【書評】『新危機の20年―プーチン政治史』(下斗米伸夫著 朝日新聞出版)

【書評】『新危機の20年―プーチン政治史』
(下斗米伸夫著 朝日新聞出版 2020年10月 1700円+税)

                            福井 杉本達也

1月11日、米下院議長のペロシは米議会占拠事件にかこつけてトランプ大統領を弾劾訴追するにあたり、 ‘A Complete Tool of Putin, This President Is’ 7 times Putin, Putin, Putin, Putin, Putin, Putin, Putin,(この大統領はプーチンの完全な道具。プーチンはアメリカと世界の民主主義を破壊しようとしている…。プーチン、プーチン、プーチン)と虚偽を繰り返した。あたかも、世界のあらゆる場所で起こった事件はロシアのプーチン大統領に全ての責任があるかのようにである。欧米ではプーチンを独裁者ヒトラーになぞらえ、崩壊したソ連帝国の復活を目指しているとの批判もある。特に米民主党の軍産複合体・金融資本の影響下にある日本のマスコミなどはプーチンのロシアを非民主的な独裁国家と一方的に報道する傾向が強い。例えば1月13日の日経は坂井光論説委員の「プーチン体制という名の怪物」という評論を掲載している。最近の英調査報道機関発表の野党指導者ナワリヌイ氏の“暗殺未遂事件”を巡っての一方的報道などもその典型である。本書は、こうした日本における一面的なロシア観を正すには最適であり、プーチン政権20年の政治史、遡ってソ連邦崩壊からエリツィン時代も含み、「選書」という体裁ではあるが、かなり専門的な本である。

1 ウクライナ・クリミア問題とNATOの東方拡大

ロシアと欧米の関係を決定的に冷却させたのはウクライナ・クリミア問題である。著者は「2008年4月のNATO首脳会談で米国ブッシュ政権が、NATO東方拡大をウクライナやジョージアへ広げることを決めたことが8月のジョージア紛争、14年2月のウクライナ紛争の理由になった…つまり米国はロシアに対し旧ソ連圏でもヘゲモニーを承認することを求めた」。当時、メドベージェフは妥協的であったが、プーチンはこれを拒否した。そして、「多分に米国内政上の理由から拡大したNATOが、しかも『革命の輸出』というかつてのソ連的やり方で、ロシアにとっては譲れないクリミアにまで到達した地点で、ハードなやり方で対抗した。それはユーゴ崩壊、コソボ紛争、ジョージア戦争をへて米国が進めた展開の延長ではあったが、従来とは異なってロシアにとって引き下がれなかった。こうして協調から対抗を含む秩序へと国際社会は変わった」という。ウクライナのマイダンクーデターを担ったのは、米CIAが訓練したネオナチであるが、それを指揮したのがネオコン派のビクトリア・ヌーランドである。「ヌーランド国務次官補は米国ウクライナ協会の講演で、ソ連崩壊後約50億ドルを関係NPOに支払ったと述べている。…クリントン国務長官に近い彼女は同年1月にクッキーを持ってキエフのマイダン派を激励」している。そのヌーランドをバイデン次期政権は国務次官に任命するとしている。マイダンクーデターをホワイトハウスから指揮したのはバイデン副大統領であった。

2 対米関係―トランプ政権のロシア・ゲートとはなんだったのか

著者は「トランプ共和党政権は90年代から米国政界の『超党派的でネオコン・リベラル的な介入主義』コンセンサスがもたらした中東やロシアなどでの対外政策の挫折や隘路を修正し、『国益』に基づいたEUやロシアを含めた対話と『取引』をもたらそうとした。共和党の古い伝統に基づいたバランス外交の復活である。ロシアとの対話復活はその中心でもあった」。しかしトランプのこうした政策は米ロの緊張を緩和するもので、軍産複合体・金融資本にとっては好ましくない。そこで「退任予定のオバマ大統領は大統領選挙に外国政権が関与したとして捜査当局に調査させた。…この結果深刻化したのがロシア・ゲート事件である」「その政治的効果は明確で、就任直後の対ロ打開は国内圧力で挫折」してしまう。結果、2019年12月の『米国家安全保障戦略』において「ロシアが中国と並んで、米国の『国益と価値観の対極にある修正主義勢力』であると位置づけられ」米ロ関係は冷戦終結後最悪となっていると書く。

3 シリア問題

「中東は、米国の関与政策の自壊もあってロシアが得点を重ねた分野となった。プーチン大統領は2015年9月の国連総会で演説し、『ヤルタⅡ』という名目で反テロ介入をシリアに対しておこなった。このことはロシアが旧ソ連以外の地域に冷戦後はじめて軍事介入した面で見逃せない。このこともあってIS(イスラム国)は敗北したが、そのことは『アラブの春』以降の欧米の批判や反政府勢力の台頭で追い込まれたアサド政権の復権を促した。ロシアのこの面での盟友、シーア派のイランもまた協力した。アサド政権はこうして事実上内戦で勝利し、ロシアは中東での影響力を回復した」と述べる。シリアで政府軍と戦っている武装勢力はサラフィ主義者やムスリム同胞団であり、元々、ISはその発足から米CIAの傭兵部隊である。「米国が支持する『穏健反対派』の、対IS義勇軍はわずか数名」であり、シリアにオバマ大統領が言うような穏健派は事実上、存在しなかった。もう一つ、ロシアとトルコの関係も見逃せない。リビア問題では立場は異なるが「エネルギーのトルコ・ストリームなどでの露土協調を妨げるもの」ではない。トルコがNATO加盟国であるように、結果、「これまで親米国とみなされた国々までもがロシアとの関係改善に動いている…いまや中東情勢はプーチン・ロシアの意向抜きには動かなくなった」。

