【投稿】政界再編の起爆材となるか、シリウス
シリウスをどう考えるか、この文章のテーマである。
<危険な「政権交替のための政界再編論」>
その前に、現在の政治状況の特徴と、何が求められているのか、私見を述べたい。
金丸・竹下金権腐敗の実態が暴露され、ロッキード、リクルート、佐川と続いた政治腐敗に対して、労働組合員のみならず国民全員に、「怒り」から「あきれ」に近い虚脱感が広がり、自民党も自民党なら、野党も野党だという意識も強く、「既成政」全体への不信が広がっている。日本新党が、相次ぐ自治体首長選挙で勝利しているのも、「新しさ」への国民の期待の現れであろう(もちろん、期待だけに終わる可能性が強いが)。
社会主義体制(?)が崩壊し、冷戦が終結、世界政治は新しい舞台の幕を開けたわけだが、世界と日本が直面する環境問題、地域民族紛争、南北問題、人権問題などの課題は、時代遅れの旧来の発想で解決のめどがないことは、国民共通の意識になりつつある。
一方で、佐川疑惑や竹下皇民党事件がうやむやになり、金丸の建設省利権による不正蓄財と汚職構造が明かになったとは言え、このままでは、原因であるところの根本的な汚職構造が改められる見込みも少なく、一時しのぎ的に、政治改革=選挙制度改革に焦点を意識的に移されようとしているのではないか。
しかし我々は、汚職構造を単に「長期政権は腐敗する」などと一般化することなく、「政権交替可能な政界再編」などというごまかしを許すべきでない。自社共に、現在の日本の政治に求められている課題を解決できないほど、国民から飽きられているのは現実であっても、単に政党の分裂と再編で支持を再び、という甘い夢に同調するわけには行かない。もっと、政治・政党について議論し、国民や労働組合員、一人ひとりが政治に関わっていく「スタイル」と「コンセプト」を提供し、「新しい政治活動」をどう創るかを真の「改革派」は問題としなければならない。「清新で」「先進的で」「活動的で」「公開された・大衆的(親しみやすい)」政党こそ求められているのではないか。
その点では、最近のマスコミ(テレビを含めて)が、「保守派(守旧派)」と「改革派」という言い方で、「改革(派)」一般をクローズアップさせながら、改革・政策の中身について、その実現性や核となるべき「民主主義」や「公平」「人権」といった内容の検討を行わず、イメージを先行させている姿勢に無批判ではいられない。また、自民党の保守性よりも野党陣営の中にある「保守性」(私自身も社会党、労組の封建的とも言える民主主義の欠如の問題を無視しえないとは思っているが)を主要打撃の対象としている傾向にもしっくりしないものを感じている。
<シリウス、政策創りはこれから>
政策研究会「シリウス」発会趣意書(92年11月3日付)を見ると、「私達は、冷戦時代の固定観念から完全に脱却し、新しい展望を模索して徹底的に創造型、未来思考型の議論をしたい。いかなる行動や政策についてもオルタナティプを示したい」「・・・・政治の新しい展望を拓くのは、政治家一人ひとりが政党の枠を超え、清新な志をもつ国会議員が個人として横断的に集まり、相互に政策研究で切磋琢磨する場として、本会を結成することとした。」とし、位置付けは「政策集団」である。
この時点で、参加した国会議員は社会党衆議院議員14名 社民連2名 参議院では、社会党7名 連合参議院(現在の民主改革連合)4名の27名である。(後 社会党から2名の参議院議員が参加し29名に)
シリウスの参加者の特徴を並べると、中心が社民連江田であり、社会党内で言えば、ニューウェーブの会、AND(アクション・ニューデモクラシー)など新人議員が多い事、全電通出身の組織内議員がいることなどであろうか。
また、政策誌「シリウス」には、労働界からも、鉄鋼労連、自動車総連、金属機械、情報労連、自治労、など旧総評の主だった単産の委員長が、政治改革を期待する一文を寄せており、「シリウス」への関心の探さ、注目の度合を計ることが出来る。
参加している議員の一人ひとりが、国際・外交、内政、政治改革、地方自治、高齢者福祉、環境問題などの政策提案を政策誌の中で行っており、発言し行動する議員というイメージを打ち出している。
しかし、一面シリウスは、社会党をさらに右へ導く役割を持っているような気がする。いまさら右だ左だという言い方は、自分自身もう時代遅れという気がしているのだが、敢えて言えば、さらに右である。ただ、社民連江田が、それなりのキーバーソンであり、硬直した既成政党に対して、清新なイメージを国民に抱かせつつ、新しい、社会党の流れを創り出す可能性を持っていることも否定できない。
もちろん、現実主義に立つことは、それ自体を「右寄りだ」などという意見には組み出来ない。現実からの一歩を確実に、次につないでいくことは、大切であり、単なる思想集団では「国民政党」にはなれないのである。
ただ、政策誌を読む限り、政策集団とは言え、政策議論はまだまだというところで、まとまった政策が打ち出されているわけでもない。まだまだ、ムードだけというのが実態である。
江田は巻頭の言葉で、社会主義は我々の未来の語彙にはないといいつつ、社会主義運動の楽天主義だけは、受け継ぎたいと述べている。この点はすこし私は違和感を感じている。まだ、私は社会主義というものに拘っているからであって、もう少し自分の中の「社会主義論」を整理してから、意見を言いたいと思う。
いずれにしても、政権交替のために大同団結という議論では、すこし無理があり、むしろ社会党改革や社民結集という枠組のなかでの、シリウスの役割についてなら私もシリウスには期待するものがある。そういう意味では、社会党の93宣言は次の機会に検討したいが、ただ一つ指摘したいのはやはり「党と労働組合」との関係であろう。労働組合あっての社会党、という現実に社会党側がどう決着をつけるのか。労働組合は、労働者にとっては守り手であっても、国民全体では利害が異なる場合もある。既得権の擁護だけでは、それこそ改革は進まない。むしろ、政党の足かせとなる。
日本新党はすでに「政党」である。シリウスは政党ではない。この点が今後の、いわいる「改革派」陣営の中での、シリウスの特徴でもあり、曖昧さでもある。またこの状況こそ社会党改革の遅れと大いに関連しているところであり、安易な社会党分裂論では、逆に社会党関係にとってシリウスが危険な存在だとも言えるのである。
(大阪・佐野秀夫)
【出典】 青年の旗 No.187 1993年5月15日