総評センターは解散し、昔日の総評社会党ブロックは消滅した。
そして現在、社会党とはほとんど無関係に発展してきた様々な運動が存在している。それらは、人的、経済的にも自立しており日常活動においても社会党はもちろん労働運動によりかかったり、逆に抱え込まれる関係でもない。
しかし、自然保護運動でも、在日外国人擁護運動でも、何らかの具体的行政施策を実現しようとした場合、政党との連携無しには困難なのも事実である。その場合やはり社会党の良識派が期待されるのである。
ここで一般的に市民運動と結び付くのは左派=守旧派=社会主義協会派との理解があるが、それは間違いである。例えば田辺前委員長につながる部分は協会派ではないが、協会派はそれらと野合し市民運動派を弾圧してきた。
以前、外国人登録改正運動で、市民団体との連携を進めようとした政策審議会の書記は「NLP基地建設反対運動オルグ」を名目に、突然国会から三宅島に飛ばされた。
最近では、やはり社会党系の日朝運動組織専従者が、「反北朝鮮糸の団体と釣るんだ」ことを理由に当該組織の解散と同時に、退職金も無しに解雇されたうえ、再就職も妨害されたのである。
こうしたことを平気でやるのが本当の守旧派であり、反対派を次々と粛正した、スターリンの弟子たちが日本共産党以外でも生き残っているのである。
こうした連中の攻撃にさらされている人々、具体的にはシリウスやニューウェーブの会、が市民運動との架け橋となっているのだ。
その意味で、連合傘下の各組合が行おうとしている選別推薦は市民運動を意識してのことではないのであるが、注目すべきものである。もちろん選別推薦とともに葬られる市民運動もあるかもしれないが、生活から遊離した政治主義的市民運動、守旧派にべったり、もしくはタカリ紛いの市民運動はこの際なくなるべきだ。
逆にそうした部分から「右翼だ、日和見だ!」と批判される運動こそ、日常地道な活動を行い、日本の民主主義確立に貢献しているのである。
また、現時点ではこうした運動と、連合及び各組合との結び付きはまだまだ弱いものだ。しかし具体的な共闘を通じての信頼関係は、着実に地方から築き上げられてきている。もはや、社会党の変革は党内、中央からでは困難と言わざるを得ない。その希望は党内良識派、市民団体、労働組合とのネットワークの広がりにしかない。そしてその結果が社会党の財産が継承されるならば、新党であってもいっこうに構わないし、社会党が生まれ変わった、即ち改革の成功を証明することにもなるのである。 (大阪 T)
【出典】 青年の旗 No.184 1993年2月15日