【投稿】高校改革をめぐって (その2)<続>

【投稿】高校改革をめぐって (その2)<続>
      (大阪教員交流会ニュースNO.37 1992-01-20より)〈前号からつづく)

2.集団作りと学力保障・・・高校での集団作りの特殊性
A:交流会ニュースの前号の最後に集団作りのあり梯の再検討が必要とあったが。自分も 村的な共同体意識に基づく集団作りはできても、その場合には学力がつかないと思う。
T:その場合は生徒の中に、一方でここは他の高校と違うというプラス面と、他方で中学と同じことをやっているというマイナス面という、二側面の評価が出てくる。学力の段階に生徒の自主性が照応しているという現実のもとで、総合高校を目指すには集団作りの内容をどうしていくか。手厚く面倒を見るという義務制の絹神に学びつつ(原則)、中学生とは違った高校生の段階に応じた面倒の見方(方法)を整理することが必要なのである。集団作りのレベルを高度化しなければならない。高枚生では自主性を持つように指導するということが必要でいかに自主性を引き出すかということが教師の役割である。
A:教師の中には子どものニーズに応えると言うのはパチンコ講座や競馬講座を開くということであって、興味・関心というものの無い子どもがほとんどだとという者もいる。
T:進学校では生徒の自主性の名のもとに指導放棄している。そして授業の不十分を生徒の質で補っているのである。生徒のニ一ズというのは小中の過程で受験と
いう枠に限定されてきているので、幻想ででも進学に希望をもっているものは授業に関心はある。しかし、小中の過程でその希望を捨てさせられてきた者は、学問に対する興味・関心の芽を引き出すレディネス・助走が必要である。様々な肥料を撒く必要がある。
A:生徒にやる気が無いという教師に生徒に何を教えたいか、何が教えられるか、と開いても、答えを持ち合わせていない教師が多い。これまで人権教育と考えてきた教育が教師の資質をこのようにしてしまったのではないかと、考えてしまう。
T:教師は文糸・埋系という従前の枠でやっている。教科教師集団つくりをコース制とリンクして推進すべき。コース制では、コンピューターを導入している数学科、LLの英語科で教科教師集団つくりが一番進んでいる。
子どものニーズがどこにあるかを議論する中で生徒の把握と、教科の内容の創造に結び付けるのである。
B:組合の議論でも困難校ほど子どもに「興味・関心」はない、といっている。
T: 一方の生指で子ども理解といいながら、他方の教科では生徒蔑視になっている。教師が学力エリートだからである。
A:必修を少なく選択を多く、教師一人が一講座を担当するというスタイルを推進中。
T:レディネス・助走のカリキュラムを早くつくって府教委と交渉すべき。でないと、中でのサボリと、周辺での府教委の「多様化」スタイルの高校に包囲されて、“全ての”子どもを尊重した学校改革とそれに対する財政的裏付けを引き出す闘いは困難になる。
A:転任の生かし方を考えねばならない。強制人事でそのことに迫られている。
T:「最後まで子どもを切らないでほしい。後は見せてほしい。」といっておけばよい。プライドのある人はやろうとする。一生懸命しようとする人は子供理解もはやい。教師を生かすうえでは、こちらの尊大さは駄目。教師集団においてもそれぞれの存在を認め合わねばならない。進学校でも受験の学力に批判的な人もいるのである。子供を生かすためには教師を生かすことである。コースでは教科にまたがる内容を創造することである子供を中心にひとつのテーマに取り組むことで教師間の相互理解を進めることである。
A:勤務実態の困難さをいかに緩和するのかということも大きな問題になる。全員担任削や複数担任制の見直しやある程度分担制を導入して余裕をつくることも必要である。今後は授業を通じて生徒指導をすることが必要である。
T:その上では授業の内容の深化が不可欠。生活指導において体を張ってやってきた推進派の教師の一番つらいところでもある。しかし、無駄・遊びが無いと教えることに幅がでない。それをやろうとしてきた教師を「逃げ」と捉えてきたのである。国語の教師は文章を書かなくなったら終わりであるし、社会の教師はいろいろな雑学を知ってないと授業はおもしろくない。
授業をおもしろくするという必要性を強調するために授業で生徒を指導するというのは当たっている。しかし、授業のみに仕事が限定されていない今の日本の教育システムでは生活指導と教科指導を割り切ることはできない。かつての東ドイツに視察にいった報告では学校(教科指導)と地域(生活指導)で分担されているということで、その当時は非常に驚いたものである、日本の現状では、確かにおもしろい授業で引き付けるという面とともに、本当にしんどい子の生活面での支えを捨てることはできないのである。(おわり)

【出典】 青年の旗 No.174 1992年4月15日

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