4 エネルギー問題とロシア経済

著者はロシア経済について「エネルギー依存から容易に脱しえず、石油価格が2016年以降は、10年前の1バレル100ドルを超した高価格で推移した時期とは異なり、石油価格が1バレル40ドルから60ドル水準で今後とも推移する」。「ロシアはエネルギー市場では、米国のシェールガス革命以降、価格形成に占める役割は減じているもののOPEC諸国との協調というシナリオが有効になった。なかでも12月に国営ロスネフチ社の民営化で株式の2割近くをカタールとスイスの投資会社が落札したことは、ロシアと産油国カタールとの天然ガスをめぐる政策協調が重要となっている」と指摘する。

ところで、ロシアは「米国とサウジアラビアとが協調して原油価格を大きく下げる『結託の悪夢』に悩まされてきた。1985年・レーガン政権ではサウジアラビアの増産によって原油価格を下げられ「ソ連崩壊、そしてロシアの零落」につながった。「ソ連末期のチェチェン危機からユーゴスラビア崩壊とコソボ独立、そしてソチ五輪とウクライナ危機にいたる潮流の陰に米国とサウジアラビアの蜜月があった」。2020年4月にはサウジは米国が当然「結託」するものとして、またロシアに原油価格戦争を挑んだが、今回はサウジと米国の完全な敗北に終わった。米原油市場で先物価格が史上初めの買い手のつかないマイナス価格をつけた。4月20日、ニューヨーク原油先物の5月物は1バレルマイナス37.63ドルとなった(日経:2020.4.22)。きっかけは3月のサウジによる原油25%増産によるロシアへの価格戦争であったが、サウジはアラムコの海外上場を事実上放棄し、国家財政も破綻しかかった。また、トランプ政権も自らの支持基盤である国内のシェール産業を守るため、サウジに追随せず、サウジ原油に関税をかけると脅したこともサウジにとっての誤算となった。その後、サウジはロシアとの協調減産に戻り、6月には原油は1バレル40ドル台に戻った。ロシアは旧ソ連時代から続いてきた米国とサウジの「結託の悪夢」から解放されつつあるようだ。

5 中国と東方シフト

ウクライナ危機を通じて、ロシアのアジア・東方シフトは一層強化した。「ロシアは対欧米関係が経済制裁もありますます悪化するなか、超大国化している中国との戦略的パートナー関係を促進…準同盟的関係を強化した。同年5月には4000キロに及ぶ『シベリアの力』など巨額なガスパイプライン建設企画に合意し、翌15年には上海協力機構とユーラシア経済同盟の連携を強め、中国のいう『一帯一路』構想との接点を拡大してきた」。しかし、「中国の地経学的企画である『一帯一路』政策に対しては、ロシアは」懐疑的だとしている。また、「ロシアは外貨準備での人民元の比重を2018年半ば以来高めており、ドル離れ経済を進めようとしている」と指摘している。米国から経済制裁を受けるロシア中銀は金の購入を増やし続けており、保有残高は2200トンを超える。コロナ下で乱発されるドルへの信認はよりいっそう揺らぎ、国際通貨についても中ロの関係は深まっているといえる。

6 日本との関係

安倍政権は、2016年のG7において「首脳会談の中止を求めるオバマ政権の圧力にも独自性を発揮、モスクワとのコンタクトを続けた」。2018年9月のウラジオストック東方経済フォーラムにおいて、プチーンが「即座に無条件で平和条約を結ぼう」という提案をおこなった。これに対応した、安倍首相はいわゆる“北方領土”「4島の領有を確認」という従来の方針を一転、「1956年共同宣言を基礎に」という方針に大きく転換した。「安倍政権は『外交白書』などを通じてそれまでの条約交渉の礎とされた『北方領土』という言葉すら使用することをやめた。」しかし、その後、日ロ関係は膠着してしまったが、理由は「国際情勢、とりわけ米ロ関係の極端な悪化にある」と著者は分析する。

日ロの経済関係は徐々に改善しているものの、米国のシェール等の横やりにより、原油輸入割合は2015年の9%から2018年には5%に落ちている。LNGは8%を占める。プーチンは原油や天然ガスを朝鮮半島を通じて日本に輸出するという朝鮮半島ストリームを構想・提案している。天然ガスの大量消費国でLNGだけに頼っているような国は日本と韓国だけである。当然、パイプラインは北朝鮮を通過する。そうなれば、北朝鮮の経済も改善し、現在のような「拉致問題」一本やりの外交とも呼べない状況の転換を図ることが可能となる。「日本が隣国とのエネルギー依存関係を2~3割まで高めるというヨーロッパの水準に高めたとしても不思議ではない」。今年のアジアは厳冬で、LNGの争奪戦となっており、LNG火力発電に40%も依存する日本は輸入に苦労している(日経:2021.1.15)。そろそろ、「北方領土」や「尖閣諸島」や「竹島」といった米軍産共同体が自らの都合に合わせて描き日本に押し付けてきた近視眼的な、日ロや日中・日韓朝の緊張を激化させるだけの構図から脱出し、自らが大きな構図を描く時期である。

本書は日ロ関係のみならず、日米関係、日中関係などを考える上でも示唆に富むものである。

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  1. 高木ひろし のコメント:

    愛知の地で、日ロ友好運動の伝統をかろうじて継承しているものとして、下斗米氏は信頼に足る学者です。バイデン政権でSTARTSの継続はいいとしても、反プーチンキャンペーンだけが異様にまき散らされる雰囲気の中で、理性的で冷静な日ロ関係を考えるための好著だと思います。

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