【集会報告】PKO法は成立したけれど……、 派兵阻止の行動はこれからだ。
7月17日、東京・総評会館で「海外派兵を止める市民のつどい」が行われた。これは、広瀬隆氏、色川大吉氏などが中心となって(日市連も絡んでいるよう)、アジアに視点を置き、PKO法案通過後の自衛体の派兵をやめさせようとする会の発足に向けた集会だった。
当日は、色川氏の報告(①「軍隊の歴史・現実・未来とPKO」)の他ダグラス・ラミス氏(津田塾大学教員)の②「国連との交渉~自衛隊派兵は国際法違反」、中村欣資氏(TBSラジオニュースデスク)の③「カンボジア現地報告」、姜尚中氏(国際キリスト教大学教員)の④「日本の新たな動向と朝鮮半島」、広瀬隆氏⑤「国連・死の商人」などの報告があった。次の日は代々木オリンピックセンターで1日討論会が開かれた。
色川大吉氏の問題提起の要旨
PKO法案通過後の世論調査では「法案成立をよかった」とする人のなかで半数以上が「憲法上問題あり」とする意見である。要するに「憲法違反だけど、とりあえずよかった」と言うとんでもない声である。自衛隊の志願者は減少しており、来年は半減するといわれている。このなかで、限定徴兵制度(年齢限定、体力限定)の検討もされている。ある大学で、PKO法通過後に同様のアンケートをとったら同じような結果であり、併せて限定徴兵の賛否を問うたら、認める3%、認めない90%だった。
かつて、満州事変のころには「日本の生命線一満州防衛」というスローガンであり、誰も戦争だと思っていなかった。次第に中国大陸に入り、「アジアに新しい秩序を作る」「野蛮なシナの支配から国民を助ける」と叫ばれ、10年たっても終わらない。更に「大東亜共栄」「欧米の支配からアジアを解放する」になり、タイービルマーインドまで侵攻していった。この出発点ば”国際貢献””国際協力”と同じような響きがある。
核時代の”自衛”は核兵器を持たなければ成り立たない。”自衛”とは崇高なイメージがあるが戦争を伴うものであり、フランス革命のころからの国民国家の崇高な権利であった。以来、200年続き、民族・人種を一つの国として中央集権的支配を掛けてきた。しかし、欧州では、資本主義の危機を感じ、国家の統合が進み、”自衛”は過去の遺物となりつつある。
日本国憲法は、5000万人の死者の願として、自衛権としての戦争も放乗した。ところが米ソ冷戦のなかで自衛隊を持たせてしまった。従って、米ソ冷戦が終了した現在「自衛隊は解体してなくなる」はずである。しかし、湾岸戦争・PKO問題で、専守防衛から国際貢献に新しい任務を得て存続している。
我々の国際貢献は、実際アジアの民衆が何を求めていのかから出発して、彼らの要求をフイードバックできるネットワークを作る必要がある。彼らの声は知らされていないし、PKO調査団が政府や軍隊を見てもけっしてわからない。
過去の侵略を繰り返すようなバカなことはありえないと
の、意見もあるが自衛隊は十分な能力と技術がある。従っ て、25万自衛隊は半分は民間に、残りの半分は災害・国際救助を任務とする組織に改編すべきである。自衛隊の蓄積した能力は十分利用し、予算の4兆円は減らし、ボランティアで バックアップする機関にすべきである。
では自衛はどうするのか。武器は一切禁止。民族紛争に外国の軍隊を入れても解決はできない。割って入って説得しかない。 PKO参加が100カ国になっても参加しない。平和憲法下の国際貢献を実験しよう。
ダグラス・ラミス氏の問題提起の要旨
これまで日本の平和運動は憲法9条1項の「戦争放棄」のみに集中していた。政府の軍拡と戦う上で、これは当然のことである。海外派兵が問題となっている現在、9条2項の「交戦権はこれを放棄する」に注目しなければならず、政府も過去「放棄をやめた」との見解を発表していないので、放棄されたままである。
日本政府は過去、憲法国際法を無視してきた。先の色川氏の報告のように「法案通って良かったが、憲法上問題がある」意見など、自衛隊を作ったことで、国民の中にも憲法を無視して良いという感覚になれてしまっている。
自衛隊を海外に送った場合、国際法が関係する。武器を持ったものを海外に出して国際法を無視するのはとんでもないことである。
「交戦権」とは国際法上「侵略する権利」ではなく、侵略する権利」はどの国も持っていない。国家(派遣された軍人)は人を殺しても逮捕されない。正当防衛か否か裁判で決まる。兵隊は国家の交戦権に基づいて行動する。派遣先で捕まったら捕虜になる権利がある(告訴されるのではなく)。
従って戦争が終わったら帰国できる。交戦権は侵略された際に、自衛の時だけにある。自衛権は交戦権と同じような意味。
