【年頭挨拶】不透明な時代だからこそ大胆に
1991年は実に激動の時代であった。
湾岸戦争の勃発から始まり、そしてソビエト連邦の崩壊。それは、これまで我々が主張してきた歴史観、社会分析の手法では、簡単に説明することのできない出来事が幾つも折り重なって現れた。
今、内外情勢は、余りにも混沌としている。こうした状況は、’92年も続くだろう。もはや21世紀の世界をだれも確実に予想することはできない。
しかし、この動めく人間社会(集団)の中にも人間の良心(善)は存在する。少なくともソビエトの今日に至った大きな要因は、それまでのソビエト社会主義の評価がいかにあれ、本来社会主義として必要不可欠な、いや最も充満すべき民主主義が決定的に欠落し、それを渇望したソビエト民衆のエネルギーが、ベレストロイカを推し進めたことは事実である。また社会主義の「豊かさ」が余りにも貧困で、豊かさを求めるエネルギーがベレストロイカを求めたことも事実である。これらの二つのエネルギー要素は、結果の評価がいかにあれ、人間の「良心(善)である。
日本においても今日、「民主主義」と「豊かさ」が問われている。PKO法案強行採決に村する国民の怒りは存在するし、「男女協働」「自立・共生」「平和・人権・平等」など、民主主義を豊富化する社会的議題がクローズアップされている。また、労働時間短縮」、土地・住宅問題をはじめとする「社会的分配の公正」など、「豊かさ」の中味が問われている。
このように考えると確かに肯定的な面、否定的な面が混在するが、少なくとも「よりましな社会を」「もっと民主主義を」と人々が叫んでいることは明らかである。我々は不透明であっても,未来が不可解であっても「格差の拡大」は許してはならないし、理不尽な横暴は許してはいけない。労働青年同盟は依然として不断に「平和・民主主義・統一」を掲げて全員で確認したい。
労働青年同盟は、準備会結成以来17年、全国化から3年が経過した。今日、労働青年同盟が結成当初から、また全国化の際にもあったその組級的役割・方向性についてのこれまでの議論を大切にしつつ、この間の大きな社会的変化の中で、改めて再討議するべき時に来たと考えている。しかし、我々は過去の様々な運動の誤りを犯すことなく、より広範な「統一」の方向で、日常的な活動の中で地に足をつけて、慎重に議論を進めていきたい。
「今、これならできる」「参加と斉任」をもって、不透明な時代だからこそ「大胆な運動と慎重な議論」をこの一年間、共にやり抜こうではないか。
1992年1月
労働青年同盟全国協議会 議長(M.T.)
【出典】 青年の旗 No.172 1992年1月15日