【書評】『戦後日本を問いなおす-日米非対称のダイナミズム』(その2)
(原彬久著 ちくま新書 2020年9月発行 880円+税)
福井 杉本達也
―社会民主党の解党と日米安保-
1 なぜ社会民主党は解党することとなったのか
社民党は11月14日、「東京都内で臨時党大会を開き、立憲民主党に合流するため国会議員や地方組織が党を離れることを容認する議案を可決した」、党には国会議員では福島党首のみが残留し、吉田幹事長ら3人は立憲民主党に合流する見通しである(福井:2020.11.15)。敗戦直後の1945年、戦前の非共産党系の右派の社会民衆党系、中間派の日本労農党系、左派の日本無産党系などが合同して結成された日本社会党(1996年に社会民主党へ改名)の事実上の解党である。
冷戦崩壊後の1993年の細川連立政権への参加は社会党の日米安保、憲法、自衛隊に関する基本姿勢の転換を迫ったが、これまでの外交防衛政策は踏襲するということで合意した。細川・羽田政権崩壊後の1994年の自社さ政権において、社会党の村山富市氏が首班指名され、村山首相は、就任直後の国会演説で、安保条約肯定、原発肯定、自衛隊合憲など、旧来の党路線の180度の変更を一方的に宣言した(後に1994年9月3日開催第61回臨時党大会で追認)。この結果、社会党の求心力は大きく低下した。
著者はそれを「従来の自衛隊『違憲』の方針を『合憲』に変更し、『反安保』を『安保堅持』へと大転換し、かくて『反米』から『親米』へと宗旨替えをします」、「反体制であった左派主導の日本社会党は、政権獲得とともに突然体制側と同一線上に立ったのです。かつての反体制社会党の首相が自衛隊閲兵をするという、およそ想像もできなかったあの光景は、逆に日米非対称システムなる歴史的構築物がいかに牢固なものであるかを示すとともに、戦後日本の構造そのものがこれまたいかに堅牢なるものであるかを表すものでもあります」と表現している。
村山政権成立後の翌年(1995年)、沖縄で米兵による12歳の少女へのレイプ事件が起こった。沖縄県民の怒りは頂点に達し、「日米地位協定」を改定せよとの積年の主張に火がついた。村山首相も「見直し」に意欲をみせ、米国防総省でさえ「見直し」に肯定的だったとされる。しかし、河野洋平外相はじめ外務省はガジガジの現状維持を主張した。これについて著者は「外務省が『現状維持』になるのが問題ではありません」とし、「仮に村山政権が、すなわち政治家である首相・外相があのとき現状変革(地位協定改定)の主導権を、それも歴史的見識と強力な指導力に裏打ちされた外交力を果敢に駆使できたなら、『地位協定改定』は何らかの進展をみたはずです。なぜなら、『不動の地位協定』を変革していく条件があのときほど揃った時期はなかったからです。日本外交の脆弱性はここでも明らかです」と述べ、「政党が保守であろうと革新であろうと、政治家が現実主義者であろうと理想主義者であろうと、彼らが『力不足』の日本外交をどれほど強化してきたかは、極めて疑問であるといわざるをえません。日米非対称システムをこれほどまでに強固かつ長期に延命させた『理由』の一半が、やはり『弱者日本』のなかにあったことは否めない事実です」と書く。
さらに著者は別の個所において、「野党が説得力ある現実的・具体的な安全保障政策をもつことができない」こと、「いつでも政権を獲る態勢にあるべき野党第一党が、国民にとって何よりも重要なこの安全保障政策を明確に提示できないということであれば、同党がそもそも政権担当の能力も使命感もないのだ、と受けとられてもしかたがない」とし、「あたかも自民党政権を助けるかのように、『政権』から遠ざかる方向に進んでしまい」、「大局を見失って多くの小党が再び『わが道』を歩みはじめ」ることに対して、「結局は政権側に“閣外協力”」することになると、厳しい苦言を呈している。
2 「自発的隷従」
