【書評】『旧真田山陸軍墓地、墓標との対話』
(小田康徳編著、2019.11.発行、阿吽社、1,800円+税)
旧真田山陸軍墓地の存在は、今日ひろく社会に知られるようになっている。
「ここには明治四年(一八七一)の墓地創設から昭和二〇年(1945)の敗戦と陸軍の解体至るまでに軍と戦争に関わって死んださまざまの人びとの墓標が、いまも軍の階級別また戦役別などに区画された一定の広がりの中に整然と立ち並んでいる」。
その中に個人の名を記す墓碑5,091基以上、日露戦争(1904~05)および満州事変(1931~33)に関する合葬墓碑が5基、日中戦争開始(昭和12年・1932年)~第二次世界大戦終結までについては戦没者男女8249人分の分骨を収めた納骨堂が建てられている。
本書はこの真田山陸軍墓地に関する総合的かつ実証的な調査を踏まえて、近代日本の戦争と軍隊と国の責任をどのように考えるかという問題を提起する労作である。
このための視点を本書はこう語る。
「われわれは、墓地の特性が一人ひとりの生活と不可分であったことに眼を向けた。そして、まず一人ひとりの墓碑等に注目し、その形やそこに記載された文字と対話してみるところから始めてみようと考えた。陸軍墓地とは、軍と戦争に関わって命を落としたさまざまな人びとの生きてきた証となる施設であり。また一人ひとりの生が軍や戦争との関わりで断絶した事実を示す施設でもあること、それを抽象的にではなく、具体的に知っていくことから始めようと考えたのである。おそらくそこには墓碑の数だけの生きた物語があるはずである」。
かくして本書は、「第一部 陸軍墓地の通史をまとめる」という概説の後、「第二部 さまざまな死者との出会い」において時代を追って、「軍隊や戦争における彼らの生きざまをえぐりだし、また同時に、この墓地に葬られるに至ったその時々における陸軍や戦争の真実を明らかにしてみよう」とする。そして徴兵制が施行される前後の時期の埋葬者をとりあげた「第1章 平時の死没者」に始まり、「第2章 西南戦争と大阪での死没軍人たち、「第3章 日清・日露の戦争から大正期の対外戦争まで」、「第4章 十五年戦争と関わった人々」と続く。
本書でわれわれは、墓碑銘文やそこから探求された資料から、「墓地は陸軍がつくったが、葬られたのは、一人ひとりの歩みを重ねていた人間である」ことを改めて認識するとともに、その背後にあって彼らを巻き込んだ軍隊と死との関係を実感する。個々の兵士の生きざま・死にざまについてはそれぞれの記述を読まれたいが、これまであまり知られてこなかった「生兵(せいへい:徴兵令初期の新兵を6か月間教育・訓練する制度)」、陸軍での脚気の「流行」、屯田兵や水兵の墓碑、日清戦争時の清国人俘虜や軍役人夫として従軍した民間人の墓碑、第一次世界大戦におけるドイツ兵俘虜の墓碑等々、近代日本が経てきた戦争の諸側面を本書の至る所で垣間見ることが出来る。
このように旧真田山陸軍墓地は、「旧陸軍と戦争に関わって死んだ内外さまざまな人びとの亡骸を葬る場所であった」が、しかしそこはまた「死者を護国の英霊とし顕彰する」場所としての性格をもあわせ持っていたこと、すなわち「軍隊側からは、対外戦争とともに国家的な戦争の大義に殉じた軍人たちの『遺徳』を顕彰する場として位置づけ」られて来た。この後者の傾向は日中戦争以降ことに強まり、そして敗戦によって陸軍が解体されたとはいえ、今日に至るまでこれら両義の区分けについては曖昧なままに置かれているという、複雑な性格を持っていることが忘れられてはならない。
「戦後の改革の中で問われなければならなかったのは、そのことがもつ国民にとっての意味だったはずである。戦後の変革期、陸軍墓地をどうするか。その存在と記憶を歴史の中で意味づけ、今後のあり方を検討する。こうした視点は存在していたのであろうか。(略)一方で、靖国神社の歴史的意味が厳しく問われ、その存在も危ぶまれながら、陸軍墓地あるいは忠霊塔の問題についてはその陰に隠れていたのか、議論の中心は進駐軍の政教分離の原則にどうつじつまを合わせるかの検討に終始したと言わざるを得ない」。
本書は、旧真田山陸軍墓地の調査研究から、まさしく今日なお残されているこの問題をわれわれに提起する。(R)