【投稿】深刻な雇用合理化と今後の選択は何か?
–冷たい労働運動への視線を変えていくために–
93春闘時、バブル崩壊のつけを労働者に転嫁させない(今後バブルの矛盾の整理が本格的に開始される)、「ゆとり・ゆたかさ」というスローガンの真価を問うことの重要性を指摘してきた。しかし、事態はますます景気後退の中で悪くなり、同様に労働組合あるいは労働運動への視線も冷たくなる一方である。それはあたりまえで、93春闘は実質賃金を守ることもできず、この間おおいに進められた「時短」についてもみるべき改善がなく、それどころか「リストラ」ブームのなかで大幅な雇用合理化がすべての産業で吹き荒れているにもかかわらず、労働組合は「声」もほとんど出さず、経営団体と政府に景気回復施策を陳情するということだからである。おかげで今や解雇された労働者やその恐れのある人は、弁護士の「雇用110番」や行政・労政事務所などの講座や企画が大流行というからなさけない(これはこれでよいことだが)。労働弁護団の報告ではこのことが赤裸らに描かれているが、やはりここに今の企業内組合を主体とした運動の限界が如実に表現されている。当該「組合員」だけの利害を「代表する」(これすら危ういのであるが)だけでは、もはや時代錯誤もいいところである。少なくとも姿勢とスタンスは労働弁護団や地域ユニオンのような「すべての労働者」に開かれた組合活動が目に見えるように必要なのである。
▼深刻な雇用情勢
この1年間、新聞や雑誌をにぎわせたリストラ合理化は相当なレベルである。(これらは「賃金と社会保障」誌1993年9月下旬号などに一覧があるので参照されたい)しかも、今回の特徴は労働組合からはずれたホワイトカラー(事務職・間接労働者)を中心とした合理化という点である。さらに93年下期からは不況型の倒産・合理化が追い打ちをかけてきた。実際、私の友人の中にも企業内で残業規制・一時帰休・解雇などなんらかの対策が講じられたのは半数以上、会社閉鎖、子会社併合などがおこなわれる人も実際に存在する。身近な人にこれほど切迫した事態があるのは今回がはじめてである。(これはわたしが単純に年をとったせいかもしれないが・・)
第一次石油危機不況(74年)、第二次石油危機不況(81年)、円高不況(86年)の三回にわたる雇用合理化では常に製造現場の合理化が中心となってきた。しかし現場の合理化の余地は少なくなってきており、企業の成長力がなくなってきたこともあいまってのポスト不足で中高齢者、中間管理職が企業から排除されるようになったという点。またバブル期に大量に入社した若年労働者についても、配転や異動などを通じてのふるい落としが行われていることも見逃せない点である。
そして、これは大いに労働組合側が問題にしなければいけないことだが、これらの合理化が企業の倒産危機などの事態に直面したなかでのギリギリの選択としての雇用合理化ではなく、短期の赤字解消や・単なる利益の低下にたいする企業処方として横行しているという点である。大手企業の合理化は、バブル崩壊の不況を通じて「リーン生産方式」に代表されるいっそうの「ムダのない」、一ドル=100円レート時代での国際競争力と企業力を維持するための21世紀をめざした体質づくりを行っているといえる。資本の図に乗ったともいえる雇用合理化は、これまでの日本的労使間係を基礎づけてきた終身雇用制の崩壊を確実にもたらしてきている。ここぞとばかりに「不況」を口実とした経営側の攻撃もあるので、組合や労働者はしっかりと見きわめることも必要である。企業内労務管理と賃金制度もこれにより今後大きな変化が生ずる。
問題は労働組合が存在するにもかかわらず、賃金や一時金、残業などの値切りが横行し、これらについての組合としての交渉がほとんど見えてこない点であろう。また新しい企業体質に対応した組織・運動づくりも必須であるが、これらはほとんどまだまだ実際の議論にならない点だ。組合員離れが進む中で、組合員の関心をつなぎ止めるために様々な試みが行われてきた。耳触りのよい言葉、マークやロゴ、組合旗を変えたりするUI活動などなど。しかし、今回の雇用合理化の中でしっかりと活動したところは何よりもまして、組合の団結は強化されることは自明である。NHKで土曜の朝放送された「経済ジャーナル」の合理化問題での特集で取材をうけた人たちはいずれも企業への怒りと緊張から体のふるえを隠せないようであったのが深く印象に残った。労働者は誰が自分達の見方なのかをしっかりと見ているようである。
▼今後の選択は何か?
