【投稿】「前衛党主義」からの脱却は可能か

【投稿】「前衛党主義」からの脱却は可能か

<左翼主義を引きずる私の場合>
以前、左翼のメシアニズムについて、書評の形で問題提起があったので、私の問題意識を書いてみる。
私は72年大学入学、2年生で民学同加盟。以来その年の秋に民学同創建10周年記念集会に参加した。筑波大学法案反対や学費闘争で盛り上がった時代であり、4年生でデモクラート派との分裂を経験した、そんなかなり「古い世代」である。来年は40歳になってしまう。
吉村先生が、2年前「私のように、スターリンの『レーニン主義の基礎』で学習を始めた世代は、頭の構造を変えるのはむずかしいだろう」と言うことを発言された時、他人事のように聞いていた自分だったが、この頃は、ひょっとして自分もそうなのかな、と思い始めているのである。
私自身は、85年のベレストロイカ以降の新思考、ゴルバチョフ路線を違和感無く受け入れた。もちろん「社会主義の枠内での民主的革新」という意味である。確かに東欧の民主革命ではかなりぐらついた。社会主義が否定されたからである。それでも、ソ連はまだ大丈夫だと思っていた。しかし、昨年の事態の中で、ソ連共産党の解体にまで至り、根本的な出直し以外には考えられなくなってきたのである。この考え方自身もかなり、ソ連依存主義の臭いがするのだが。

<前衛党主義とは何だううか>
そこで問題提起されている「前衛党主義」とは何だろうか。それはレーニンの「なにをなすべきか」に示された、自然成長主義に対する意識注入主義であり、真理を唯一獲得している革命家の集団、労働者階級の前衛の指導性を承認し、かつその具体的指導に従うこと。大衆運動とは独立し、且つ「それ以上の規律と思想性」をもった、唯一の前衛党の再建を目標とすることであり、少なりと言えど、我が派が前衛党になるように、またそうであるように他と区別する事を大事にする考え方と、とりあえず定義しよう。
この考え方は、つい数年前まで我々自身の中に確実にあった。学生時代には、積極的にこの考え方を学んだ。プロレタリア国際主義の立場から、日本共産党の議会主義と民族主義を批判し、前衛党の再建事業を心情的に支持してきたのである。
もちろん、私たちの組織、民学同や労青は、小型共産党主義を徹底的に批判してきたし、むしろ運動の統一を掲げてきた。また、運動の組織化にあたっては、運動の利益を最も尊重し、大衆運動の利益の上に、我々の組織の利益を考える事は間違いと「伝導ベルト論」も批判してきた。要するに、セクト主義の徹底的批判者であった。

<前衛党主義は私の身体の中に、今もまだ生きている(?)>
にも関わらず、である。小型共産党はだめだが、大型の本格的な共産党なら創るべきとの考え方は確実にあった。それをする状況にない、そういう中では、強行すれば小型共産党となり、左翼小児病的誤りに至ると。
こうした議論は、決して労青の組織議論の中で行われた訳ではなく、むしろ暗黙の了解事項という感覚であった。原則的な本格的な共産党、前衛党組織の結成が可能ならば、それを歓迎するし、意識的に推進すべきという考え方であろう。もちろん、そんな状況は生まれず、組織の目標として党の再建を掲げた事もないのであるが。
私は、労青をどうしようかと考える時、こうした前衛党主義、また前衛党期待主義をどうにかして整理・総括してしまわないと、本当の意味で転換したことにならないのでは、と考えている。

< 前衛党主義に冒されると、運動の枠は狭くなり、広がらない>
さて、実は私の中には、まだ学生運動の時代の感覚が生きている。かなり薄れて来たとはいえである。まとまらないが、以下に思い当たることを列挙してみよう。
★叶うならば、「上から方針」が出るのを待っている (特定の人物に頼る)
★運動を見ると、どこのセクトが関わっているかに興味がある(最近はセクト主導の運動など余りなく なったが)
★特定の支持する理論に強い(?)が、違った意見を真剣に検討しない
★自分の運動領域を、他派から守ろうとする(テリトリー主義)
★他派批判や日共批判するのに、事欠かない
★どこかに、自分達は一般の人たちと違うんだという意識がある。
学生時代は確かにセクト別の運動が多かった。この「セクト」というのは、究極的に前衛党主義の産物でしかなかったのではないか。自分のセクト拡大のための「運動」であれば、テリトリー主義は必然である。
前衛党主義は、セクトの乱立には寄与したが、健全な運動の成長には有害であったわけである。我々もその責任を免れるわけにはいかない。

<前衛党主義に基づかない組織への脱皮は可能か>
前衛党主義では運動が前進しないこと、獲得された社会主義すらも、前衛党主義が民主主義を破壊し、内側から崩壊した事実を私は深刻に受けとめている。
少なくとも社会主義を理想と考えるなら、前衛党主義に替わる原理を提出しなければならない。それは、だれでもなく私たち一人ひとりの仕事ではないかと思っている。(92年7月 大阪:H)

追記)これだけであれば、我々のこれまでの組織的活動が無意味であったようにとられそうである.もちろん,決して断じてそうではない。これからも継承されるべきものは何なのか、今後の活動に継承発展させるべきものは何か。次の機会に整理することにさせていただきたい。

【出典】 青年の旗 No.177 1992年7月15日

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