【投稿】政治改革の裏舞台
–日本新党にみる政界再編の構図–
政治改革はもっぱら選挙制度の問題にまたもや煮詰まってきた感があるが、ともかく腐るところまで行き着いた政治の現状を何とかしなければいけないという点では同じ土俵にあるわけで、それはこれまでの保守とか革新とかいうそれぞれの政治事情をとうに乗り超えて、具体的な生活選択の問題としてもリアルに政治が応えなければならないという、<日本と世界の現況>に大きく動かされていることは間違いないであろう。
このいわば「改革」ブームにおおきく波紋を投げかけたのが日本新党であり、平成維新の会であるが、この政治グループの背景もしっかりと見ておく必要があると思い、以下紹介する形でそれに代えさせてもらう。もちろんこの指摘がすべてではないが、現実にそうであるという事実は彼等は何も説明していないのであえて紹介し、議論の材料としてほしい。
<日本新党の流れ>
細川護熙は旧熊本藩主細川家18代。1938年1月東京都生れ。父、細川護貞は近衛文磨首相秘書官、永青文庫理事長、神社本庁統理。母、湿子は近衛文磨の二女。上智大卒。朝日新聞記者。71年から参議院議員(自民党)2期、83年から熊本県知事(自民党公認)2期つとめる。90年自民党の推薦で、東京都知事選に出馬の動きがあったが、現職の鈴木知事が降りず、断念した。91年かわって出馬した磯村尚徳が、鈴木知事に惨敗したのは記憶に新しい。細川出馬、磯村出馬を仕切ったのが、誰あろう小沢一郎・自民党元幹事長である。91年行革審部会長。92年日本新党結成。
細川と佐川清(佐川急使元会長)との関係は有名で、新潟・赤倉細川別荘と京都・南禅寺にある細川家別邸を、佐川清や次男の光に長年にわたり賃貸し、家賃収入を得てきた。細川はまた右翼の四元義隆(血盟団員。黒幕牧野伸薪、大川周明と井上日召、団員との連賂役。安岡正篤の弟子)とも頻繁に交友関係にあり、四元は日本新党の陰の立役者ともいわれている。
細川の日本新党が旗揚げされたのは92年5月。結党宣言はr文芸春秋』92年6月号に掲載された。文芸春秋はアメリカCIAの下請けジャーナリズムといわれ、日本新党の対米政策も、市場開放の推進、日米安保条約のより包括的・安定的な発展をめざすなどアメリカー辺倒である。実は規制緩和、許認可権の見直し、市場開放(コメや食品の自由化)、地方分権(小さな政府)など新党の政策は、アメリカの「スタンフォード大フーバー戦争・革命・平和研究所」が中心となっている「モンペラン協会」のかかげる(大資本優遇)政策や中曽根の臨調・行革路線の主張と同じである。
日本新党は主として五つの人脈があると言われている。一つは細川自身の殿様人脈。事務局長は永田良三、永田家は細川家の代々家老職をつとめる。二つは八幡製鉄から鉄鋼労連会長、松下政経塾長の宮田義二を筆頭とする松下政経塾人脈。宮田は勝共連合人脈のひとり。三つは行革固民会議のメンバーで日本新党企画調整本部長の金成洋治を筆頭とする行革審人脈。四つは政治分析センター代表の松崎哲久(ハーバード大研究員、中曽根自民党総裁付)を筆頭とする政治プロパー人脈。五つは小池百合子、円より子などタレント人脈。日本新党は結党以来、自民党小沢派の別動隊といわれる。別動隊の中核が宮田を筆頭とする松下政経塾人脈である。
<平成維新の会の流れ>
日本新党と併走する集団に「平成維新の会」がある。
大前研一が平成維新の会を旗揚げしたのは92年11月。大前はMIT大学院原子工学科博士課程修了、70年から日立製作所で高速増殖炉の開発に従事、72年マッキンゼー(世界最大手の経営コンサルティング会社。本社ニューヨーク)に転身、79年日本支社長。現在マッキンゼー・ジャパン会長。大前はアメリカ企業の代理人としての商売をしているにすぎない。夫人はジャネット。また大前は加山雄三のヨット仲間。各地の漁港が公的補助で作られているのにひきかえ、ヨットハーバーが不十分なのに腹を立て、農漁民への補助の打ち切りと、一定所得以下の農漁民の切り捨てを主張する。
岩国哲人出雲市長も重要である。東大法学部卒。日興諾券入社、77年モルガン・スタンレー投資銀行部長、84年世界最大の証券会社メリル・リンチ社(本社ニューヨーク)専務、のち上席副社長、89年に出雲市長に当選。岩国はアメリカ私企業から日本の行政へ送り込まれた代理人。岩国には細川との共著『鄙(ひな)の論理』がある。
<財界が政治のおもて舞台へ>
一連の動きが、1)政治浄化のはずが選挙制度の問題にすりかえられ、国際貢献という名の改憲へまっしぐら、2)談合を中心とする族議員・業界の癒着構造、許認可権の緩和と市場開放、この二本立てである。金丸逮捕は、アメリカ、そして政官財界の奥の院、検察がつるんだ威しであり、1)、2)は「本気だぞ」と内外に示した意味がある。
検察は従来、竹下派が牛耳り、本来なら金丸逮捕に動くわけがない。ところが昨年秋、文芸春秋から根来法務事務次官攻撃が行われ、同じ頃佐藤札幌高検検事長が朝日新聞の論壇に投稿、検察批判を行ったことによって検察内部の空気が一変した。法務大臣に後藤田正晴が就任し流れは決定した。金丸逮捕の直接のきっかけは大蔵省国税局査察部(マルサ)からの情報である。
中曽根の臨調方式以降、財界は政治の表舞台へ堂々と登場した。彼等は直接、政策を提示し、しかもあたかもそれが第三者的な立場で「多数の利益」であり「正義」であるかのような雰囲気づくりをして、マスコミを動員した。こうした事態に国会は空白化し、政党政治が無形化することは明らかであり、野党はこれに国会対策政治で対抗するだけであったことはつい最近の事である。いまやその自民党すら必要がなくなったのである。自民党自身が財界にとっての「改革」の邪魔となったのである。
政界再編の流れを仕切っているのは、モペラン協会と結んだ「産業計画懇談会」(桜田武代表世話人=元日経連会長)、「世界経済調査会」(木内信胤理事長=元勝共連合を応援する会座長)から第二臨長、行革審へいたる人脈。
現在は政治改革推進協議会(民間政治臨調。亀井正夫会長=元住友電工会長、日本生産性本部会長。国鉄再建管理委員長として国鉄分割・民営化に葬走)である。ここには後藤田法相のほか細川護照、小池百合子なども加わっている。 (東京Ⅰ・板橋M)
【出典】 青年の旗 No.187 1993年5月15日