【投稿】PKOと日本の進路

【投稿】PKOと日本の進路
                                                —国家の論理を越えて—

参議院選挙が、闘われている。自民党は、PKO(国連平和維持活動)協力法に対する予想以上の国民の反発を見て、争点を景気対策に絞ろうとしている。
これに対して、牛歩戦術と議員辞職願い提出で徹底的に関った社会党と社民連は、PKO協力法の違憲性を選挙戦の最大の焦点にしようとしている。
毎日新聞の通常国会閉幕直後の調査では、PKO協力法に対する「賛成意見」は31%しかないが、「反対意見」は37%と「賛成」を上回り、1年前の「賛成」45%、「反対」13%という数字が完全に逆転する結果となっている。PKO協力法を推進してきた読売新聞でもこの傾向は同じで、4月の調査では、「自衛隊の海外派遣は憲法上問題なし」と答えた人は45%で、「問題あり」とする人41%を上回っていたが、6月20、21日の両日の調査では、「問題あり」が56%で、「問題なし」の34%を大きく上回った。そしてPKO法を「評価しない」人が47%で、「評価する」の44%を上回っている。
このように国論を三分している状況の下でも、政府の調査団はカンボジアに派遣され、わずか1週間足らずの慌ただしい日程で泥縄式の調査を終えた。言うまでもなく、このPKO協力法は、「国際協力」という美名の下に自衛隊を海外に派兵する、すなわち「専守防衛」という枠に閉じこめていた自衛隊を全世界に解き放ち、「自衛権」を地の果てまで拡大するための憲法無視の悪法である。法的に言えば、世界に誇るべき平和憲法を否定する下位法によって「交戦権」を全世界に示したことになり、何を考え、何を基準に物事を考えているのかさっぱり判らない「顔のない日本人」という悪評をさらに高めることになりそうである。
保守系の評論家からさえ、いつまでも解釈改憲で押し通すことはもうできないという声が挙がるほど、明らかに違憲であるこのPKO協力法を政府・自民党は、なぜ強引に成立させたのか。東西冷戦構造の終焉という国際情勢の激変により、自衛隊が仮想敵国としてきたソ連邦が崩壊し、全世界の軍縮への流れがアジアにも及ぶことが期待されるという時に、なぜ日本の自衛隊が経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で唯一防衛費の増額の恩恵に浴することができるのか。国民の納得が得られないことが多すぎるのである。
一つのきっかけは、湾岸戦争で米国やクウェートの一部から日本の人的貢献不足に対する不満がでてきたということである。そのような一部の声に呼応することに利権を嗅ぎ取った政府・自民党の小沢一郎をはじめとするタカ派は、解散・総選挙が恐い公明党、民社党を脅かし、世界の流れと日本の安全保障政策の転換という本質論議を全く無視して、法案成立のための「党利党略の日本的根回し」に成功したのである。これほど国民を愚弄し、民主主義を踏みにじる暴挙が戦後あっただろうか。この民主主義に対する挑戦、法治国家の根底を揺るがす「マキャベリズム」への不信が、参議院選挙で吹き出すことを願わずにはいられない。
このPKO協力法問題の背景にある国際情勢の認識の違いは、以下のとおりである。タカ派の方は、冷戦の終結により、世界はあたかも「戦国時代」のようになり、湾岸戦争やユーゴ内戦を始めとした局地戦、地域紛争は、一層激化すると考えている。ハト派は、冷戦秩序から多極化・ボーダーレスへという国際構造の変化に伴う混乱が生じているが、これは良い歴史のほんの一コマに過ぎないという認識である。例えば「国家がその役割を低め、従って軍事力に頼って何事かをなそうとする野蛮から卒業しようとしていることが主要なトレンドであり、それ故にかえって一時的には民族・宗教等の紛争が増えるという付随的な現象が出てくるのだ」(インサイダー、92年7月1日号)といった認識である。
社会党を始めとした護憲勢力の中にも、この点についての議論が十分こなされてはいないといううらみがある。突き詰めて言えば、社民勢力の結集のため、あるいは政権を担うためには自衛隊容認に踏み切るべきか、あくまで国際情勢の変化を先取りする平和憲法を守り抜くべきかという議論を避けている状況である。
自公民の結束がPKO協力法を成立させたことによって、社民勢力の結集の動きは、大いに水をさされた。しかし、国際情勢を軽視し、本質論議を避けた国会運営に対する国民の怒りを政治そのものに対する不信につなげないようにするためにも、平和を愛する国民一人ひとりの行動と真筆な議論が今こそ必要である。
湾岸戦争が、43日間に総計14万1491トンという恐れるべき爆弾をイラク軍と民衆の頭上に投下した(かつて東京の半分が壊滅した東京空襲の78倍の爆弾量)ことによって、「死の商人」といわれる軍需産業の在庫一掃処分に貢献したように、今アジアが、軍需産業のターゲットとして注目を集めている。主要先進国で唯一の貿易黒字国日本を筆頭に成長するアジアの国々は、世界で最も有望なマーケットに成長しつつある。中国のロシア製空母「フリヤーグ」を始めとしたロシア製ハイテク兵器購入の動きに対して、日本はもとより台湾、ASEAN(東南アジア諸国連合)は、極めて神経質になっている(朝日新開92年7月1日付け)。
先進国が、ロシアの経済建て直しに全力を挙げなければ、ますますロシアは、外貨を稼ぐために兵器輸出をしなければならない。エリツィン大統領は、外交努力を圧力とはき違え、「北方領土を日本に返せ」という国際世論づくりに躍起となっている宮沢政権に対する不快感を表明し、「ヨーロッパと反対にロシアに対する投資を一切することなく、非協力的態度に終始しながら北方領土が帰ると思うのは、甘い考えだ」と強調している(TBS/毎日放送系列’92年7月5日朝放映「関口宏のサンデーモーニング)。
また欧州では、ドイツ、イギリス、イタリア、スペインの4カ国による次期戦闘機共同開発計画からのドイツの撤退と独自の開発を進めるフランスのスケジュールの遅れが各国の軍事産業に暗い影を落としつつある。アメリカのタカ派も今後、数少ない国際競争力を持つ商品として「兵器」を積極的に売り込みながら、在庫一掃の消費地=「戦場」を捜し求めるだろう。日本においては、このような兵器産業と結びつく政党は自民党であり、民社党であるならば、彼らに兵器の生産と輸出を世界的に規制し、平和の配当を世界の津々浦々までもたらす「平和外交」を求めることは、「木によりて魚を求む」に等しいと言えるのではないだろうか。
いつの時代でも戦争によってますます苦しみ、地獄の経験をするのは、一般の国民である。政治家は、自らの利害と後ろめたさを勇ましい演説と美辞麗句に包み込む。21世紀を平和な世界にするための一人ひとりの努力と貫任を明らかにし、非武装の理念の気高さと力、およびその歴史性について国民的な議論を巻き起こさねばならない。アジアの人々の怒りと苦しみを同じ人間としての自らの問題と位置づけなければならない。軍隊は、決して国民を守るためではなく、国家という崩壊しつつある抑圧機構の手段を選ばぬ維持・強化のためにあるのだから。
「冷戦後の新世界秩序には、日本の憲法、とりわけ第9条の精神が、どの国の憲法より適している」(ブライアン・ウドール=ハーバード大学助教授、6月29日付け朝日)。
(この原稿は、92年7月7日に執筆した。大阪 M)

【出典】 青年の旗 No.177 1992年7月15日

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