【報告】’91フォーラム関西 第3回例会開催(9/8)

【報告】 ’91フォーラム関西 第3回例会開催(9/8)
                「社会党改革と連合労働運動」をテーマに

91フォーラム関西・第3回例会が、去る9月8日に開催された。「社会党改革と連合労働運動」をメインテーマに、日本社会党大阪府本部の荒木伝副委員長と全国金属機械労働組合の嶋田一夫書記長から問題提起を受けた。はじめに、社会党改革について荒木副委員長から報告を受けた。

<<社会党改革、政策主導の政党に>>
4月の統一地方選挙における社会党の敗北から、党改革の論議が活発化し、その結果、7月の臨時党大会で執行部の党改革案が一部修正により可決された。政権を担いうる政党へ脱皮するための、党改革の一定のコンセンセスが形成されたと言える。
今回の党改革の内容として、党内論争となっていた論点である日米安保条約や自衛隊、あるいは原発政策などに関する等の姿勢が大々的に取りあげられているが、もう一つの重要な柱として、政策部門重視の政党を志向し、書記局主導であった党運営を国会議員主導に切り替え、院内総務の総務会が執行権限を持てるようにしたことは重視されなければならない。

<<社会党を支える二つのベクトル>>
参議院選挙における社会党の大躍進により与野党の逆転現象が生じた時に、社会党に何を期待するかという国民の世論調査では、「自民党との妥協も恐れず、現実的な対応を取ってほしい」という意見と、「安易な妥協は瀬図、自民党政治を監視する役割を果してほしい」という意見がほぼ半数であった。
つまり国民の意識としては、「社会党に政権を取ってほしい」というベクトルと、「自民党の誤った道を訂正し、チェックする機能を果してほしい」というベクトルがほぼ同じ力で社会党を支えており、どちらの足を取っても大きく揺れ動く状況にあると言える。そうした中では、自民党政治をチェックする機能を果たしながら、社会党の提起する政策を実現していく政権を、どのような形で構築して行くのかということが検討されねばならない。

<<政策展開システムの手法>>
政策という場合、いくつかの段階に分かれる。例えば、①現状を根本的に変えるマクロ的な政策、②公定歩合の上げ下げといった、現在持っている政策手段のどれを使うのかという政策、③その中間として新しい立方や行政、法令などにより制度を新しくしていくという政策、という具合いに様々な段階の政策がある。
安保廃棄にせよ、非武装中立にせよ、社会党はマクロ的な政策だけで、大味な議論しかなく、②や③を積み上げて行くという方法が決定的にない。この場合、整合的に三つを追求して行く姿勢を持たない限り、非武装中立を実現していく政策的な手だては結局なくなり、オールオアナッシングに終わるか、ずるずる妥協を重ね、体制内政党になるのかのどちらかしか道はない。野党を結束させ、どこで自民党をチェックしていくのかということを追求していく、そういう政策展開手法が社会党の中で成熟していない。

<<世論と政策のかい離>>
社会党の場合、政策と世論との間にかなり大きなかい離があるが、それは野党の宿命である。大切なことは、どの程度、そのかい離をきっちり見つめているかである。世論を無視しては政治はありえないが、世論だけに依拠していては政治の未来はない。
非武装中立を支持している国民は約20%であるが、社会党はその小数世論に足を置いている。こうした世論の状況に対し、非武装中立という理念に向かって、今踏み出すのは何かということが問われなければならない。例えば、日米安保の問題についても、全欧安保のような枠組みがアジアにおいてもできていれば、日米安保が存在していても実質上その機能が発動されなくなる状況を作り出すことは可能である。非核3原則の厳守や軍事費の凍結など、外枠を全部埋めていくことによって、最終的に日米安保を機能停止の状況に追い込んでいくそういう方法を取らない限り、日米安保存続か廃棄かという、そのレベルのマクロ的な論争だけでは国民の支持は得られない。

