【読書案内】「革命後の社会」

【読書案内】「革命後の社会」
   著者 ポール・M・スウイージー 訳者 伊藤 誠  社会評論社 2,060円

この本の初版は、1980年に発行されています。紹介するのは1990年7月31に発行された新版です。新版発行に際しては初版に「ベレストロイカと社会主義の未来」と題した補章が追加されました。この補章の部分は「ソ連の危機の本質は何か」と題して、雑誌エコノミストの1990年5月1・8合併号、17日号に掲載された文章ですのでご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
8月19日のクーデター勃発から、24日のゴルバチョフ大統領(ソ連共産党書記長)の党書記長辞任表明と党中央委員会に対する党解散の提案まで、あまりに急激に状況が変化しているので私は評価に戸惑っています。「社会主義というのは結局のところ駄目だったのか」そんな思いが頭の中をかすめます。
この本は、そんな私の思いを整理し、もう一度前を向いて進み出そうとする勇気を与えてくれます。もちろん、これまで「正しい」と自分が考えていたことに対して、「そうじゃなかったんじゃないか」という思いが次々と湧いてきて、なにを立脚点にして物ごとを考え、評価していけばよいのかフラフラしている状態ですから、(私はこの本を読んで、とりあえず気力を奪い起こしましたが、だからといって)、「この本に書かれていることは全面的に正しいのだ」と断言して皆さんにご紹介できるわけではありません。従って、この本を読んで「社会主義の未来に対する希望をもう一度持ち直したが、それは間違いだった」と将来において判断されることになるかも知れません、その点はご勘弁ください。 しかし、ともかく現在進行しつつある事態に対して、動揺することなく社会主義の未来に希望を持つことのできる一冊として、(まるで麻薬みたいですが)、この本を紹介します。
新版に際して著者が序文を寄せています。私が拙い言葉で紹介をするより、この序文が本の内容を雄弁に語っていますので、以下に序文からの抜粋(長くなって恐縮です)を記載し紹介に替えます。         (東京 W・K)

「ここ数年に生じた事態をうけて、左派の人々にとっていま最大の関心事となっている問題は、ソ連における危機と東欧のソ連圏諸国での体制の崩壊により、社会主義が実際問題として失敗に終わったということになるのかどうか、そしてもしそうなら、そこからどのような結論が導かれるのか、ということである。左派の人々の間でかなり共有されている一つの見解は、右のような問題への解党は簡単であり、次のように主張するものである。すなわち、その見解によれば、十月革命から生じたソビエト社会や後にその足跡をたどった全ての社会は、社会主義とはなんら関係がないし、そのことからすれば、社会主義は実際にはいまだ試みられたことはないわけで、それゆえまた失敗したはずはないということになる。これとは対局的な見地で、これまた左派の間に広く主張され、右派ではほとんど異口同音にいわれているところによれば、問題の諸社会は、自らそう称していたように、社会主義社会だったのであり、従ってまたそれら社会の失敗は本当に社会主義の失敗である。
私のみるところでは、これらの見解のどちらも、1917年のロシア革命以来70年余りを経てきた歴史と整合し得ない。それらの見術で考えられているところより、問題はずっと入り組んでいるのである。
イラン革命のような少数の明らかな例外はあるにせよ、ロシア革命とそれに続く多くの革命が、19世紀前半にまで起源をさかのぼることのできる国際的運動に深く根ざした純然たる社会主義革命であることに、私としてはなんら疑いはないと思う。革命的闘争の先頭に立った政党やその指導者達は、大部分、鍛え抜かれたマルクス主義者達であって、彼等は、不公正で搾取的な体制を打倒し、マルクスとエンゲルス及び19世紀末と20世紀初頭におけるその後継者たちが説いていた社会主義の原理に基づく体制に、それを切り替えることにその生涯の任務をおいていた。そうした事情の強の激しい抵抗に逆らって達成された。新たな革命政権は、古い支配者を打倒し彼等の資産を取り上げることはできたし、その限りで社会主義社会の基礎をすえることに成功した。しかし、なお胎児のような新たな社会を発達させ保護する死活に関わる闘争から…不可避的にであるか否かには論議の余地があるにせよ・・・、指導者たちと人民との問に軍隊式の裂け目が生じ、それがやがて、最初の革命家たちの意思や意図に反し、敵対的諸階級の新たな自己再生産的体制へと硬化していった。それは明らかに資本主義の復活ではなかった。資本主義の復活であれば、それは反革命の結果であり、革命的政権自体の明確に内的な発展の結果ではなかったことになろう。
ソ連ではこの過程はほぼ15年ほど続き、1930年代半ばに旧ボルシェビキ党から残されていたものをぬぐいさったスターリンの粛正において頂点に達する。革命後の社会の性格がそこに確立されるのであり、それは資本主義的でも社会主義的でもなく、主要生産手段の国有と集権的計画とを伴う権威主義的階級社会であった。
本書の大部分が執筆された1960年代後半から1970年代までには、ソビエトモデルはすでにかなりの正統性と安定性とを獲得していたのであり、それが無限にこれからも続いてゆくことは保証済みであるかのように思われていた。しかし、最後の章が書かれた1979年までには、表面の静けさは深刻な誤解を招くものであることがすでにはっきりしていた。…その体制はたんにゆきづまっていたばかりでなく、すでに衰退期に入っていたのであり、それを逆転しうるとすれば、その体制の基礎の深部にまでおよぶ徹底的改革によるほかにはなくなっていたのである。
(新版に際して収録された論塙は、)「ベレストロイカと社会主義の未来」と題され、ソ連を第二次世界大戦の勝者たらしめ、その抗争でのおそるべき損失に続く再建を可能とし、さらに超大国の地位にソ連を到達させ得た社会体制が、それにもかかわらず、平和時の諸条件の下で、人々の合理的な必要を充すという極めて異なる挑戦課題に答え得なかったのはなぜか、という疑問に解明をすすめようと意図している。
その分析から生ずる結論は、ソ連の危機とその東欧同盟諸国の崩壊は、社会主義の失敗に帰着させうるものではないということである。ソ連で政権についた革命的政体はその性質上あきらかに社会主義的であったし、この十分に確定的な事実を否定したりあいまいにするいかなる試みも、歴史を偽造するものとなるであろう。
20世紀の社会主義革命は全て、極めて不利な諸条件の下で、そこから離脱した資本主義世界の列ける社会主義を求めての闘争は、既に説いてきたように、一種の階級制度の確立とともにずっと以前に敗北しているのであって、その明らかな諸成果にもかかわらず、結局のところ失敗に終わったのは、この階級制度なのである。
1990年4月16日 ニューヨークにて        ポール・M・スウイージー」

【出典】 青年の旗 No.167 1991年9月15日

カテゴリー: ソ連崩壊, 書評, 社会主義 パーマリンク