「交戦権を復活させた」との政府の声明はこれまでないので、「PKO法が成立した」ことによっても、自衛隊を海外派兵できる根拠とはならない。
「交戦権がない者(自衛隊)が武器を持って外国に行く」という事例は過去に存在しない。PKFは国家交戦権を持つ軍隊である。おそらく、国連では日本以外の人は「日本国憲法」について無知であり、「日本は正規な兵力を持っていない」とは思っていない。事務総長もおそらく知らないのでは?だから知らせましょうと公開質問状を出そうと思っている(翌日出した)。
派兵する可能性として以下の3点が考えられる。①非合法に出す‥‥ヤクザと同じである。②警察権はあるので、これに基づいて出す‥‥普察権の拡大解釈であり、普察権は国境で終わる0従って海外派兵できない。③交戦権とは別に「自衛権」がある・…国際法上は存在しない。仮に存在したとしても海外で使えるはずがない。
国際法違反の武力行使は大変なことになる。人を撃った自衛隊貞は一般犯罪人として逮捕され、一人一人裁判になり、正当防衛か否か判断される0アジアでは日本国憲法の知識はある。自衛隊110番の電話相談で自衛隊員や家族からジュネーブ協定(捕虜に関する)に当てはまるか否かを訪ねる相談が多いそうである。軍人以外が戦場で人を打ったら戦犯であるが、”国連の権威”により「一般犯罪人扱いとなる確率は少ない」かもしれない。しかし法的根拠はない。
結論として、日本国憲法は生きている。従って、自衛隊の参加は「やめてほしい」「やめてもらいたい」のレベルではなく、「やってはいけない」ものである。
公開質問状は翻訳もしてあちこちに配りたい。集会の主旨とは異るかもしれないが、自衛隊を海外に送らないとの視点で同じだと思う。
また、中村氏はカンボジアの現地報告をスライドを使って報告し、UNTACの問題点として、①費用17億ドル(93年9月15日まで)が必要で日本の分担金は12.45%といっているが具体的な見積を出していない、②本部要点が落とす金でカンボジアのインフレを招いている、などが報告された。
また、姜尚中氏の報告は、国連には現業的面と政治的面の2面性があり、政治的に利用されている部分がある旨報告された。また、自衛隊の存在が朝鮮の軍隊の縮小や北朝鮮の核(たぶん能力的にあるでし上う)の撤去の支障になり、自衛隊は既に十分に、憲法9粂の「武力による威嚇」にあたっている。日本が朝鮮の南北統一の阻害要因にならないでもらいたい。また、広島に、軍港広島の果たした役割を残したもう一つの記念館を作りたい旨の提案もなされた。
最後に、広瀬隆氏は、既に集会終了時間を過ぎており時間がなく、詳細は出版された『国連死の商人』(八月書館発行)を読んでもらいたい旨報告された。
尚、発言の要旨は筆者のメモを元に文章を起こしましたので、「そのようなことを言っていた」程度であり、言い回しや文脈は筆者の判断によるところが多いので、ご了承 ください。 (東京 C)
【資料】 公開質問状
国連事務総長殿
去る6月15日、日本の自民党政権は、議会と世論の強い反対と疑問の声にもかかわらず、国連平和雑持活動に関する新法の制定を強行しました。政府はこの法律によって、国連平和維持活動として日本の自衛隊を、武装した形で海外へ派遣することが可能になるとの見解をとっています。しかしながら私たちは、武装した自衛隊の海外派遣は、国内法及び国際法の双方に抵触するものであると確信しています。
敗戦後、日本国憲法が制定されて以降自民党政権は、交戦権を放棄した第9条を厄介視し、あらゆる手段を用いて日本の再軍備を実現しようとしてきました。武装した自衛隊の国連平和維持活動への参加が、日本の再軍備を大きく進める重大な一歩であるということは、多くの日本のアジアの人々の知るところです。私たちは、国連が武装した自衛隊を利用する前に、以下の事について慎重に考慮して下さるよう、強く要請します。
過去国連が、非軍事要員を武装させ、平和維持活動に参加させた先例はありません。武装した形での参加は、すべてのケースにおいて、国家の軍隊(国家の交戦権のもとに創られている)の成員に限られて来ました。
ご存知のように日本国憲法は第9条は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記しており、条項の最後には「国の交戦権は、これを認めない」とあります。この条項は、日本における積極的平和希求の民意を反映し、これまで破棄されたことも、修正されたこともありません。このことは以下の疑問につながります。
すなわち、国内法および国際法において、日本の自衛隊が有する資格は何なのか?自衛隊は、武装した形で国連平和維持活動に参加する資格を有しているのだろうか?
