【投稿】「旗」編集部の呼びかけに応じて、このごろ感じていることを書きます。
○「マルクス主義に経営論が欠落している。」(上野千鶴子)「旗」183号依辺論文引用の指摘は実に重要な問題で、もっと深く掘り下げる必要があるのではないでしょうか。すくなくともマルクス主義をイデオロギー的側面のみではなく、もっと科学的に純化し、科学的思考の原則として自立させる必要があるのではないか。この分析がなおざりにされたために「経営論」の分析ができず、現状の分析をイデオロギー的独断ですませてきた。そんな気がしてなりません。経営論-そのマルクス主義的分析を通じて現代の資本主義の客観的分析が可能であって、いたずらにイデオロギー優先の「左」「右」のいろわけはいまや全く意味がなくなったといわざるを得ません。最近の論調でも「日本的ケインズ経済学が誕生する」(「ダイヤモンド」92.12.26号)という解説があり、高度化し複雑化している現代資本主義とその危機のなかで、マルクス主義の深化を通じて全面的に対応する分析が必要なのではありませんか。その意味で言えば、今われわれは現状分析の科学的解明を急ぎ既存の「経営論」とも互角にわたりあえる理論及び組織を必要としています。
「旗」紙においてもさしあたり昨年の経済学の成果といわれている吉川洋「日本経済とマクロ経済学」や宮崎義一「複合不況」などについてコメントしてほしいと思います。
○ぼく自身としてはこのような現状に対する分析のひとつとして御園生等編「いま、マルクスをどう考えるか」のいくつかの論文一宮塚、福田、鎌倉、鈴木の諸論文に啓発されたことを書いておきます。
○印象批評で悪いですが、テレビで山花さんという人を見て、これはダメだと思いました。どうも人はいいみたいだけれど、迫力がない。自民党の連中はみんなワルそうだけれど(事実ワルいんだけど)なにかワルいなりに魅力をもっている。小沢一郎などというひとはいかにもなにかやるぞという感じがする。山花という人はそれがない。いま国会議員全部のうちの150人ほどが二世議員だそうです。やっぱり毛並とか組織というものが政治の世界では決め手になるらしい。それでは保守も革新もみんな同じだということになる。優柔不断で人はいいけれど、迫力はないし事後追認ばかりで、いつまでたっても自己脱皮ができない。従って解党的出直しもできない。ぼくは社会党にも良心的な人が多いので党改革のできる人が結集すべきだとおもいます。結集してはやく純化すべきだと思います。このままでは憲法問題でもみんな自民党にイニシアチブをとられてしまう。「旗」紙がどうすべきかなどとはいえませんが、すくなくとも社会党の一年生議員は応援すべきだと思います。
以上勝手なことを書いてしまいました。これからはなにか大きな転換期に入っていく気がします。ぼくが「旗」紙に注意したのは、91年8月のソ連のクーデタ騒ぎのとき断固として改革派を支持したことです。もし、また「マルクス・レーニン主義」などと言い出したら縁を切ろうと考えていました。幸にして「旗」紙は正しい進路を選択しました。当然のことですが、歴史にあともどりはありえないのです。
「旗」編集部の尽力を願ってやみません。
(大阪・K生)
【出典】 青年の旗 No.184 1993年2月15日