リストラ合理化の中で労働組合が果たすべき役割として前述のことは当然のことである。まずこれらがきちんとなされていなければ、問題はただ資本の動向に一方的に左右されるだけである。
一方で、今回の不況が当初いわれた単純な循環的な不況局面という事態ではなく、構造的なものになっている点である。すでに数次にわたる景気対策では前回の円高不況時の5倍近い30兆円以上が投入されたにもかかわらず、いっこうに景気は上向かず、消費不況が拍車をかけ雇用不安を増大させている。これらの常套手段が通用しない経済環境はいったいなぜなのか?
ひとつには公共投資型の不況対策ではもはや日本経済を誘導できないということである。70年代後半から花形産業は自動車や電機関連産業へとシフトし、今回の不況がこれらを直撃し、需要も延びなくなっていること。(もちろんこれは資本の論理として「売れない」のであり、発展途上国など自動車等を社会的に必要としている潜在的需要はまだまだ多いのである。)
さらには建設需要談合に象徴される、プロジェクト需要の水増し体質である。社会資本充実も不透明な収支のなかで、公共投資の実質投資効果が疑われている。談合体質もそうであるが、投資対象や内容にも新しい評価が必要であるし、これらを公正・公開する必要がある。
冷夏、米不足、円高、株価の低迷、実質賃金の低下による「ゆとり・ゆたかさ」から「清貧」の生活、消費不況・・・バブル崩壊後の景気調整は思わぬ複合的な構造不況となった。すでに一年以上におよぶ景気後退は、当然、税収不足を引き起こし、景気対策のためにのこされた所得税減税をするためには財源がないので消費税率のアップという。景気回復のためには10兆円規模の新規投資が必要とされ、そのためには5%の消費税率のアップが必要とされる。したがって、消費税は7~10%程度とされることが予想されている。
国内的には連合と日経連が音頭をとって「一致協力」している規制綴和による市場拡大と資本回転の促進、そのための官僚・行政機構改革が目玉であろう。いままで、経営側はさんざんこれら国家保護行政の枠で事業を拡大し利益をしこたまためてきたが今度はそれが邪魔だから親制をなくそうという、彼らにしてはなんともむしのいい話である。11月24日の連合と経団連とのトップ会談では、連合側は「全国民的視野に立って、政府、経済界、労働界がそれぞれの立場で経済危機を突破するために最善を尽くすべきだ」「総理の減税先行一発言があったが、減税と財源のワンセット論を否定するものとして、高く評価する」(山岸会長)、「政権は変わったが官僚機構は変わらない。規制親和も地方分権も、中央省庁を変えていかないと実現は難しい。この改革に向けては連合と経団連は一緒にやれる」(後藤氏・自治労)という。経営側は「規制緩和は新しい起業機会を増やすことになり、雇用創出につながる。新しい産業で雇用を吸収していくべきであり、その意味では終身雇用から継続雇用に向かわざるを得ない」(中内氏・ダイエー)、「円高は消費者にとって本来喜ばしいことだが、規制のせいでメリットが出ていない。行政の過保護のもとでは企業も国民も自己責任意識が育たない。連合とわれわれが大連合をつくって日本の官僚機構を変えないと、規制緩和も進まない」(盛田氏・ソニー)という具合で、政府と日経連、連合が手をとって行政改革を行うことが当面する課題だというわけである。
国際的には一方ではEC、NAFTなどの経済統合と一方でのウルグアイランド交渉における市場開放要求など日本をとりまく環境は円高という形で市場調整されている。これらは「条件付き市場開放へと向かわざるを得ない」というのが大方の見方であり、米問題などは米不足(これも政策・意図的な和が多々ある)に乗じて規制事実化しようという判断であろう。
したがって今後、かなりドラスティックな行政機構の改革は必須であろう。すでに人口の高齢化にともない行政ニーズも変化し、これらの見直しが開始されている。子どもや若年人口の減少は保育園や児童館などにたいする予算の削減・一般財源化、管理機構の第3者機関委託など民活路線の一層の導入などがすでに着手されている。
3度の不況合理化を経験してきた労働界が、いまだにこれらを経験化せず、対処療法的な闘い方にとどまってきたことは歴史が物語っている。今は民間レベルのリストラだが、それは公務関連労働者への攻撃の前触れでもある。単純な抵抗闘争(抵抗闘争自体は必要である)ではもはや闘い得ぬが、大きく労働者全体の利益を擁護する闘い方が本当に問われる時代であろう。(東京・Woz)
【出典】 青年の旗 No.193 1993年12月25日