理論上、三つの可能性が考えられます。第一に、自衛隊は他国の軍隊と同じ資格を持つ「軍隊」であること。もしそうであれば、自衛隊は憲法違反であることが明かです。実際、相当な割合の日本の法律学者が、自衛隊は非合法の組織であるという見解をとっています。この場合、国連は当然、そのような組織に関与すべきではありません。
第二の可能性は、自衝隊は、憲法が否定していない、国家警察権の拡大解釈として創られたということ。実際自衛隊は、当初は警察察予備隊として創設され、現在の形にまで拡大されてきました。もちろんこれは、国家警察権の強引な拡大解釈です(潜水艦や戦闘機を持つ警察なんて、一体だれが聞いたことがあるでしょうか?)。より重要なことは、警察権はそもそも国境を越えて行使されることはない、ということです。つまり、自衛隊が国家警察権に基づく物であるとしても、自衛隊には国外で活動する法的鳩拠はないことになります。
第三の可能性は、自衛隊は交戦権とは別個の「自衛権」に基づいて創られたということ。これは、日本政府の立場です。政府はこれまでに、日本やアジアの人々に対して、日本国の交戦潅が復活したと言ったことはありませんし、自衛隊を「軍隊」と呼んだこともありません。日本政府はあくまで、自衛隊は「自衛権」に基づいて創られた、という見解をとっています。もちろんこの「交戦権ではない自衛権」は、国際法では存在しえない概念です。仮に国連が日本政府の立場を受け入れ、そのような「権利」の存在を認めたとしても、それは国家警察権と同様に、国境の枠内のみしか行使できないことは明かです。
上記のどの場合も、PKO法のような新しい法律の制定を正当化する逃げ道地ならないことは明かです。問題の核心は、自衛隊の存在自体のあいまいさにあるからです。
上記の考察はきわめて複雑で重要な法的疑問につながります。「軍隊」とみなされていない自衛隊が海外で武装して活動する場合、ジュネーブ条約(1948年制定)において、その資格は、どのように規定されているか?(多くの日本の自衛隊員はこのことに関して大きな関心を寄せています)もし、自衛隊員が捕虜となった場合、文民としてみなされるのか、軍人としてみなされるのかは、捕らえた側の判断によって左右され得ます。特にアジアでは、日本の自衛隊は違憲であ非合法な組織であると認識されており、武装グループが自衛隊員の法的地位を文民とみなし、武器を使用した彼らを一般犯罪者とりて取り扱うことは充分考えられることです。これがどの程度起こりうるかは別として、問題は、これらの扱いが明確な国際法違反になるかどうか、そうだとしたら法的根拠は何なのか、ということです。
上記の点からも、自衛隊がいかに解釈されようとも、交戦権の放棄を明示した日本国憲法下では、自衛隊の国外での武器の使用を可能にする法的根拠はないのだということを、ご理解していただけると思います。また、このようなあいまいな性質を持つ部隊を、国連平和維持活動に参加させることにより、活動全体にあいまいな様相をもたらし、日本の隊員のみならず、他国の隊員をも不必要な危険な状況におくことになりねません。
冷戦の終結とともに、世界中の多くの人々が新しい平和希求の道を模索しはじめている現在、日本の憲法第9条は、これまでになく多大な関心を集めています。
この日本国憲法は戦争を永久に放棄したという点で、世界的に先例のないものです。日本の自衛隊にかかわる法的問題が特異なのはこのためであり、したがってこれらの諸問題は、先例を参照することにその解決の道を求めることはできません。
私たちは、以上の問題に関して、国連としての明確な見解を表明してくださるよう、強く要請いたします。
1992年7月
津田塾大学学生・教員有志
【出典】 青年の旗 No.178 1992年8月15日