<<大衆運動の要求と政策>>
大衆運動の要求は、ダイレクトに政策や行政レベルの課題になりきらない。大衆運動の要求がただちに政策になるのなら、政党はいらない。
清掃処理工場の設置の問題についても、反対の住民運動が巻き起こる。しかしながら、どこかで処理する必要はある。その場合に、人工何人に対して、一つの清掃処理工場が必要だという地区処理の原則を政策として打ち出せるか否かである。
党の政策と大衆運動の要求とは必ずしも一致しない。一致しないからこそ健全なのであって、泥にまみれた中から一歩一歩改革していくしか社会の改革の道はありえないし、政権への接近もない。

続いて、金属機械労組の嶋田書記長から「連合運動の総括的視点」と題する報告を受けた。

<<総括の視点>>
①政治主義への傾斜(総評)--大衆行動の否定(同盟)
官公労を中心とした総評労働運動が、実質的に社会党の選挙を担っている現実の下では、組合幹部の天下りを社会党が受けざるを得ない客観的な条件がある。そのことが総評の政治主義への傾斜を強めたと言える。一方、同盟は労基法の一般的拡張などの問題に積極的に取り組んでいるが、そうした課題において大衆行動を提起することについては否定的な考えである。
大衆行動を提起しながら、賃金・労働条件の社会的な水準を確立していくという労働組合の固有の課題にどれだけ取り組んでいるのかということが問われなければならない。

②組織方針の弱点--産業別労働組合の強化
組織方針上の問題として、産別加盟の原則が地域のナショナルセンターの機能を妨げているという問題がある。ほとんどの労働組合が企業別に組織されているという現状の下では、地域の中小、未組織の組合をどう組織していくのかといった場合、一つの大きな壁にぶちあたる。これでは広範な労働者を組織することはできない。
さらに、連合の大単産の複合産別化という組織方針により、資本系列べつに組織化を進めるという構図が進んでいる。

③労働組合主義(トレード・ユニオニズム)の見直し
労働組合主義という言葉は、経済主義のみを重視して、政治的には体制に従属していると言うイデオロギーであって、悲観的な言葉として使われている。イデオロギー的な側面のみではなく、もっと素直に労働組合運動そのものの立場に立って、連合労働運動をどう強化していくのかということを考える。そしてそこから反撃をするということが大切なのではないだろうか。

④労働組合と社会改革
労働組合は社会科威嚇を担う勢力であるという自覚を持たなければならない。そうした運動を具体的に提起する任務を有している。すなわち、福祉国家論を正面に据え、どういう社会をめざしていくのかということが議論されなければならない。

⑤両輪の国際主義へ(ILOなど国際機関と労働運動)
東西対立から協調の時代へと変化しているが、ILOの国際的な公正労働基準を連合に持ち込んでくることが求められている。ビックユニオンとしても、それを否定できない客観的背景が厳然としてある。

<<連合運動の評価と課題>>
①連合の組合機能をめぐって
連合は、自由にして民主的な労働組合をめざしているが、実質を伴わない形式的(民主的)運営の弊害がある。全ての参加者から公平な意見の時間を確保しようとするため、例えば、同一の日に各種機関会議が行われる場合、三役会議で発言した産別の組合は、その後の中央執行委員会では発言できないという決まりになっている。形式的な平等にとらわれずに、様々な討論がもっと行われる必要がある。
また、現在三役は25名いるが、多くても10名位にすべきだということが、組織の検討委員会で議論され、承認されたとしても、三役の了承なしで決めるのはおかしいという意見が大勢を占める。さらに、組織強化拡大委員会と財政委員会が全く切り離されて議論されているため、どういう運動をするのかという総体の議論がなされていない。このように縦(産別)と横(地域)の組織的柔軟性の欠落がある。

