【投稿】反アパルトヘイトの声を地域から
—-大阪富田林の反アパルトヘイト運動—
◇反アパルトヘイト運動の新段階
先日、南アフリカ共和国のデクラーク大統領が来日し、マスコミでもかなり大きく取り上げられていた。
デクラーク大統領は、アパルトヘイトはすでに終ったと訴え、日本企業の南アフリカへの積極的な投資を呼びかけていた。マスコミはデクラーク大統領をアパルトヘイト終結の立役者として扱っていた。
ちょうど同じ頃、ANC女性同盟地域議長のユニス・コメネ氏が来日していた。彼女はいまだに黒人に対する白人の暴力的迫害が続いており、黒人には参政権が与えられておらず、政府の省庁は人種別に分かれている等という実態を明らかにしながら、アパルトヘイトはまだ終っていないと強く訴えた。
例えばアパルトヘイト根幹四法が廃止されたとしても、300年続いてきた南アフリカのアパルトヘイト体制が容易に崩壊しないであろうことは、特に部落解放運動に関わってきたものにとっては、十分納得できることである。むしろ新しい闘いが始まったばかりなのだ。
南アフリカの現状や反アパルトヘイト運動については、マンデラ歓迎日本委員会編「ポスト・アパルトヘイト」等の良い本があるので私など出る幕ではないが、このような反アパルトヘイト運動の新段階と一方での自治体の国際化と言う流れの中で、地域で反アパルトヘイト運動に取り組んでいこうとしている、大阪府富田林市の市民運動について紹介したい。
◇部落解放同盟青年部の活動から
部落解放同盟は、この間国際的な人権闘争に力を入れ、その中で青年部は国際青年年や反アパルトヘイトコンサートに取り組んできた。南アフリカに対する経済制裁が徐々に効果を上げ、国際的に反アパルトヘイト運動が盛り上がる中で、富田林市でも部落解放同盟富田林支部青年部が中心となり、PTA、農協、商工会等にも呼びかけて、1989年11月、映画「遠い夜明け」の上映会を400名近い参加者で成功させた。この取り組みを通じて、反アパルトヘイト関西委員会と協力関係を築くことができた。さらに、1990年10月には、反アパルトヘイト関西委員会の後援を受けて、地域でネルソン・マンデラの来日歓迎集会を開催し、市長の連帯メッセージをネルソン・マンデラに手渡す等の活動を行った。この時は、マンデラの闘いを題材にした河内音頭を歌ったり、地元の芸術大学の教授に染め抜きの旗を作ってもらい、参加者のメッセージを書き込んだり、多彩で楽しい催しとなった。地域でマンデラ歓迎集会を開催したのはおそらく富田林だけであろう。
◇南河内人権ネットウークの結成
マンデラ歓迎集会は、90名近い参加者があったが、その中には、ビラ等を見て、このような集会に初めてやってきた個人参加者も少なくなかった。私達は、地域に人権問題に関心のある人々がたくさんいることをあらためて認識した。これらの人々が中心となって、翌年、これまでの運動を継承し、地域を基礎に反アパルトヘイトをはじめ様々な人権問題に取り組んでいこうという「南河内人権ネットワーク」を結成した。そのメンバーは、牧師、イラストレイター、大学講師、技術者、公務員等多彩で、明るく活動的なのには舌を巻くほど。
◇さらなる広がりと具体的運動の展開を
人権ネットワークでは、ゴミ問題を扱った映画「あ-す」の上映運動等にも取り組んできたが、去る6月12日解放同盟富田林支部、日教組等と実行委員会を結成し、ユニス・コマネ氏を富田林に招いて講演会を開催し、市長も含め市民200名以上の参加を得た。そしてその準備の過程でアフリカ問題に取り組んでいる市民グループと関係ができるなど、そのネットワークは益々広がってきている。国際化は市民意識の上では私達の想像以上に広く浸透しており、具体的に行動している市民の多いことに驚いた。いま、人権ネットワークでは解放同盟などとともに、行政も巻き込みながら、民主的南アフリカの再建に貢献する、地域からの具体的な援助の方法はないのかと検討している。 地域からの具体的な支援を継続して初めて、南アフリカの反アパルトヘイトの運動と日常的につながっていけるのではないだろうか。 (大阪 N)
【出典】 青年の旗 No.177 1992年7月15日