【投稿】砂にしみいる水のごとき知を!
ここ3、4年世の中が大きく揺れ動き、物の見方、考え方が、それまでとはずいぶん変わってきた。決定的なのは、この間のソ連・東欧の共産主義社会の崩壊であり、そこで展開されている政治的、思想的闘争である。この間のマルクス・レーニン主義をめぐっての問題点を見ると、これはなにも社会主義国家に限った問題と言うより、資本主義社会における左翼・民主主義勢力と自らを規定している組織の運動のあり方や、そこで活動している人の物の考え方における今日的問題点そのものであると言うことに、改めて思い知らされる。
誤解を恐れず、率直にいうなら、これまで正しいと信じてきた世界観がある一つの業界でしか通用しない世界観にすぎなかったのではないかと言うことである。清算主義的な総括は避けなければならないと言う声が開こえてきそうだが、逆に言えぼ「精算的な総括は避けなければならない」という決まり文句が、物事のリアルでアクチェアルな分析を行う理論的作業を避ける結果となってきたのではないだろうか。今の時期「精算主義的な総括云々」といって説教たれるべきではないのだ。これまでの理論的確信を徹底的に疑ってかかるべきである。
これまでの自明の理論に寄りかからず、一度は現実肯定の流れに徹底してつきあってみる必要がないか。今まで、はなから否定していたもの、否定すべきものと考えていたものを、果してそうなのか、自らの頭とぎりぎりの力量で突き詰めてみることである。
検討課題の選択にタプーは設けない。自らの突き詰めた問題意識、結論については、自らが責任をもって公開し、世の中の批評にさらす。安易な仲間意識をもとめない。言論にたいしては言論で返す。「学び、宣伝、扇動し、組織する」という運動論から脱皮すべきである。徹底して物事を探求し、それが社会的に求められているものなら、砂にしみいる水のごとく人々の心をとらえ、政治的なカをなるだろう。ことさら組織する必要などない時代になってきている。いま求められているのは、砂にしみいる水のごとき知である。この知が今の左翼にあるのか!それが切実に求められている。(1991-大阪 T・S)
*お薦め図書「ニセ学生マニュアル」「ニセ学生マニュアル(逆襲版)」「ニセ学生マニュアル(死 闘版)」浅羽通明著 徳間書店
【出典】 青年の旗 No.161 1991年3月15日