カーター大統領時の安全保障担当大統領補佐官だったブレジンスキーは、米国の「安全保障の傘」によって「日本は行動の自由を制限され、世界の大国になりうる力をもちながら、アメリカの保護国でもあるという矛盾した状況が生まれている」と発言し、当時の日本人に衝撃を与えたが、著者はこの「衝撃」こそ「安全保障に対する日本人の鈍感さないし甘えを裏側から証明している」とする。また日本政府内においても中曽根内閣の官房長官だった後藤田正晴が『情と理-後藤田正晴回顧録』において、東京都心の六本木にある米軍基地(赤坂プレスセンター)について、「どうして安保条約で(米軍基地を)あそこに置けるのか。置けるわけがない。あるいはまた、首都東京のすぐ入り口に、世界有数の外国の海軍基地(横須賀海軍施設)を置いてある国なんて、世界のどこにあるんだ。つまりこの国は半保護国」だと書いていることを紹介している。しかし、最近では、政府部内からはこうした声はほとんど聞かれなくなった。
著者は「一般に支配者ないし、強者の存在は、被支配者ないし弱者の側がもつ何らかの『理由』にどこかで支えられている」、「彼らが『強い』だけでは支配者・強者であり続けることはできません」、「弱者は意図するとしないとにかかわらず、強者に何らかの形で『協力』をすることが、結果として強者の支配的立場を維持・強化している」という。
このことは西谷修監修:エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ著『自発的隷従論』に詳しい。ラ・ボエシは「民衆は、隷従するやいなや、自由をあまりにも突然に、あまりにもはなはだしく忘却してしまうので、もはやふたたび目ざめてそれを取りもどすことなどできなくなってしまう。なにしろ、あたかも自由であるかのように、あまりにも自発的に隷従するので、見たところ彼らは、自由を失ったのではなく、隷従状態を勝ち得たのだ」と、「人はまず最初に、力によって強制されたり、うち負かされたりして隷従する。だが、のちに現れる人々は、悔いもなく隷従するし、先人たちが強制されてなしたことを、進んで行うようになる」という。西谷はその『自発的隷従論』の解説「不易の書『自発的隷従論』について」において、不平等な日米関係を念頭に、「アメリカへの従属は、日本にとってあたかも『自然なもの』であるかのような環境が作られ、国際政治であからさまにアメリカに追従することは言うに及ばず、経済においても文化においても、アメリカに従い、アメリカを範とし、『アメリカのようになる』ことが理想のように求められてきた」「こういう手合いが、冷戦終結後20年を経たいまも旧態依然の日米関係を不問の前提のように支えている。」「日本を他に類のない『親米国家』に仕立て上げているのが、支配エリートたちのこの『自発的隷従』なのである」と書いている
ところで、著者はあとがきにおいて、「日本が戦後75年間自由と民主主義の理念をアメリカと共有してきた」とし、それを守ることが「日米それぞれの死活的国益」だとするが、これこそ、本書の中において著者が批判してきた「自発的隷従」そのものではないのか。米国の掲げる「自由と民主主義」とは、空虚なイデオロギーである。米国は、その建国前後からの先住民(インディアン)虐殺・抹殺をはじめに、米西戦争とフィリピンの侵略、米国民の大多数が反対していた第一次世界大戦への参戦、第二次世界大戦、二次大戦後も、朝鮮戦争、ベトナム戦争、キューバ介入、アフガン・イラク戦争等々数々の戦争の歴史であった。米国の掲げる「自由と民主主義」とは「戦争の自由」と「金融資本の民主主義」であり、戦争介入の旗印である。そのような戦争国家の「理念」を日本は共有してはならない。著者も指摘する「アメリカの国力の相対的な衰退」の中、対中国・ロシアとの安全保障をどうするかという日本にとって最も肝心な点を巧妙に避けている。しかし、それら隣国との外交なしには、日本の安全保障は立ちいかないし、「相互依存の対称システムへとパラダイム・シフト」は不可能である。
著者は、米国の軍事力という「裸の権力」を「“内装”・“外装”」し補強するものとしての「『効用』としての天皇制」・「『侵略性除去』としての新憲法」・「『駐軍協定』としての安保条約」を鋭く分析しながら、最後に自発的に隷従する日本のエリートに妥協してしまったのは残念である。