【投稿】「クーデターの失敗と共産党の解散」をみて思うこと
–素直に喜べない複雑な気持ち–
(1)グラスノスチが勝因と思うが、・・・・
今回のクーデターはペレストロイカの成果がソ連社会に定着しているために失敗したのだと思います。グラスノスチが人々の政治と民主主義に対する自覚を高め、時代の逆行を許さなかったのです。「知る権利」は、民主主義と基本的人権の根本的な要素であると強く感じました。
同時にグラスノスチ(情報公開=「知る権利」)は、日本など先進資本主義国においては、十分かどうかは別として当然のこととして受け止められており、社会主義圏でのグラスノスチが、ここ数年新鮮に感じられた点に「私の社会主義観」の反省材料があると思っています。
(2)ソ連共産党の理論はグラスノスチと相入れないものだった。
なぜなら、「青年の旗」でつながっている人の多くが「現代世界の平和」「よりよき社会の実現」に希望と期待を持ってやってこられたし、今も奮闘されていると思います(私も少しだけあると思います)。そして、そのための理論としてマルクス・レーニン主義を主張する人もいました。しかしながら、それを真っ向から否定する人はいなかったと思います。(私も、非常に嫌いな概念がありましたが同じです。)
今、ソ連共産党はクーデター勢力と言うことで解散に追い込まれようとしています。保守派は、グラスノスチについては言論統制の側であり、マルクス・レーニン主義のもとに「ボリシェビキ綱領派」に団結していました。保守派の勢力と理論が大勢であるが故の解散です。
(3)マルクス・レーニン主義は歴史の批判に耐えられるような努力をしなかったために、その命運は尽きるだけ。
社会主義建設はロシア革命で始まった初の試みであり、それ故「失敗はつきもの」という考えもあります。小さな失敗はそのとおりと思います。しかしながら、大量粛清、KGBを中心とする警察国家、全般的な経済の混乱と衰退などは、「資本主義より良い体制」と主張し、対立してきた社会主義にとっては、理論の実践的破綻としか言いようのない現実です。
一方、資本主義では「社会主義との対抗上」取り入れられてきたと考えられてきた「福祉国家」などの政策は、後退することもありつつも、今日では社会と国家の運営に不可欠のものとなっています。当然そのための理論も発展しています。
話はそれますが、なぜマルクス・レーニン主義は70年以上たった今も古くならないのか、疑問に思ったことがあります。自然科学では相対性理論や不確定原理など理論の基本的部分においては課題を抱えながらも、有用な理論が発展したし、資本主義も基本的矛盾を持ちつつも多くの変貌をとげ、新しい理論を取り入れています。マルクス・レーニン主義は「ユートピアの高さ」と「ロシア革命が成功したという点に理論の正しさの根拠があった」ために、発展できなかったと思います。
(4)改めて現実を直視し、冷静に対処したい。
今まで、スターリン主義を問題にするとき「その原因は指導者にあるのか、それとも理論にあるのか」といったこともテーマになったと思うし、あいも変わらず「資本主義か社会主義か」と言うことに関心が向くことがありました。それは不毛なテーマであると感じるし、今後はそのエネルギーを外に向けるべきだと感じさせられています。
私たちの世界は、環境問題、核の問題、高齢化社会、土地住宅問題、外国人労働者の問題など多くの問題を抱えています。どれも社会主義の立場だから解決できるという保証はないものです。
従って、今後ソ連(さらには中国なども)を見る立場は、「社会主義国」というものではなく、「核保有国」「隣国」「経済困難国」・・・・といったものになると思います。 (大阪 T.T)
【出典】 青年の旗 No.167 1991年9月15日