【投稿】労働組合の再生について思う
183号より4回に渡って掲載しました「労働組合運動の再構築にむけて」論文に対して、意見を頂きました。以下に掲載させていただきます。更に投稿をお寄せください。
依辺氏とは以前よく議論をする機会があって、そのたびにその論理の明快さ、発想の大胆さに感心していたが、この間「青年の旗」紙上に載った論文「労働組合の再構築に向けて」を読んで改めて彼の現状分析の正確さ・未来をみる日の確かさに舌を巻いた。その背景には、彼自身が「自治労」の分裂を体験し、新組合の結成を決断し、「労働組合」の根本を問いなおしながら新組合の力量の強化・活性化をなし遂げてきたという大変な努力があったと思う。私などはとても彼と同じ水準で議論することはできないが、彼と同じく一組合役員として自治労分裂を体験し、これからの労働組合のありかたについて非常な危機感を持っている者として、感想を述べてみたい。
彼の論文は、労働組合論の広範囲にわたって展開しており、いちいち納得してしまうのであるが、私自身が共産党系の旧衛都連の組合に属しているため、特に「赤色労働組合主義の完全払拭」それに関連した組合の民主主義的運営の問題について感じるところが大きかった。
共産党系の組合は表向きは政党支持の自由を掲げて「連合」組合との一線を画しているが、その活動の中身をみると完全に共産党の方針に従属していることはだれの目から見ても明らかである。ビラを見ても、情勢の評価や政治方針は共産党の方針が出なければ出てこない。ほとんど赤旗の受け売りや、ひどいときになるとまったく赤旗と同じ文章が載っていたりする。例えば、市長選挙をめぐる推薦問題でも自分達では決定できず、共産党地区委員会の決定が出てから選挙の直前になってなんの下部討議もなく突然推薦取り下げを決定したりする。彼らの情勢評価や方針に共産党の方針に反するものが一つでもあるだろうか。その意味では、社会党の方針であろうと公然と反論し、行動もするいわゆる社会党系組合のほうがずっと政党との対等性、独立性を保っているといつも思うのである。
このような組合であるからその組織運営についてもいわゆる「民主集中性」の名の下に徹底的な異論の排除、圧殺が行われる。自治労からの分裂の際、私は組合の方針に反対し、ビラを撒いて大会でも反対意見を述べた。しかし、私が執行委員の一人であったことから、執行委員会で決定したことを覆そうとするのはまさに裏切り行為であり、そのようなことするのは社会党の回し者で資本の手先だと徹底的なキャンペーンをはられた。イタリア労働運動における「反対意見者の行動留保権」などという発想は微塵もないのである。
しかし、分裂のほとほりがさめ、自治体労働運動が二つの潮流に固定した現在、組合の中はいたって平穏である。一時は役月選挙で執行部反対票がかなり出たにもかかわらず、今は組合大会で執行部方針が全員一致で承認される。これは一体どういうことであろうか。これはまさに依辺氏のいう「暗黙の二重理解」ということであろう。提案された「案」はあくまでも「建前」なのだから提案者の顔を立てて賛成するが、実際上の行動は現実対応で行う。組合員、特に行政の実態をよく理解している本庁の事務職は冷め切っているのである。
もし、現在の組合が一定支持を得ているとしたら、それは「職場委員会活動」の積極的な展開であろう。私自身も組合役員をしているときはそれを主な活動に してきた。しかし、この活動も現在の組合の古い発想の下では矛盾につきあたる。結果的にイデオロギーの一致を求めている組合の方針と、職場の実態から出される具体的な職場要求とは当然質が違ってくる。それを統一させることは困難である。例えば、職場では仕事を効率的に進めていくためにコンピューターの導入を求めても、組合中央が認めて当局と交渉しない限り導入はできない0しかし、組合中央は職場の実態を具体的に把捉する能力は持っていないからコンピューター導入に対する一般的な評価しか下せない。結果として、現場から組合中央に対して突き上げがあるということが起こる0職場の具体的な要求に基ずいて組合全体の方針を変えていくなどという発想は起きるはずもないから、結局職場には言いたいことを言わせてそのエネルギーを利用するというところにとどまっている。職場要求を本当に大切にしていこうと思うならば、依辺氏の指摘するように交渉権や財政権・決定権などの組合機能の分権化が不可欠である。
このような労働組合の中で役員になることはまさに苦行である。以前に役員をやっている共産党員の活動家から「しんどい」「組合員がちっともわかってくれない」という愚痴をよく聞いた。イヤイヤやる組合活動などやめたらいいのである。
これからの労働組合運動を考えるとき、官公労組合、民間組合にかかわらず労働組合と地域社会との結び付きが非常に重要だと思う。自治体組合については特にその意味が大きい。自治体には地域の様々な情報が集中している。それらの中には市民生活や市民運動にとって本当に必要であるものがあるにもかかわらず、肝心なところはほとんど市民に伝わっていない。
これらの情報をただ広報として流すだけでなく、具体的な市民生活や市民運動に自治体職員がかかわる中で的確に効率よく利用できるなら、どれだけ地域社会を活性化することができるであろうか。(市民運動に参加した自治体職員がどれだけ重宝がられるか!)その媒体としての自治体労働組合への期待は相当なものがあると思う。しかし、現状では、できるだけ自治体内部の情報は外に流さないという「役所的」あるいは、一種の「会社本位主義的」対応に終始しているのではないだろうか。その意味で、自治体労働組合が地域の様々な人々とともに情報公開運動の先頭に立っていくことが必要ではないだろうか。(もちろんプライバシーの保護と対にしながら)そのことが、市民の自治体労働組合に対する「お役所」批判を克服できるし、自治体労働組合の社会性を拡大する道だと思う。新政権の下で、迂余曲折を経ながらも地方分権は確実に進んでいくと考えられるから、この運動の契機は十分にあると思う。
一方、民間組合についても、これまでの「会社本位主義」を克服し、地域社会にかかわっていくことは、組合員の生活を確実に豊かにし、組合の社会性を拡大していくのではないだろうか。
(大阪:N)
【出典】 青年の旗 No.190 1993年9月15日