【投稿】ロンドンサミット終わる

【投稿】ロンドンサミット終わる
                                                      —冷戦後の世界は経済の時代・協調の時代—

<はじめに>
7月15日から開催された先進国首脳会議(ロンドン・サミット)(それに続く7カ国首脳とゴルバチョフ・ソ連大統領の「G7プラス1」会談等の一連の会談を含む)は、政治、経済の両面で冷戦後の新しい世界の枠組みを作ろうとの姿勢を明らかにし、歴史的転換期のサミットとなった。
今回のサミットの最も大きな問題であった市場経済化をめざすソ連を国際経済にどう組み入れるかに対しては、「ソ連経済の世界経済への統合支持」と、市場経済化への協力をうたい、同時に「ソ連との対話継続」など、大型金融を含まない6項目の支援で一致した。
ソ米首脳会談での戦略兵器削減条約(START)の合意は、ソ米両国の保有する戦略核の30%を削減する内容で、軍事力の時代の終わりを印象づけた。
又、関税貿易一般協定・多角的貿易交渉(ガット・ウルグアイ・ラウンド)を促進し、年内に決着、自由貿易体制を再建する体制をとった。しかし、具体的な中身の進展はあまりなかった。

<政治宣言とSTART合意>
政治宣言は、①湾岸戦争における国連の役割を高く評価して国連の紛争処理、平和維持機能の強化を柱に新しい国際秩序の確立を訴えた。②対ソ支援問題では、ゴルバチョフ大統領のベレストロイカ路線の支持を明記、ソ連の新思考外交については「アジアも含む全世界に展開するよう希望を表明した。日本が主張した」北方領土問題は「議長声明」に、「兵器不拡散宣言」はイラクに対し国連などの核査察を受け人れるよう強く求めている。
今サミットで対ソ支援に踏み出す重要なテコになったのは、同時に行われたソ米首脳会談でのSTARTの合意・7月末モスクワ調印であった。START合意は、戦略核の30%削減とは言え、軍縮史上初めて戦略核兵器の削減を実現し、79年調印の第2次戦略兵器制限条約(SALTⅡ)が核運搬手段で現状配備を上回る制限枠を設定したのに対し、双方が核運搬手段と核弾頭数を同数の一定レベルまでに削減している。この為、核軍拡の放棄を世界に約束した軍事的意義はきわめて大きい。冷戦構造の崩壊の中で続けてきた交渉の妥結は、軍事力の時代の終わりを印象づけるとともに核兵器全廃への第一歩となった。また、ソ連の軍民転換をしやすくするだろう。しかし、核戦争の脅威を除去すると言うSTART当初目標の戦略核半減には及ばなかった。速やかにSTARTⅡを開始して一層の核削減を図らねばならない。

<経済宣言>
経済宣言は、「世界的なパートナーシップの構築」を目指し、①ソ連経済の悪化はソ連のみならず中・東欧諸国こも困難を引き起こすと指摘し、ソ連の改革を支援し、同国経済を世界締済に統合する。②発展途上国を自由経済に取り込むため、保護主義の防止と貿易拡大による成長を促進するため、関税貿易一般協定(ガット)の多角的貿易交渉(ウルグアイ・ラウンド)を年内に終結させる。③地球環境問題は92年の国連環境開発会議(ブラジル開催)の成功に向け、、開催までに気候変動枠組み条約などの実現を目指す。—などを打ち出した。
今回のサミットは、ソ連経済の世界経済への統合をうたって、西側経済に「東(社会主義経済)」と「南(途上国経済)」を加え、真にグローバルな経済を作ろうという理念を示したが、具体的な経済政策では見るべき物がなかった。
サミット本来の資本主義世界経済に関しては、「物価の安定を伴った持続的戌良のための中期的な戦略にづく経済運営の維持を確認する」と、インフレに警戒しつつもやや景気重視に傾いた表現が盛り込まれた。成長(景気)重視から協調利下げを求める米国と、物価(インフレ)懸念からこれに反対するドイツとの双方の妥協が図られた。サミット蔵相会合で現行水準を大きく上回るマルク安に対しては、各国が協調介入で対応することで合意した等6月下旬に開いたG7の結果を基本的に追認した内容となった。

