【投稿】わたしの「ソ連共産党崩壊」

【投稿】わたしの「ソ連共産党崩壊」

ソビエト共産党が、なくなろうとしている。
ソビエトでは、共産党が怨嗟の的となっている。いくらなんでも非合法にすることはないのでは、と遠い国にいる私たちは思うが、当事者たちは、ナチに等しいものを非合法にして何が悪い、といったふうな気持ちなのだろう。「レッド・パージ」が進もうとしている。
わたしは、80年代前半の学生時代、政治党派に属していた。ソビエト共産党を中心とする国際連帯を是とする学生左翼党派である。
そこでは、現在批判の的とされているさまざまなことが、基本的にはよしとされていた。たとえば、対外政策におけるブレジネフ・ドクトリン。内部における民主集中制。そして何より、社会主義経済体制の資本主義に対する優位性。
すでに「プラハの春」の悲惨も、「収容所群島」も歴史的事実となり、アフガン侵攻も行われた後である。日本での反ソ感情はピークに近かった。ソ連経済の停滞も明らかになりつつあった。
そんな中で「親ソ」的な団体に属するのは、反時代的な行動であった(それ以前に、政治党派というもの自体がすでに化石化していたが)。しかしわたしは、「反・反ソ」の気持ちからその党派の「親ソ」を容認した。
上記のようなソ連の問題がすでに噴出していた時期である。「ふつうの学生」たるわたしは、社会主義ソ連万歳、とは思えなかった。しかし、その党派では、ソ連のすばらしさを喧伝して、社会主義の優位を「大衆」にしらしめる、という古風な啓蒙精神が残っていた。80年代以降の大学生の多くは、政治的にはほとんどなんの経験も知識もないままに大学に入ってくる。それ故に、党派では、若くても時代錯誤的なソ連社会主義賛美に陥る人間もいた。わたしはそれを滑稽と思いながらも、積極的には反対しなかった。反ソ・反社会主義の風潮の中で、その積極面をきちんと伝えていくことは意味がある、と思ったからだ。さまざまな問題点はありながらも、ソ連社会の下部構造は搾取のない民主的なものであり、それに見合った上部構造は、これから整っていくだろう、というのがわたしの考えだった。党派の方向性を変えるようはたらきかけることもなかった。
この反社会主義的な風潮の中で、社会主義の良さをうったえることは意味のないことではない、というエクスキューズの中で、党派の人々の、そして自らの判断停止を許していた。ソ連を善とする人々の確信をつきくずす自信もなかったし、さしせまってそうする必要も感じなかった。外部から社会主義の困難を無責任になじる「インテリ」にもなりたくなかった。
また、組織内の「民主集中制」の内実や、「大衆を指導する」政治党派のありように、深い考察を加えることもしなかった。そうしてわたしは、多くのことに対し判断を保留したままでいた。「とりあえず、意味のないことじゃない」と。
いま、ソ連共産党員は、社会から追われようとしている。そのなかには、ソ連共産党に批判を持ちながらも、内部にとどまり、しかし党を変えることのできなかった人々も多く含まれているだろう。 わたしの属していた党派は、幸か不幸か、学内でもあまり大きな勢力ではなかった。とくに「ソ連社会主義支持」の世論をつくることは、わたしの在学していた80年代にはほとんど不可能であった。
もしわたしたちが大きな社会的勢力であり、ソ連共産党の内外政策を支持し、それと類似のことを日本で遂行することができていたなら、わたしも、いま、この社会から石もて追われているのだろうか。
ソ連共産党の困難を-あるいはその消滅を、わたしの困難、わたしの中のある部分への否定として受けとめなければならない。その非民主性、対外政策の誤りへの批判を、自らへの批判としてうけとめなければならない。社会主義、および資本主義に対する考えの甘さを思い知らなければならない。ソ連社会の現実への無知、あるいは判断停止を認めなければならない。

現在、日本共産党は、ソ連社会主義の崩壊した今、日本共産党の理念の具現化の物質的保証も消滅したのではないか、という社会的な批判にさらされている。それをかわすため、彼らは、ソ連共産党の解体を、自分たちと関係のないものとするのに躍起である。それを嗤うのはたやすい。しかし、日本共産党以上に社会主義ソ連を日本の社会変革の一つの保証としてきた党派に属していたものは、そうした批判をより苛烈にうけてしかるべきだ。(なにしろ、社会主義ソ連を評価しない、というのがわたしの属していた党派の日本共産党批判の大きな論点の一つであったのだから。)
繰り返しになるが、かつて私の属してた党派は、日本共産党にすらおよびもつかないような小さな社会的勢力でしかなかったおかげで、いま日本共産党が-さらにはかの国でソ連共産党が-受けているような社会的批判にさらされないですんでいるのである。批判すらしてもらえないのだ。その批判を、自ら発し、自ら受けねばならない。
自らへの批判のみで満足することも許されない。「わたしは自覚的だ」と考え、たとえば日本共産党と自己区別し、満足するのも、一種の罠だ。「ソ連はともかく、自分の持ち分で出来ることをする」というのも、こうした状況では一つの態度だろうが、かつてとは別の判断停止にふたたび陥るおそれがあろう。
いかなる思考と行動が必要で、可能なのか。その端緒をつかむべく、あがかなければならない。いま日本でサラリーマンをやっているわたしには、あがき続けることすら難しい。しかしわたしは、わたしのこれまでを「ないこと」にはできない。
ソ連共産党の解体をわが解体としなければ、わたしは「その次」を考えられないし、この先前へは進めない。ぎゃくに、それを希望としなければならないだろう。だれもが、ソ連共産党の崩壊を対岸の火事にしてしまおうとしているこの国で、それを「当事者」として重くとらえかえすことが求められることもあろうから。 (大阪府 K)

【出典】 青年の旗 No.168 1991年10月15日

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