【投稿】「組合論」メモ
総選挙後、連立政権が誕生した。私は、この結果を、単純に喜んでいる。「単独支配」「一党支配」が、社会の発展や人々の幸福に、多くの害を与えてしまった、この間の歴史上の教訓から、そう思うのである。
社会が高度に発達し、一人一人に大量の情報が手軽に届くにつれ、それぞれ発想したり、考えたりすることが多様になるのは、当然の成り行きである。その多様な考え・意見を、必要に応じて、一つの結論・方針に収赦させることは、社会の運営上、避けては通れないことだ。だが、「国のため」「党のため」「組職のため」という、上からの論理の組み立て方が一般的になってしまうと、個人の様々な意見が吸い上げられにくくなり、一人一人の都合など無視されてしまいがちである。
私が教員になった頃は、職に就いたら「組合にはいる」のが当り前のことだった、少なくとも大阪の地では。「6カ月」を過ぎようが過ぎまいが、始めから組合員だった。しかし、今や、日教組の組織率は減少の一途をたどっており、非組合員が増加している。「連合加盟」云々の状況下で、組織分裂に至ってしまったことは、組戚率低下の主たる原因であることは周知の通りだが、それでは問題の解決にならない。もっと原点に立ち返って、考えてみなければならない。
「生活と権利を守る」--お題目のごとく頭にある、「組合の定義」である。そして、ある一定、歴史的役割を果たしたこの定義を、もっとふくらませて幅のあるものにする必要がある。もっと「サービス機関」に徹することを考えてみたらどうだろうか。私の属する単組では、毎月5千余円の組合費を集めている。年間6万余円を個人から融資されていると考え、それに見合う「サービス」の提供に、役員は知恵をし
ぼるべきである。また、組合員自身も、「困ったときの相談窓口」として、組合を活用すればよい。相談料は、すでに組合費として払い込まれているし、遠慮なく電話やファックスを使って、組合を利用すべきだ。
冷戦時代は終わった。外敵を想定して、「反○○」を鼓舞することは要らない。人間が人間らしく生きれるように、個人の多様な意見・要求を多くの場で求め、それにもとずいて活動方針・組織運営を考える、いわゆる下からの組合作りを、もっと強める必要がある。そのためには、「動員」などという組合用語を一日も早く死語にしなければならない。動員されて集会に行くのではなく、組合員一人一人が、集会の意義や行動の意味をもっと主体的に認識し、参加する形式にして行くようにしたい。その意味で、この間連載された依辺論文には、これまでつねづね感じていたことでもあり、多くの示唆を与えられた。
さらに言えば、日教組は教育について、自治労は自治について、その分野のプロとして提言を積極的に行う必要がある。そのためには、社会に受け入れられるだけの見識を持たなければならない。「批判」を並べ、「反対」を叫ぶだけの組合は、先細るだけだ。高い見識とプロとしての自覚と実行力を兼ね備えれるような組合を目指したいものだ。 (田中 雅恵)
【出典】 青年の旗 No.190 1993年9月15日