<G7プラス1会談>
苦境に陥っているソ連経済を西側経済に組み込むための具体的な支援策を提示したのが、「G7プラス1」会談である。
支援策は、①国際通貨基金(IMF)、世界銀行へのソ連の特別参加(準加盟)②IMFなど国際4機関による経済改革への助言③エネルギー、軍需産業の民需転換など5分野の技術協力④対ソ貿易障壁の除去と投資の拡大⑤サミット議長国を通じた対ソ対話の継続⑥7カ国の蔵相、中小企業担当相の訪ソーーの6項目であった。
IMF準加盟で将来の金融支援に含みを残したものの、技術支援、知的支援を中心にした内容で、ルーブルの交換性回復のための通貨安定化基金の創設や、貿易赤字穴埋めのための資金援助など大規模な金融支援は当面、見送ることになった。
対ソ金融支援積極派の独仏伊と、巨額な支援には慎重な米、そして北方領土問題を抱え支援は念頭にない日本との妥協案として一時、浮上した欧州復興開発銀行(FBRD)の対ソ融資枠の拡大や、エネルギーなどに限定したプロジェクト融資も、最終的には支援メニューに残らなかった。
本格的な金融支援に踏み込まなかった第1の理由は、ソ連の改革姿勢への評価の低さである。ゴルバチョフ大統領はサミット直前、7カ国首脳への書簡で、社会主義経済と市場経済をドッキングし、混合経済に移行することなどを盛り込んだ改革案を明らかにした。しかし、これは、保守派と急進改革派の間をとった折衷案であり、ソ連の自助努力に欠け、日米を中心にしたサミット参加国首脳の日には、これが中途半端に映った。「この状態ではカネをつぎ込んでもザルに水を注ぐようなもの」というわけである。
第2の理由は、旧東ドイツの復興などで財政赤子が膨らむドイツ、いっこうに減らない双子の赤字に悩む米国と先進国も資金不足に悩んでおり、多額のカネをソ連につぎ込む余裕がないことだ。北方領土にこだわる姿勢が問題であるが、7カ国で唯一、資金供給余力がある日本が金融支援に消極的なことも、サミットの議論に影響した。

<サミットの特徴>
ロンドン・サミットの第一の特徴は、市場経済化をめざすソ連への支援で足並みを揃えたことである。東の政治・経済体制を支えてきたコメコン・ワルシャワ条約機構の両機構を葬り去った後、ゴルバチョフ大統領は自国の経済改革を携えてロンドンに赴きサミット終了後参加国に支援を訴えた。これに対して、参加各国がソ連の改革への不満や国内事情の違いを超えて、ソ連を国際経済システムに適合させることが、冷戦後の新秩序形成の土台になるという時代認識を各国首脳は共有していた。とくに、ソ連のIMFへの特別参加は、世界経済への「有機的結合」の出発点になるだろう。
第二は、冷戦後の安全保障を中心とした国際秩序の安定化に「国連の機能強化と言う形で国連中心主義を明確にした点である。この一年の世界情勢のうち、最大の出来事であった湾岸危機・戦争の教訓を踏まえたためである。又、「新秩序」へしのぎを削る米・欧州間の妥協の側面もある。
第三は、ガット・ウルグアイ・ラウンドを促進し、「全ての参加国は91年末よりも前にラウンドを完了させることを目指すべきである」とうたっているが、年内決着の展望が何ら明らかになっていない山である。ウルグアイ・ラウンドの成功裏の終結は、世界経済の将来への見通しに広範な意味合いを有し、旧社会主義圏の自由経済への復帰にとっても、また第三世界諸国の社会的・政治的安定にとっても、成長を基調とした世界経済の維持発展に不可欠の新秩序ファクターと言わなければならない。
第四は、START合意である。89年末のマルタ島でのソ米首脳会談による冷戦終結を一層確かなものにした。ソ米冷戦の構造が崩壊したのは、両超大国の軍拡競争が限界に達し、ともに財政が破綻したからである。経済が国際政治の枠組みを変えると言う力学は冷戦を終結させただけでなく、冷戦後の世界でも作用し続ける。

<サミット後の世界>
世界経済にソ連を組み込むという点で、今回のサミットが歴史的な第1歩を踏み出したことは間違いない。しかし、保守派が依然力を保持しているソ連で、市場経済移行を目指し、急進的な改革を断行できるか疑問が残る。
また、9年ぶりに景気の減速局面に入った先進国各国に、ソ連経済を全面的に支える力は乏しい。今回のサミットが示した理念が実現するまでには時間がかかりそうである。
冷戦後の世界は、経済の時代にある。米ソの財政難が冷戦構造を崩壊させたように経済の変化が国際政治の枠組みを変えて行くだろう。それだけに経済大国日本の役割は重い。
現代の資本主義経済の産業構造は、国家経済を拠点としていたかっての経済機構から新たな経済体制を選択したのである。国家独占の海外進出と、言った傾向よりも企業の多国籍化の推進となった。それによって企業は、経済流動を全世界に拡大し、グローバルな活動を推進するに至った。これらの経済活動が銀行・金融の多国籍化をもたらし、企業相互間の世界的ネットワークを必要とさせた。これらの現象が今までの国家の枠を突破せざるえない生産構造を形成し、一層経済が重みを持つ時代になった。
冷戦後の世界はまた、協調の時代である。新世界秩序をうたう米国もかつてのように世界を主導する経済力をもち合わせていない。国内においては財政赤字、貿易赤字をかかえ、国外では、累積債務問題をかかえ苦境にあえいでいる。バックス・アメリカーナの崩壊である。しかしながら、誰もはっきりとした主導権は取れない。誰もが責任と役割を分押しなければならない時代である。今までのような資本主義体制・社会主義体制では解決のできない歴史的局面に突入したのである。
ソ連を抱き込んだ世界は、市場経済システムという共通の理念のために協調し、痛みを分かち合わなければならない。(名古屋:Y)

【出典】 青年の旗 No.166 1991年8月15日

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