【投稿】シンガポールを旅して(大阪教員交流会ニュース NO53 93-9-29より)
<民族の統合を進めるシンガポール>
今回の旅行の目的は、アメリカ以外のアジアの国の学校の視察と勤務する学枚の姉妹校提携のメドをつけることです。その都市としてシンガポールを選んだのは、2つの理由からです。一つは多民族国家であり、シンガポール流の多民族複合教育を行っているのではないか、と考えたのです。もう一つは日本はかつてシンガポールを侵略した歴史をもつので、日本の加害性を検証できるのではないか、と考えたからです。
シンガポールは淡路島ほどの国土に280万人の国民が生活している国です。小さな国であるにも関わらず、イギリスの植民地時代から世界貿易において重要な位置を占めてきたのです。現在では世界的にも有数のジエロン・コンテナヤード、チヤンギ国際空港を擁して、自由貿易港として、世界に向けてアジアの窓口になろうという国です。
シンガポールのおもしろさは多民族の複合、あるいは統合(Integration)を国家が積極的に推進しているということだと思います。現在のシンガポールの人口構成は中国系75%、マレー系12%、インド系8%、他5%です。そのシンガポールの多民族を融合してシンガポーリアンを創りだそうという国家的な実験を行っているのです。
新しく建設されている住宅は数十階建ての高層住宅ばかりです。一棟当りの入居人数はシンガポールの人口比率と同じように割り当てられるのです。ですから子どもは小さいときから、気が付いたら異なる民族と一緒である、という生活をしているのです。ですから当然、学校も人口比率と同じ様な民族構成になっているのです。かつてはアラブ・ストリート、リトル・インデイア、チャイナ・タウンetc.民族ごとに生活空間が異なるように住み分ける傾向があったのですが、今の政府は民族の統合を目指して積極的に国民生活に介入しているのです。
<移民には厳しい統合政策>
民族政策で、アメリカとの違いは移民に非常に厳しいということです。 アメリカは移民の国ですから、認められれば世界中のどの国からでも市民権を獲得できます。アメリカ人としての権利を獲得することができるのです。
シンガポールにおいては、外国人は基本的にシンガポール人としての権利を得ることはできません。マレーシア、タイ、フィリピンから外国人労働者が来ますがあくまでも外国人労働者であって、労働ビザが無効になると帰国しなければなりません。ですから多民族統合というのは、あくまでも中国系、マレー系、インド系のシンガポール人の間でのことなのです。外国人労働者に対しては、厳然とした差別があるのです。彼らに対してはシンガポール人として認められないもとで、働きに来るのだから当然だと考えているのです。
日本とも違います。日本では日本人と外国人が結婚すると、日本国籍を取得できます。ですから偽装結婚という法の網をくぐり抜けることが起こってきます。しかし、シンガポールでは外国人がシンガポール人と結婚してもシンガポール国籍を取得することはできなのです。結婚しても外国籍であることは変わらないのです。ですから偽装結婚をしても意味がないのです。
アメリカは誰もがアメリカ人になれるし、そのもとで多民族統合を目指している国ですが、シンガポールは外国人と明確に区別されたシンガポール人のみの間での多民族統合を目指している国です。日本の場合は外国人が日本人になる可能性を残しつつ、外国人労働者には異化を求め、帰化した外国人には同化を求めるという形で多民族複合の政策を取っていない国といえるのです。
外国人労働者はシンガポールでは3Kの仕事をしています。男性では建設労働者、女性では家庭でのお手伝いさんが多いのです。毎日甲早朝と夕方、トラックの荷台に10人程度の外国人労働者が乗り込み、建設現場と宿舎の間を移動しているのを見かけます。その様な仕事をシンガポール人は絶対しない、と現地スタッフがいっていました。
<自由貿易の保持とマイノリティの保護>
シンガポールが経済的に発展するための政策の根幹にあるのは、自由貿易を保持するということです。自由貿易で日本、アメリカ、ECからの投資によって、完全雇用を創出するということです。完全雇用を実現し、所得から年金の積み立てを義務づけることで、失業対策一社会福祉にかかる国家の財政支出における負担を少なくするという考え方です。 月々の手取りは12~13万円程度ですが、住居は500万円程度で買えるように価格が設定されています。自動車の価格が非常に高く設定されており日本のホンダのアコードが500万円程度するという話でした。公共の交通機関はバスが0.4S$程度(約30円)MRT地下鉄の初乗りが0.6S$(約40円)と安く設定されているのです。給料は通勤経費込みで、支払われるそうです。
教育は国家の政策と深く結び付いています。シンガポールでは、タバコやゴミを捨てると500S$、唾を吐けば500S$、MRTのホームでジュースやお菓子を食べると500S$という具合いに罰金が設定されています。それを認識するように禁止されている項目を書いたTシャツまで売られているのです。それらは教育の力で、教習道徳を守る人間を育てることで、公衆衛生の保持にかかる国家の支出を抑える、あるいは熱帯雨林を抱える国土の保全を図るという国家の政策の実現と結び付いているのです。
