【投稿】ソ連・東欧の激変と先進資本主義国の特権的繁栄について
①ソ連共産党が事実上解散するとの報に接して、もはや現時点ではやむを得ない選択だとしても、実に残念な気持ちになりました。ロシア革命そのものは---当初からの問題点もいくぶんはあったとしても---偉大な業績だったと信じています。しかし、内戦や干渉戦争の時代を通じて、しだいにスターリンの独裁が台頭し、階級の利益の名のもとに人類の利益(民主主義)をふみにじる思想が支配するようになったことが、この敗北につながったのでしょう。悔しいことです。「フルシチョフの改革が挫折させられた時点で共産党の未来は断たれていたのだ」というソ連共産党員のコメントがありましたが、そうだったのかも知れません。
②毎日新聞は社説で「隣国で社会主義という実験が失敗したが、失敗してざまあ見ろでは酷すぎる、この痛みを分かちあうことが必要だ」という趣旨を書いていました。これが、せめて良識ある人間の感じ方でしょう。これに比べて宮本顕治氏や日本共産党の言いぐさはひどい。「世界に害毒を流してきた大国主義、覇権主義の党が解散するのは諸手をあげて歓迎」とは何事かと思います。ここには人間の営みに対する尊敬が全くありません。あるのは「とにかく正しいのは我が党。見解の違う人間は滅びよ」という、およそ民主主義とは無縁な考え方です。これこそがスターリン主義そのものだということに、どうして気づかないのでしょうか。
③エリツィンという人は山師ではないのか。ずっと以前から、会議でゴルバチョフの案に一人だけ反対してみたりして、とにかく目立つことと、人々の反共意識に迎合することを最大の行動指針としてきたように思われてなりません。クーデターの時も、わざわざ戦車に飛び乗って演説するパフォーマンスを演じてみたり、クーデター失敗後のロシア共和国最高会議でゴルバチョフを人々の前でいびってみたり、自分の人気を高め、ゴルバチョフへの信頼を失墜させることに最大の関心があるとしか思えません。そういう機を見る才能、迎合の才能はたいしたものだと思いますが、連邦政府人事への口出しにしても、自分が権力を握っているロシア共和国の力を高めることだけ考えているのが歴然としていて、人類的な視野でモノを考える人ではないと思います。ロシア帝国主義の復活すら私は危惧しています。杞憂であればいいのですが。
④これからの世界では、社会主義革命そのものは、とうぶん人々の賛成を得られないでしょう。しかし、言うまでもなく。マルクス・エンゲルスやレーニンが語った「完全な民主主義としての共産主義」は普遍的な目標です。世界共産主義運動がこれだけの歴史的な敗北を喫した以上、戦略的な建て直しが必要なのは当然だと思いますが、平和と民主主義を掲げる闘いは、常に変わらない人類的価値があると思います。
それに関して、東欧の社会主義離れのころから考えているのは、日本のような先進資本主義国の「特権的繁栄」についてです。
ソ連を含め、社会主義諸国の人々は、日本などを見て「あんなふうに繁栄できればいいな」という羨望を持った。そこには、議会制民主主義、自由な報道、自由な言論、そして三権分立など人類の民主主義を求める闘いの貴重な成果である諸原則(残念ながらマルクスやレーニンはそれらの否定的な面ばかり強調したきらいがあった)にたいする正当な要求も含まれていたわけですが、同時に、自国に比べて経済的に非常に繁栄していることにたいする羨望も大きかったでしょう。だから、東ドイツが西ドイツに編入を決めたとき、私などは「そんなに資本主義が良けりゃあ、一度おれらみたいに資本にこき使われて過労死するまで働いてみたら?」と冷やかに思ったりしたこともありました。
実際、日本などの繁栄は、東欧諸国の労働者には想像もできないほどの労働強化に支えられている面があるでしょう。しかし、それと同時に、弱肉強食の資本主義世界経済では、勝者となった先進国が、低開発国を踏台にして特権的繁栄を謳歌しているのであって、社会主義諸国はこれほどの繁栄はけっしてできないし、またしてはならないのではないか。その意味で、先進資本主義諸国に対する批判においては「南北問題」がもっともっとクローズアップされなければならないと思うのです。
人間は、物質的な利益がともなわないと政権に対する信頼は持たないから、社会主義政権が経済政策に失敗して人々の生活を向上させえなかった結果、そして、それに対する自由な批判の権利を押しつぶし続けた結果、人々から見離されたのはやむをえないのかもしれない。しかし、そこには、弱者の犠牲の上に立つ特権的繁栄を選ばなかった結果として人々に見離されたという面も含まれていたような気がしてならないのです。だとすれば、残念至極なことでこれは陥ってはならない落し穴だと思います。先進資本主義国内では自国の特権的繁栄が糾弾されねばならず、社会主義国の人々もアメリカや日本ごときに(その議会制民主主義や言論の自由という面は別として)憧れてはならなかったのではないでしょうか。先進国の労働者は、非抑圧民族にとっては加害者の面を持つとレーニンも指摘していました。
要するに世界的な規模での民主主義の発展のための中心課題は南北問題にあり、特権的繁栄に対する批判が浸透するか否か、人類が進歩を続けるためにカギではないかというのが私の考えです。たとえそれがどんなに困難な課題であっても。
繁栄の批判なんて、だれが耳を貸すものか・・・と嗤われそうですが、それが無理なら「社会主義などという高級な理想は、しょせん人類という低級な生き物には無理な絵に書いたモチでした」と告白するしか道はないのでしょうか。
(奈良 石田)
(上記の石田さんの投稿の表題は編集部がつけました)
【出典】 青年の旗 No.167 1991年9月15日