『詩』 俺の二〇世紀
大木 透
あの昔
この自分の目も耳も
母のものでないと信じていた
自分のものでもなく
この球体の
この時刻の
地層に立っているのだと
聞いて 見て
自分の心に写る
「よしなしごと」を語る自分
この国も
母のものでも
自分のものでもない
そんな耳で聞き
そんな目で見たものは
誰のものだったのか
それは 確かに
自分のものではない
母のものでもない
なのに
飛びかかって行けないのは
なぜだ
俺は 昔から
永遠に
階級闘争は続くと
信じている
あるいは
最新の科学で
認識している
自分を取り戻そうとしているのは
誰だ
自分らしい目と
自分らしい耳は
悪夢であろうか
こう思いながら
娘に連れられて
「私の二〇世紀」というテーマの
「ほろよいコンサート」に行く
彼女は
「ネバー・ギブアップ」と歌っている
涙が出る
断酒一四年の
素面の俺は
とたんに
スペイン内戦の国際旅団に
参加したくなる
「いまにみていろ」と拳を握りたくなる
俺の生まれた一九三六年
フランコの反乱
これが 俺の二〇世紀の
出発点だった
俺は
人を唆す悪癖が
消える日を待っていた
いま 俺は
唆す気のない地平で
俺の二〇世紀を考える
パブロ・ネルーダは死んだ
誰の耳で 誰の目で
誰の言葉で
裁かれるであろうか
二一世紀に
ピノチェトは
(二〇〇〇・一二・二三)
【出典】 アサート No.278 2001年1月20日