【討論】国際化時代の解放教育の課題
以下は、大阪の教員交流会が本年8用に開催した交流合宿の討論記録である。同交流会ニュースから編集部の責任で見出し等を加えたものである。
合宿1日目、異文化理解の教育とパイリンガルの教育の実践を学びにこの春、USAに渡られたチューターからその報告が行われた。これを受ける形で討論が展開された。
<国際問題は人権の視点から出発を>
T:これからのキー・ワードは国際理解、国際化である。解放教育からは内なる国際化を発見させる視点であって、在日朝鮮人間題、アイヌ問題、部落問題であった。もうひとつの意味では今日における国際間題は人権問題であるということである。かつて共産党、労働組合が言った「国際連帯」では言い尽くせないことが国際理解、国際化にある ゴルフ場開発etcのアジアの「開発」は日本の企業が儲かって、アジアの人は豊かになっていない。農薬、公害垂れ流し。このような企業のあり方は人権侵害であるとして日本の中で告発して行かねばならない。もうひとつはユネスコの問題。今「子供の権利条約」が問題になっている。そのポイントは人類史上初めて子供の権利を国際条約で明記し、法的拘束力を持たせたこと。子供の人権を国境を超えた普遍的なものとして考えていること。被差別の子供のニーズを認め、その権利を明記したこと。子供の権利を国際協力の力で守る立場に立っていること、の以上4点である。
例えば、バングラデイシュの子供達は劣悪な状況に放置されている。そこに高校生が行くことによって「そんな劣悪な中でもバングラデイシュの高枚生は識字のリーダーとして頑張っている」ことに迫られる。部落の子にとってもそこに行けば親の代の部落差別を感性をともなって迫体験させることになる。
ブラジルのストート・チルドレンの問題では12才の女の子が売春に売られている。部落のおばあさんの話、在日朝鮮人のハルモニが語る従軍慰安婦の問題につながる糸口になる。高枚生のユニセフ・ユネスコ活動が部落の子以外に人権問題を考えさせるいい機会になっている。全国高校ユネスコ研究大会の分科会では環境問題、部落問題、在日朝鮮人間遭を話しており、解放教育を全国に広げる機会となっている。これからは解放教育が拡がりを持つ時代といわれてきたが、その拡がりの中で解放教育がリーダーシップを取れるようになってきた。あらゆるところに人権を打ち込むことが出来るようになってきた。
ところで国際化といえばどんなイメージで捉えるか?中学では?
<国際化をどんなイメージで捉えるか>
A:「内なる国際化」というのが中心で、ユネスコと かにつながって解放運動の思想が拡がるというのを 開いてすごいと思った。
T:大阪府では国際教養科を設置する時、「今まで在日朝鮮人数育やってきたんか!」と在日朝鮮人教育を打ち立てるために「国際化」という言葉を引き合 いに出してきたが、我々からは積極的に出せてな かった。そうなると国際化は欧米化であり、英語が出来ることであり、自民の言う国際化と区別出来ない。もっと我々から積極的に打ち出すべき。
B:AETのため変わってきた。Native Speakerと英語で話すため子供がいきいきとしてきた。社会の授業をしていると環境問題のこととか最近叫ばれるようになったが、一国だけで解決出来ない全世界的問題だとして、クローズアップされて授業の中でも 語れるようになってきた。
T:国際化と言うと語学の問題となって、「しゃべれる、しゃべれない」ということが出てくる。語学は必要だが、語学が目的ではないことを知らねばならない。また国際理解のことをすると排外的になることがある。鯨、割りばし、貿易摩擦etc日本が攻撃され、その中にはむちゃなものもあるので、生徒の中では「何で日本だけ」という意識が出て来て、Noと言える日本」の視点が入りやすくなる。
C:国際理解の教育を実践しているが、確かに日本のことを悪くばっかり言わなあかん。でも「悪いのが事実やから悪いといわれるや」といえば生徒はたいてい納得する。
T:他のアジアとの関係と、他の欧米諸国との関係は違う。他のアジアとの関係では人権問題として重なり合わなければならない。差別に対する意識と重なり合わないと排外主義となる。解放教育やっていてもそこでムラの子が排外主義に侵されているならその人権意識とは何だということになる。外国人労働者の問題も人権の視点で受け入れるということをせねばならない。
D:「国際化」という言葉は知っているが、実際現場で何が出来るかといえばネタがないと思う。理科なら環境問題、社会や英語なら・・・と考えられるが、国語や数学では。朝文研なら、外国での反差別の頑張りを受けて、「日本の中でどうやんねん」と返せるが、例えばUSAでのカール・ルイスに対して日本社会での張本とか考える。しかし教科教育ではネタが少ない。
T:問題は教師の側が日本が関わっている国際間題についての人権に基づいてのコメントが少なく、回避していること。環境問題には人権問題が含まれている。だから理科の中で初めて人権教育を位置付けることが出来る。コロンブスのアメリカ大陸「発見」も貴重な教材となり得る。USAではプラグマティズムなところもあってだろうか、興味深いことに白人に対しては今まで通りの歴史を、一方ネイティヴ・アメリカンにはその立場からの歴史を教えている。そういう歴史等の見直しは被差別のものの知的好奇心を刺激する。そういうように人権の視点から歴史、文化等を捉え直して行くことが大切。
