【投稿】参議院選挙を迎えるにあたって
—社会党、連合、社民連の前進を—
<従前の社民結集は失敗>
7月26日に実施される参議院議員選挙は、社会党、連合を軸とする「社会民主主義」勢力の存在価値が問われる選挙となっている。
3年前の選挙でつくられた与野党逆転の有利な状況のもとで、当然進められるべきであった政権交代の基盤作りは、主に社会党の優柔不断と民社党の利己主義により顕著な成果はみられなかった。
それどころか、選挙直前になってPKO問題を巡り、社民の分岐は決定的とも言える段階にまで進行した。こうした既成政党の状況を見かねて調整役をかってでた連合も、組織内に社、民以上の意見の分岐を抱える中で期待された役割を果たせず、連合型選挙の推進にも否定的影響を及ぼす結果となってしまった。ここに来て「社民勢力の結集」は雲散霧消となった感があるが、果たしてそうなのだろうか。
<新たな局面踏まえ 新社民結集を>
この間の事態を考えるならば、もはや民社党は社会民主主義政党としての体をなしておらず、自民党の補完物以外の何者でもないことが明白となった。「民社党」という名称と旧同盟系労働組合との関係を持って「社民勢力」とするにはあたらない。
社会党や連合の中には、まだ民社党の影響力を気にする人もいるが、そもそも社会党系労組と民社党系労組の勢力比(組合員数)と選挙での得票(議員数)の大幅な乖離は、何を物語っているか。それは、一般有権者の支持は社会党に集まること、労働組合の集票能力にも大きな開きがあることである。
労組との関係をもう少し考察するならば、民社党執行部は、自らを「支持する」労働組合幹部の思考をもって、「世論」と考え違いをしているのである。民社党系の労働組合幹部は良きも悪しきも「労働組合主義」なので、PKOのことなど「国際貢献いいんじゃない」ぐらいで真剣に考えていない。また民社党への支持さえも適当にやって、下手をすれば、自民党に話をした方が早いと思っている人も少なくない。それどころか民社党の内部からも自民党に走る議員が続出しかねない状況である。このような政党に義理立てする必要はなく、社民勢力の結集を進めるべきである。
<連合の限界と社会党の自己変革>
その場合、連合が重要な役割を担うことは間違いないが、連合が「政党」になりきることは問題があると言わざるを得ない。連合に結集する労働組合の政策面での完全な一致を、政治スケジュールのみから求めることは、労働組合としての結集軸を放棄することにつながりかねないからである。連合のファジーさは、自民党から指摘される以前からわかっていることである。それでも奈良、宮城で勝利したのは、存在自体に意味があるからである。連合は政党化することを考える以前に、そのまま社会党およびその周辺に、そのままでは結集しづらい人々のパイプに徹するべきではないか。また、その大前提として、社会党のこれまで以上の以上の自己変革が必要なことはいうまでもない。
<社会党・連合候補の当選をかち取うう>
国論を三分したPKO協力法、政治改革などが焦点と言われる参議院選挙、我々は、社会党、連合、社民連の候補者の当選に向けて、それぞれの持ち場で奪闘しよう。 (大阪 0)
【出典】 青年の旗 No.177 1992年7月15日