また、例えば、肥満の子供には特別のカリキュラムとして体育の授業が追加で課されるのです。それは親のしつけの結果、肥満になっているにしても、その様な生活習慣を断ち切ることが子供の将来のために必要であるということ、孫の代にまで、その様な生活習慣を持ち越さないということと結び付いています。そのことは国家の医療支出を抑えるということの実現と結び付いているのです。
国家による国民生活の向上の実現と教育の果たす役割が結び付いているのです。
言語は第一言語として英語、第二言語として中国語、マレー語、タミール語となっています。かつての宗主国イギリスの言語をなぜ使うのか、と思ったのですが、これは多民族国家として生き残って行くための知恵なのだそうです。
それは中国語を第一言語にすると、外国からの投資が鈍って、完全雇用を達成できなくなる可能性があるからです。ですから、国家のトータルな政策の一環として、英語を第一言語にせざるを得なかったのです。 さらに、中国、あるいは中国共産党との関係があります。中国系の人口が75%であり、インド系、マレー系の人口が減ってしまうということになると、中国本土にいる親戚etc.の関係で中国共産党の影響が出て来ると考えたのです。シンガポールにおいては、マイノリティを保護することが中国化、あるいは共産主義化を防ぐ保障なのです。そのことが外国資本をして安心して投資せしめる条件であったのです。ですからマイノリティの保護も英語圏であることも、国民経済が向上し発展するための条件なのです。
国家が経済的な必要性から、資本の論理からマイノリティを保護するのがシンガポールなのです。ですからマレー系やインド系の人々に対する配慮は生活のいろいろなところで見られます。このことは逆に日本においてはマイノリティの解放や地位向上ということで運動を展開している団体は皆無に近く、交流は望むことはできないのです。そういう意味ではアメリカとは大きく異なっているのです。
健略の地を訪れて 8月15日にシンガポールに「太平洋戦争の犠牲者に心を寄せる集会」をしている団体(代表 高嶋伸欣 筑波大学付属高校教諭)に飛び入りで合流しました。出発する4日程前に、その集会の案内が封書で届いたので、事務局に問い合わせたところ、すでに日本を出発しているということであったので、ホテルと電話番号を開いて、訪ねていったのです 15日には合流はできませんでしたが、部屋に手紙をおいていったところ、夜に電話連絡があり、16日に合流することができました。
血債の塔(Chopstick Tower)、林謀盛の記念碑を見学した後、バスで日本人基地、晩晴園を訪ねました。
血債の塔とは、4本の箸(Chops tick Tower)の様な塔です。日本軍に虐殺された4つの民族を表現しています0つまり中国人ニマレー人、インド人、ユーラシア人です。Civic Centerの前の広場に設けられていました。 林謀盛はマレー半島解放の闘士です。彼の碑は血債の塔の近くに設置されています。碑には4カ国語で彼の業績を讃えたプレートが張り付けられていました。
日本人墓地は、7ヘクタールの土地に910基の墓標が並んでいます。最近まで荒れていたそうですが、近ごろ整備されたそうです。からゆきさんの墓がたくさんありました。また戦死した兵士の墓だけではなく、戦犯処刑された人の墓、近衛師団戦友会の墓碑もあります。戦争中に進出してきた企業が自らの「業績」を讃えて作った碑etc.もあります。この企業はシンガポールでは今でも評判が悪いようです。
晩晴園は孫文が辛亥革命の活動中に訪れた建物であるところから「孫文記念館」といわれています。もともとは中国商人の所有で中国の詩の一節から「晩晴」の名前がつけられたのです。1966年には孫文生誕百周年を記念して4回目の改修をして、一般開放されるようになったのです。常設の「日本統治下のシンガポール」展示が行われています。遺品は眼鏡、時計、ペン、入れ歯、指輪、ピアス、腕輪などが展示され、虐殺の被害者が女性や子供にまで及んでいたことを示しています。
高嶋先生のツアーはマレー半島を北から縦断して南下していくコースがとられていました。高嶋先生の話でなシンガポールでは戦争の時の聞き取りは困難であるということでした。それは、第一に過去の問題として、日本軍の侵略の際に中国人が徹底的に虐殺された結果、「生き残り」として聞き取りができる人が少ないということ、第二に現代のあり様として最大の投資国である日本の感情を害しては資本が逃げていきかねないという配慮から、戦争のことを「過去」のこととして振り返りたがらない、という政府の考え方があるからではないかと感じました。(大阪・F)
追記:大阪の「新しい人権教育」をテーマにしたドキュメントがNHKで全国放送されます。11月の27日又は28日に「国際化と人権教育」という題名になる予定です。
【出典】 青年の旗 No.191 1993年10月15日