D:どこで子供たちが国際化を感じてるか?といえば、新大阪でバイトしているムラの子は「最近、外人多い」と言って、「うっとおしい」という意識が強まっている。また暴動があったから「ロサンジェルスは怖いな-」というもの。
<解放教育の中に国際化のイメージはあるか>
T:それが「西成、羽曳野怖いな-」の差別発言と同じことなんやと、迫れる。何で「ロサンジェルスは怖いな-」があかんのかを分析する中で、「西成、羽曳野怖いな-」が差別だと言うことを深く捉え直させることが出来る。今後、景気が後退局面に入れば、外国人労働者と競合するのが部落や在日の人である。また建設現場で人を使う側の部落や在日の人とそこで働く外国人労働者。そういう問題が出てくる。解放運動が進み、景気がよければ差別を感じるのは差別発言くらい。その時に差別の問題を被差別の子に考えさせるものとして国際化の教育がある。
そのことを怠ると景気が悪化した時は真っ先に差別者になるのは被差別の者。社会的に国際化は不可避。その時、誰のイニシアで国際化教育を作るのかが問題。しかし左翼、解放教育の中では国際化を打ち出し切れてない。教師の変革が問題。中国帰国生徒の問題では関東の方が進んでいる。受け入れ高校を指定し、指導主事がつき、大学も優先入学させるところがいくつもあるが、関西では神戸外大のみ。
それは運動が取り組んでないからだが、解放教育が進んでいる大阪においてそうなるのは解放教育の中に国際化のことが入ってないから。
E:基本的視点は一定つかめてきたが、具体的にどう展開するかということは示し切れてない。まだ人権の視点で国際化を受け入れるということぐらい。教員にしてもAETと話すことが唯一の機会であって、そこで問題の立て方の違いということが良くわかった。しかし受験校ではそのAETの受入れを妹がったりとか。そんなことでは進まない。
T:問題は何がネックになっているのか?それはこの教育の積極的意義の理解が教師の中にない。それがあれば、中身はいくらでも出てくる。小論文の時間でも課題設定で人権意識が問える。日本文化論も人権の視点から問える。
F:在日朝鮮人教育のプラス点とマイナス点をUSAの異文化理解教育との比較から整理出来ないか?本名を名乗らせる、ウリマルを教えるということをやって来たが、当事者の人権という視点が欠落してしていたのではないか?ということを最近考えている。民族団体も「小、中学校で本名を名乗ろうが、民族文化に親しもうが、高校、大学でつぶされている現実がある。そんな民族教育って何や!」という声も出ている。日本で生きて行くことを前提にしたものがいる。
T:10年前は在日朝鮮人の子への教育をやってた人から、在日朝鮮人の人権や部落研との連帯を出すと反対された。「私たちの教育は日本が奪った、攻撃している民族教育を守るためもものであり、人権問題と一緒にするな」ということであった。ところが二世、三世が中心となり、同推校が在日朝鮮人教育に取り組んだこともあり、解放運動との関係なく在日朝鮮人教育が捉えられなくなってきた。また八尾トッカビ等、部落の中の在日朝鮮人の就職問題を出してきたが、それはそれは日本の人としての権利要求ということになり、つまり参政権、公務員の国籍条項撤廃への風穴は在日朝鮮入社会にとって大きな問題を含んでいる。つまり日本の国民の一部としての権利の問題となる。そういう意味ではUSAがモデルになる。分離の差別と同化の差別。アメリカ人にすれば、在日朝鮮人の問題は分かっても、部落問題は分からない。解放運動の側からすれば、「違い」を強調しなければ誇りが生まれないが、運動はその「違い」解消していこうとしている。部落解放運動では差別の解消を求めて運動が進んで行けば、差別は弱まり自然に任せれば自覚は弱体化し、運動は弱まり、運動は停滞する。これが黒人や在日朝鮮人との決定的な違いである
G:最近、部落が解放された状況とはどんなものかということが話題になっているが?
T:今までの考え方では部落解放運動が民主運動の核であり、様々な運動が部落解放運動にリンクされていく状況が解放に近づいている状況と言っていた。
G:解放会館飽等の施設利用を周辺地域に開放したり共に運動を進めたりと言う周辺共闘については?
T:その際、周辺に施設利用をオープンにするにしても代々木との違いは明確にある。代々木のやり方では施設利用が拡がって行く中で部落が忘れられて行くものである。施設をオープンにする時にムラの誇りを起こして行くものにして行かねばならない。ところで周辺共闘もなかなか難しい。周辺地域に成果を返しても、運動のリーダーには敬意が払われても差別意識の解消になかなかつながらない。部落解放運動のおかげやということにつなげなくてはならない。K高校でも面倒見が良いと言う評判があるが、それは部落解放教育をやってるからやと言うことをもっと外に出していかねばならない。
【出典】 青年の旗 No.181 1992年11月15日