【投稿】現代ゴミ事情 ゴミ焼却場建設を巡って

【投稿】現代ゴミ事情 ゴミ焼却場建設を巡って

読者の皆さんは、家庭から出るゴミをどうしているでしょうか。きっとゴミ袋か何かに詰めて、町内や団地内の決められた場所に決められた曜日の朝に出していることでしょう。
出されたゴミは、程なく昼までみはパッカー車で残らず運ばれている筈です。残っているゴミ袋があったり、集配が忘れられたりすることなど絶対にないでしょう。ところがゴミが運ばれることなく、町のあちこちで置き去りにされてしまう事件がありました。私の住んでいる大阪府河内長野市のゴミ事情をレポートしつつ、ゴミ問題を考えてみました。

<焼却場周辺住民が、ゴミ搬入に実力行動>
新聞やテレビのニュースなどで少々騒がれましたので、御存知の方も多いと思いますが、事の発端にはゴミ焼却場建設の問題がありました。河内長野市のゴミは、近隣の市町村でつくる南河内清掃組合という事務組合によって処分されており、現在のゴミ焼却場は富田林市に有ります。ここに3市2町1村分のゴミが全て集められ、日々フル回転しているわけです。この南河内地区というのは、近年大規模な住宅開発や高層マンションの建設が進み、人口が急増している状況にあります。当然ゴミの量は増え、富田林市のゴミ焼却場だけでは持ちこたえることができず、第二焼却場の建設の必要性が生じてきたのです。と言ってもこれは今になって出てきた話しではなく、かれこれ13年前に、現在の市長が初当選する際に「ゴミ焼却場建設」を公約してからずっと焦点化していたものです。その後、2度候補地があげられましたが、住民に金をバラまいたり、周辺住民の強硬な反対にあったりで、いずれも頓挫しています。そして、今回の天野地区が3度目の最後の候補地となったのですが、やはり周辺住民の反対運動が起こり、行政側はまたも立往生することになります。そうこうしているうちに、第1焼却場に運ばれるゴミは増え続け、河内長野のそんな状況に業を煮やした第1焼却場周辺地区の住民が「第2焼却場建設のメドが立つまで、河内長野市のゴミを搬入させない」とアピールし、ついには焼却場入口でのピケによる実力行動に出たのです。行政側は集配時間を早める等で対応しましたが、とっさの目先の対応でしかなく、当日は積み残されたゴミが街中で見受けられるという状況になったわけです。

<住民エゴでは、解決しないゴミ問題>
さて、河内長野市のゴミをめぐる状況を簡単に説明しましたが、ここで問題になっているのが、増え続けるゴミの処理をどうするのかという点です。出されたゴミは焼却しなければならず、焼却揚が足らなければ建設しなければならない。この点では、行政はもとより、議会も住民も一致しているのですが、いざ実際に自分の住んでいるところに焼却揚ができるとなれば、反対の住民運動が起こります。その反対の根拠は「焼却場建設によって緑が破壊される」「空気が汚染される」云々といったものです。特に今回の天野地区では「市営斎場に続き、またもや嫌悪施設を押し付けるのか。同じ市民でありながら、他地区に比べて不公平ではないか」ということが強く叫ばれています。
私は、たいていの住民運動に対して理解するところが多いのですが、この「ゴミ焼却場建設反対」の住民運動だけはどうも納得できません。なぜなら、生活していく上でどうしても生じるゴミに対する考え方の転換なしに、ゴミを出し続ける市民でありながら、近くにゴミ焼却場が建設されるとなれば反対するというのは、生活者としてあまりにも無責任ではないかと思うからです。確かにあらゆる地区から出されたゴミが自分の住んでいる一点に集中するというのはイヤなものでしょうが、自分もそのゴミを出している一市民なのです。ゴミを減らす努力はしているのでしょうか。再利用できるものがまだあるのではないでしょうか。資源ゴミと一般ゴミを分別しているでしょうか。古紙は回収業者に出しているでしょうか。牛乳パックはちゃんと集めているでしょうか。これらのことは市民一人ひとりに問われている当然の義務です。「ゴミに対する考え方の転換」というのはこういうコツコツとした日々の心がけの問題なのですが、実際にはなかなか定着していません。現実にゴミが増えている中で、並行してこうした減量化の努力は続けなければなりませんが、やはり焼却場は必要なのです。私なら、もし自分の住むに街にゴミ焼却湯ができるとなれば、これまでの生活を省りみつつ、賛成するでしょう。
ゴミ焼却場建設を巡ってのやりとりで、河内長野市が注目されることになりましたが、これは現在のゴミ問題のほんの一端ではないかと思います。大量消費社会などと言われている中で、現れ方の違いはあれども、いろいろな面でゴミの問題は問われています。それらは、企業や行政の問題として扱われている場合が多く、確かにそういった側面も強いのですが、今や生活者としても市民の自覚、モラルの問題にもなってきているのではないでしょうか。何もかも行政まかせにするのではなく、市民としてできることは自分達でやっていく、それが本当の意味での住民意識の高さ、市民レベルの高さであり、力強い住民自治を創っていく上での実になっていくのではないでしょうか。ゴミ事情や反対運動を見て、そんなことを感じた次第です。     (大阪 江川 翔)

【出典】 青年の旗 No.187 1993年5月15日

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