②労働諸条件の闘い
連合春闘においては、7単産調整会議(自動車総連、電機労連、電力労連、情報通信労連、鉄鋼労連、ゼンセン同盟、私鉄総連)で水準相場や主要な戦術などが決められる。この中で東京だけでなく全国的に、そして特に中小を組織している金属機械を、その調整会議の中に入れろと要求している。連合の山田事務局長も趣旨は同感と答弁しているため、JC4単産の相場形成をどう突破していくのか、大衆のエネルギーを使った春闘をどう作っていくのかという観点から、調整会議に参加することを追求しながら賃金闘争を闘っていきたい。
時間短縮闘争については、「賃上げか時短か」、「賃上げも時短も」という「かも論争」が行われているが、鉄鋼労連を中心に意図的に春闘の新たな中心にすえられてきている気がする。鉄鋼労連は交替制の職場であり、実感的に残業が規制されているため、時短を推し進めやすい環境にあると言えるが、管理春闘で主導権を握ったように、連合労働運動のヘゲモニーを時間短縮で握ろうとしているように思われる。
人手不足の状況下で、そして総量規制の伴わない下での時短は、単位労働時間の密度が高まり、新たな労働強化の攻勢となって現れてくるのではないだろうか。松下は1800時間で合意したが、その危惧は大きく、関東のメーカーでは現在のところ合意に達していない。松下の推移を見守る必要があるだろう。そして、長時間労働が及ぼしている周辺のテーマ、過労死や単身赴任などの問題にも積極的に取りくまなけれならない。

③政策・制度改善の闘い
エネルギーや税制、土地問題など政策的に意見の一致しない課題が非常に多く、また要求が出来るだけ政策として実現できなければならないと言う考えから、政策化できるのが要求となっているという現実がある。今回、老人保健法の改正について、官僚と一緒に政策作りを行い、連合と日経連と健康保険連合会の三者で、国庫負担の引き上げを前提に老人の個人負担の引き上げを認める共同の要求を提出したが、大蔵省、厚生省に蹴られ、結局合同要求と異なる改悪案が国会に提出された。政策を実現していくプロセスの問題として、整合性を考えずに大衆的組織として直接的な生の要求を強める必要があるのではないだろうか。
労働組合は組合員の利益を守ることが大切だと言うが、ナショナルセンターとしては、そうでないことをしてほしい。その視点に立つと、米の問題については対米摩擦を緩和するために、電機も自動車も産別の利害が先行するために自由化に賛成することになる。これでは組合なのか産業の代表者なのか分からなくなる。組合員のためにと問題を立ててくると議論が噛み合わなくなる。この点がすべての政策論議の問題の中で最大の問題となっている。

④政治路線をめぐって
連合の政治勢力を巡って、自民党と対抗する社民勢力の結集を推し進めるのか、自民党を含む政権交替を可能にする政治勢力の形成を図るのかという二つの勢力の争いがある。これは、旧同盟、旧総評という枠ではない。
大衆運動としては、どこに行くのか分からなければスタンスも決まらず、やりにくいという側面がある。「自由・平等・博愛」というスローガンもいいが、同じ自由でも、狼の自由もあれば羊の自由もある。社会民主主義を正面に掲げて自由の中味を明確にしていかなければならない。

<<社会党の改革について>>
東海閣の議論がどれだけ公開されていたのかが重要なことだ。政策の見直しだけでは改革ではない。組織を変えることが改革なのだ。党だけではなく、どういう政治勢力を作るのかという運動が提起されなければならない。原発反対を言うのであれば、今の生活水準を落とすということを大胆に言わなければ、今の情報社会の中では組合員は納得しないし、電機・自動車の単産と論議したらとてもじゃないが議論に耐えられない。どういうレベルでどういう生活をするのか、また誰が生活のレベルを落とすのかと言う問題はあるけれど、大胆にあるべきこれからの社会はこうだという提起が必要だ。長期的に展望して社会党が示すべきものと国民の要求とが衝突してもいいし、また、その時に言わなければ社会改革は出来ない。政党にはどういう社会を作るのかということを言う責任がある。

<<総評センターについて>>
総評センターは連合が担えない運動を化と的に担う位置づけで、組合費を払って存続させている。4月26日に掃海艇が湾岸に出発すると言う前日の25日に総評センターの総会が行われたが、決議も見解も示さなかった。見解を求めたところ、見解は持っているが連合に配慮してやらない。不団結を拡大してはならないとの答弁だった。それに対して何も抗議できないのであれば、総評センターはいらない。みしろ連合の平場で論議したほうがマスコミも取り上げてくれるし、社会的な問題として論議できるはずだ。

以上のような問題提起の後、参加者から活発な意見交換、討論が行われた。次回は、ソ連情勢・共産党の解体などの問題をテーマにフォーラムを開催することを確認して終了した。             (文責 大阪 T.O)

【出典】 青年の旗 No.168 1991年10月15日

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