【投稿】改革派に求められるものは?
—手間暇かけた民主主義の徹底こそ必要—
<パフルの後処理はこれから本番>
「改革」はいまぞ錦の旗であり、これを言わないものは政治をやる資格がないようなブームとなっている。当然のことながら「改革」というからには、従来の政治・経済の手法の行き詰りをそれぞれ認めている。
バブル経済の崩壊は構造的な「複合不況」を引き起こし、これから、この事態に対する本格的な「手直し」が行なわれていこうとしている。金融関係における不良債券はいまだに明らかにされず、都市部では「地上げ」の爪跡がそのまま放置され、計画は中断したままである。大手各社はバブル期に毎年1000名規模で新入社員を雇い入れたが、今度は「不況」を口実に大幅な人員削減を行ない一層の「効率」経営へと、貯めこんだ利益は吐き出さず、労働者への一方的な責任負担をおこなっている。今回の合理化で特徴的なのは、管理職クラスにまで及ぶ退職、配転、出向である。いまや45歳で肩たたきがはじまっている。これらをめぐった処理はこれからが本格的なものであり、いまはまだその準備、手始めに過ぎない。
<三権分立は腐敗防止の前提>
バブル崩壊を期に吹き出た政治家と金融・一部業界・暴力団との癒着した金権腐敗政治の実態。これらに象徴的な人物、田中・竹下・金丸という流れのなかで自民党の長期支配の結果、この権力の腐敗は誰の目にも明らかとなっている。最近ではこれらの既製政治の暗部に執着するものを「旧守派」と呼んでいるようである。「改革」ブームのなかでも政治改革はもっとも重要な課題であるが、もっぱら選挙制度や政治家の「良心」の問題として語られ、「政治」は汚いものとしてすっかり定着した感がある。
三権分立は権力の腐敗を防止する前提であるが、日本においては立法府たる国会(政治家)と行政府たる官庁、司法府である裁判所がかなり癒着しており、これに財界がからみながら、お互いのあうんの呼吸で物事が推移しているようである。自民党のつくりあげた金権腐敗の構造そのものを政治改革の中で問わなければ、一応に政権の座につくものはこの病に犯されかねない。したがって政治改革は、行政、財政、司法を含めて根本的に問いなおされなければ腐敗政治の根絶には結びつかない。
新保守主義がかつて民間活力の導入・「小さな政府」論でで全世界を動かし、ジャパン・アズ・ナンバーワンとまでいわれ、日本では中曽根が「行政・財政・教育」の3大改革をうたったのは比較的最近のことであるが、結局これらにはほとんど手をつけず、貫徹されたのは公社・現業の民間資本への安価な払い下げであったことは誰が見ても明らかである。佐川・暴力団問題、金丸問題に象徴的な金権腐敗構造がただしく究明され、司法のもとに裁かれるならば、同様に、行政や財政(中央と地方)についてもメスをいれるべきである。
<首長選挙での相乗り状況はなぜ?>
安易な民主主義の現実選択だ!
この点で注意しなければいけないのは、日本全国の首長選挙での相乗り状況である。議会選挙では各党は独自に候補をたてながらも、首長選挙はよくて自民党VS反自民vs共産党、最悪、相乗りvs共産党である。この背景には現在の地方自治法上の制約もあるであろうが、結局、中央との財政パイプ・官庁との人脈である。
政策協定は確かに現実の妥協と一時的な成果をもたらすであろうが、.ひとつまちがえば「旧守派」と同じである。中央政治との自己区別をはっきりさせるならば、密室政治にしない手段が請じられるべきであろう。「国会対策」という密室で決着を謀る政治手法がまねいた政治不信でもある。国会が単なる手続きの場となり、法案はすべて官僚が準備をし、国会とは関係のない自民党のドンがすべてを握っている。これがこれまでの現実である。自民多数派の時代は法案が国会にでてしまったら「負け」とまでいわれ、その後参院での与野党逆転が事態を変化させてきた。しかし基本的手法は国会対策政治であった。
民主主義はひとつの決定をめぐってどれだけ人々の参加(批判も当然含む)を得られるかにかかっている。手間暇をかけた政治のあり方へ主権者たる我々自身の生活のあり方も改革を迫られているといえる。たとえば地方議会では労働者が参加でき、直接発言できる日や場所を設けている国もある。選挙の投票は1週間もかけている国もある。安易な現実安協ではなく、民主主義の徹底の中にすぐれた現実的解決も見出せるのではないだろうか?
(東京・Ⅰ)
【出典】 青年の旗 No.185 1993年3月15日