【投稿】解党的出直しができるか 社会党

【投稿】解党的出直しができるか 社会党

社会党は、91年12月19日から21日の三日間、第58回定期大会を開き、田辺委員長のもとでの党改革の実質的なスタートを切ることになった。
議案として92年度運動方針(案)が発表され、「公正な政治、政権を担う党へ」とタイトルを付したように、90年代の中期までに政権交代を実現するという戦略のもとで提起された方針となっている。
その前提となる考え方は、「我が国の内外政策の行き詰まりは、長期にわたって、自民党の単独政権が続いているところにあります。」という点に大きく絞られているようだ。社会党の若手議員でつくるニューウェーブの会の中心メンバーである筒井信隆は、「政権交代のない日本の政治を変えられるのは、社会党しかないんです。だからその事を本気で社会党がめざすべきだと考えて頑張っているのです。党内の対立は、今や左右のそれではなく、本気で改革をめざすベレストロイカ派と今までの路線を路襲する保守派との対立になっている。」と語っている。
時あたかも、ソ連の8月革命によるベレストロイカの勝利=共産党の解体によって、世界の政治地図は大きく塗り替えられた。アメリカにとっても大きな軍事的ライバルであったソ連の革命は、世界の軍事バランスの変化に止まらず、政治、経済、社会の世界的規模での激変の始まりとなるのではないだろうか。
その影響は、単に北方領土といった懸案問題に止まらず、もっと広がりをもった大きな津波のようなものになるのではないか。その大きな変化の底流にある情報技術革命は、ソ連・東欧の体制を倒したように、日本の権力構造を根本的に揺さぶることは間違いがない。西側の情報の波が東側の鉄のカーアンを越えて民衆の心をつかんで放さなかったように、先進国の政治・経済の到達段階としての産業民主主義、経営民主主義や政治における参加型民主主義の発展を日本の権力者は、国民に隠し通すことができない。ドイツ人の豊かな暮しや,ECの労働者の経営参加といった情報が、やがて速い日本にも正確に伝わるようになった時、驕り高ぶる日本人が、自分の惨めな姿に気づき、本当の豊かさと生きることの生きる意味を真剣に考えることになるだろう。
大衆の知的・情報基準の上昇に伴い、支持政党への不満はさらに大きく膨らみ、支持政党無し層の更なる拡大が政界再編成の気運を一層高めると思われる。西側を代表する自民党と東側を代表する社会党という二大政党(正確には一対二分の一)の崩壊が始まり、中長期的には、自民党から自由主義と保守主義の分裂へ、社会党から社会民主主義と社会主義の分裂へと進まざるを得なくなるのである。
社会党にとって深刻なのは、産業革命にも匹敵するこのような時代の変化に対応して自己を革新する活力に欠けているところである。労働組合の経営への参加という大きな問題でさえ、全く方針の中で触れていないが、今や社会的存在となった企業が日本で、又海外の進出先でも「公正な企業市民」として認められるためには、労働者の経営への参加と株主の諸権利の保障が必要である。
また社会党を民主主義の党へと改革するためには、政治、経済、社会のあらゆる分野で分権を推進し、市民が各分野で意思決定に参加することの重要性、必要性を党全体が認識する必要がある。党自身にとっても大きな自己改革が必要なこの「分権」という問題については、言葉だけが空珂りしているきらいがある。連合政権という国政レベルと異なる貴重な経験を積みつつ、与党として権力に近い政策決定に係わっている地方自治の分野からまず社会党改革が進むことが期待される。
(1991年12月5日 大阪:M)

【出典】 青年の旗 No.170 1991年12月15日

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