【投稿】総選挙は何をもたらしたか
—-非自民連立政権の登場と社会党の惨敗が問いかけるもの—–
<総保守が勝利したのか?>
今回の選挙結果を見て、たとえ自民党の過半数割れという新しい事態をもたらしたとしても、新生党やさきがけはもともと自民党から分裂したものであり、日本新党も本来保守勢力の一翼にしかすぎないことからすれば、保守勢力がかつてなく強化されたのである、という論調が主流となっている。果してそうであろうか。確かに得票率を見ると、自民=36.6%(9.5%減)に対して、新生=10.1%、さきがけ=2.6%、日本新党=8.0%で、3新党合計で20.8%を獲得し、自民と社会=15.4%(9%減)の減少分を合わせても、それ以上Lの得票率であり、自民+3新党の得票率合計は57.4%となり、有効投票の6割近くが保守勢力に投じられたといえる。しかし3新党、とりわけ日本新党の得票の多くは、これまで保守批判票の受け皿であった社会党から流れたものである。問題はそれだけではない。
それは、棄権票がかつてなく増大したことである。そこで、有権者全体に対する得票率、つまり絶対得票率で党派別の推移を見ていくと、86年7月選挙、90年2月選挙、そして今回で、社会党は約1.2%、公明、共産、民社3党も0.7から0.3%、それぞれの党のサイズに応じて同様な得票率を減少させている。問題は、総保守も今回で約2.5%減少させていることである。既成野党が総じて得票率をすべて減少させているのと同様に、保守の得票率もやはり減少傾向を免れなかったのである(7/27朝日の分析)。これは何を意味しているのだろうか。今回の投票率は67.8%で、史上最低であった。しかも今回の棄権には、政治的無関心の棄権に加えて、政治に高度な関心を持ちながらも、現在の与野党の実態から意識的に棄権を選択する「攻撃的アパシー」の有権者の増大が指摘されている。自民党が、野党連立政権などという不安定な事態を許すのか、といわば体制選択を迫ったにもかかわらず、有権者の3分の1が棄権し、しかも投票した人の3分の2が自民党以外の政党に投票したのである。総保守の勝利とはとても言えないばかりか、保守の要であった自民党はもはや政権与党から引きずり下ろされてしかるべきであるという、これまで想定もされなかった審判が下されたのである。
日本の政治が一気に緊迫の度を増し、政権交代が現実のものとなり、反共と談合政治、政官財の癒着構造で腐敗しきっていた自民党の政治独占が打破され、新しい歴史的変革への胎動と活性化が始まったといえよう。
<問われている社会党の再編成>
しかし今回の選挙は、こうした保守党一党支配の終えんをもたらしたにもかかわらず、同時に社会党に深刻な敗北をもたらした。保守の「分裂太り」とともにすなおに喜び得ない事態でもある。議席を大幅に減らした上に、最下位当選がもっとも高く、実に41.4%が最下位滑り込みである。連立政権与党第一党を誇れる状態ではないばかりか、こういう状態のままで小選挙区制に突入すれば、決定的な敗北につながりかねないといえよう。それは保守勢力を喜ばせるだけであり、見過ごし得ないことである。
どこに原因があるのであろうか。田辺前委員長と金丸前自民党副総裁との「親密な関係」によるイメージタウンであるとか、自民党政府の政策を受容するかどうかを巡る現執行部のふらつき、その時の対応のまずさであるとか、情勢の変化を追認するだけで独自政策がまるで出されていない、等々、
いろいろ指摘されており、それらはその通りであろうが、あくまでも短期的な敗因である。また、55年体制・冷戦時代の思考に埋没し、単なる抵抗政党のままにとどまっているとか、あるいはいまだに労組依存から脱却し得ていないといった長期的な原因も指摘されているが、それは今に始まったことではない。いずれも克服されなければならいことではあろう。
一つの視点として、鍵は、日本新党の躍進がどこからきているのかということにあるのではないだろうか。それは新しい活力をどこに求め、いかに取り込み、結集していくかということでもある。これまでの基本政策の大胆な見直しは当然必要なことではあるが、それ以上に、平和、人権、環境、そしてとりわけ女性と高齢者問題で独自の、分かりやすい、具体的な政策を打ち出し、しかもその政策形成は、過程から決定に至るまで広範な公開を原則とし、党内外のあらゆる勢力を結集することである。これは夢想であろうか。歴史的な大きな変化の兆候の中で、社会党自身の新たな再編成が問われているのではないだろうか。
(生駒 敬)
【出典】 青年の旗 No.189 1993年8月15日