青年の旗 1986年8月1日 第114号
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【主張】 大衆闘争の前進と統一こそが反撃の要
–衆参同時選挙の結果と教訓–
<自民党の大勝>
中曽根の掲げる「戦後政治の総決算」か「中曽根政治の総決算」かを争点とした衆参同時選挙は自民党が衆院選で前回(八三年一二月)より四五議席を増やし保守系無所属も含めると三〇六議席と史上最高の議席数を獲得した。一方、野党は社会党が前回より二七議席も減らし、百議席を大きく下回る八七議席、公明、共産両党はほぼ横パイ、民社党も議席数を大きく減らし、三九議席から二六議席となった。これにより自民党は絶対過半数を大きく上回り国会情勢は与野党伯仲から再び自民党の絶対安定多数となり、中曽根の任期延長あるいは自民党総裁三選の線も浮上してくるのは必至であり、労働運動をはじめとしたわが国の民主運動にとっては、今以上に厳しい時代を迎えることとなった。
<「自民大勝」の実態>
だが、こうした自民党の大勝も自民党の政策に対する国民の支持を表わしたものではない。大勝した衆院選でも絶対得票率は三五%で、三分の一強の支持でしかなく、都市部では二~三割台政党であることは変わりないのである。参院選比例区では自民党は得票率三八・六%(前回三五・三%)にとどまっており、社会党も二〇〇万を上回る票を上積みしており、前回の一六・三%から一七・二%へと上昇しているのである。衆院選で自民党は三九〇万票を増やしたが、その内訳は野党の既存票から百万票、投票率上昇分二九〇万票となっており、また、自民党の衆院選と参院比例区選での得票率の差(約六百票)に見られるように地域の利益誘導をテコとした前回の選挙棄権者に対する組織化という点が自民党が野党に大勝する要因となったのである。
<「自民大勝」をもたらしたもの>
しかし、こうした事態は、一方で、政治的経済的に重大な岐路に立たされ、たとえ「ウソつき」と言われても、無理をしてでも同日選で起死回生を狙わぎるを得なかった危機意識に支えられた策略であり、参院選だけでは自民党が闘えなかったというのが真相である。
それゆえにこそ、政府・自民党は、都合の悪い救治的経済的に重大な選択・争点(円高対策、内需拡大策、福祉削減、増税、スパイ防止法、軍事費一%枠、SDI参加、靖国法案、憲法改悪等々)をすべて回避し(一切の公開論争の拒絶)、逆に自らを拘束し、危機に追い込まれかねない公約(「大型間接税は導入しない」「マル優は残す」、大型補正予算)をまであえて断言して選挙戦を乗り切ったのである。
また、野党が対置すべき積極的な政策転換の政策をもちえていない中で、自民党ニューリーダーは「二一世紀までに社会資本を充実させる政策」(宮沢)、「ハイテク中心の第三次産業革命の必要性」(安倍)を売り込み、党首並みの扱いの中で、野党を政策論争の対象外にさせ、派閥の競い合いの中であらゆる保守層、権力機構、資本を動員し、相乗効果を高めさせたのである。
<野党の敗北をもたらしたもの>
これに対して野党側は、反自民・反中曽根の連合政権構想、政策協定がまったく追求されず、小手先の単なる議席維持のためだけの選挙協定が先行しただけであった。その中で、社会党は、選挙最終局面で「ゆるやかな連合」政権構想を 平和・軍縮、積極経済政策への転換、戦後民主政治の継承を中心に提起したが、時期すでに遅く、具体政策に欠け、公・民の自民すり寄り構想の前にただ提起されただけであった。また、共産党は、自民にもまして野党攻撃に没頭し、生かされるべきその中曽根対決路線がセクト主義の合理化のみに使われ、広範な統d戦線戦略をまったく提起しえなかったのである。
特に、経済政策について共産党の民主的効率的行政改革論にみられる行革攻撃への屈服からいまだに全野党が脱却できておらず、公・民両党は行革路線に引きずり込まれたままであり、積極的拡大経済政策が自民党からしか出されていないのが現状である。このことは、独占資本の論理である行革・民営化攻撃と対決することを避けさせ、本来革新勢力が獲得すべき中小企業、零細企業、商工業者を逆に保守の側に追いやることとなっており、これが都市における自民党の復調の要因となっている。その意味では「生活保守主義」が勝利したり、「生活の豊かさ」・中流意識に基づく「安定」の路線が勝利したのではなく、円高不況の一層の深刻化のなかで保守の側の積極政策が、革新の側の活力のない保守的政策を上回ったのである。
しかし、「自民大勝」後の経済情勢は予想をはるかに越え、質的に悪化している。円は一五〇円台に再突入、史上最高値を連続更新し、内外の公約四%成長はもはや達成不可能となり、貿易黒字も縮小するどころか拡大し、放置できない情勢となっている。緊縮路線はもはや維持することができず、路線転換が求められているが、大型間接税導入、三兆円補正予算等を巡って、矛盾と対立がますます激化しており、今こそ大衆闘争の前進と統一が求められている。