【書評】「メカニクス」の科学論

【書評】「メカニクス」の科学論

     佐藤文隆著 2020年12月 青土社 2,000円+税

                              福井 杉本達也

本書は『現代思想』(青土社)の2019年9月から2020年10月まで連載された佐藤文隆の「科学者の散歩道」を書籍化したものである。筆者が科学といっているのは「19世紀中ごろの欧州先進国で成立した『制度としての科学』、『職業としての科学』のことである。前史のギリシャ古典哲学や中華帝国の技術、錬金術や古代天文学、といった多くの芽まで包括するものではない…科学は真空の中に登場したのではなく、技術、軍事、政治、教育、医療、宗教、哲学、学術、情報、芸能などの各業界の旧勢力との軋轢の中でシェアを確保し、成長した物語でとしてみることである」。西欧に発する「科学については地域の歴史や文化と独立した普遍主義的な見方が支配的」である。しかし、近年は「科学の世界での中国の台頭」が華々しい。そこで、著者の関心は「現代科学発祥の英仏独米ロはキリスト教の支配した同一性を持った社会である。それに対し中国はこれと同化しない大きな文明の歴史を背負った社会である…そういう中国が科学の中心に座るかもしれない…科学の普遍主義的コアと西洋科学の来歴に由来する周辺部は分離して中国流の新しい衣をまとうかもしれない」と考えることから始まっている。

本書では西洋科学発祥の一因を「メカニクスの下剋上」にあるとする。「メカニクスやメカニカルが近代以前の西洋では社会的な差別語であった」。古代市民は「奴隷的で機械的な職業でない自由な職業」に価値を置いた。近代の入口でも「機械的技術に対する軽蔑…メカニックは自由人的、貴族的、騎士的といった価値のはんたいがわにあるものだった」。

蔑視されていた西洋起源の現代科学は、「一つにはギリシャ哲学やキリスト教神学といった学問世界の革新と、二つには航海・鉱山・軍事や錬金術などの技術や実験の合理化で成立し…旧勢力を『押しのけて』入れ替わったのである」。「各地の文明を支えていた伝統技術から科学と結びついた科学技術への移行は産業革命、資本主義、労働者階級の登場、都市化、帝国主義といった19世紀政治現象と一体であった。科学技術の最大の特徴は『大量化』の能力である」。「近代科学技術革命とは、社会的力を持ってきたのに学問世界から遠ざけられていた技術職能集団を引き込んで、学問世界の主導権を争った革命であった」。したがって、メカニクスには「人間を扱う仕事とちがい、『心がない』『ものを考えない』」卑賎な仕事とのイメージがつきまとう。「ガリレオ、デカルト、ニュートンらの活躍で学問世界にメカニックスが参入してから現代の『職業としての科学』が登場する」。

「自然哲学はwhyを論ずる」ことであり、「howは『機械的』『数学的』の仕事」であり、学問世界と身分の違う連中の世界のこと」であるとされてきた。「アリストテレスでは落下は上下左右の区別のある有限なこのコスモスに由来する自然の力である。斜面という『機械』はこの自然な出来事を妨げるコスモスでない異質なものである。しかし、斜面の角度を“徐々に連続して変える操作”はこれらの二つの作用を同質なものとして扱うことを意味する。斜面の傾斜角度を90度(鉛直)から0度(水平)まで変化させる状況を数学的に表現することで、コスモスを無化している」。「『howは下々の関心』だと見下された『下々』が数学上の証明で『コスモス』のwhy自体を突き崩した下剋上の物語である。『下々』の言説が効果を発揮できたは、身分の上下にまたがって存在する数学があったからである」。

「メカニクスは力学から始まり情報学に広まり、更に拡大していくであろう。理由は単純でメカニクスに便利なコンピュータや通信技術のテクノロジーが身近な社会に普及したからである。印刷術や用紙の低価格化が学問の性格を変え、口頭試験から筆記試験への変化が選ばれる才能の質を変えてきたように…データとメカニクスの技術の普及が学問世界に引き起こす影響は、文系理系を問わず、巨大なものであろう」とする。

早稲田大学の井上達彦教授は、中国のの躍進ぶりを理解するための視点としてリープフロッグを紹介する。「リープフロッグとは、経済や社会インフラで後れを取っている新興国が、先進国を超えた発展を見せるという現象である」。「第1は、同じ経路を短期間で進む『パスフォロー』。「 第2は、特定の段階をスキップして短縮する『ステージスキップ』である。固定電話のインフラを整備する段階を飛ばして、携帯電話の普及を進めるというのがその典型である」。「第3は、新たな技術で道筋をつくる『パス創造』であり、先進国の社会ではまだ実装されていない技術を導入することである。世界に先駆けて実装した、決済や与信のシステムはこれに該当する…中国企業の学習サイクルは速い。…仮説検証サイクルを『小さく、速く、賢く』回すことが当たり前になっている。経験学習のサイクルが速く、学習の時間密度も高いので、創造されたパスを一気に駆け上がって」いくとする(『東洋経済』2021,6,5)。

中国を巡っては、「専制主義」という批判、半導体を中心とする米中貿易戦争、新型コロナウイルス、ウイグル問題、台湾、香港等々さまざまな問題が山積するが、これは中国のGDPが近々米国を追い抜くという事態の中で発生している。しかし、データとメカニクスは今、中国が最も得意とする分野である。ここで、もう一度ボーアの量子力学の思想善導「黙って計算しろ!」となるのであろうか。中国を「専制主義」と批判する普遍主義を標榜する「民主主義」にも科学同様、特殊西欧の“残滓”がある、というか、「帝国主義」の”残滓“がある。独自の文明を背負った中国に無理やり押し付けようとしてもうまくいくはずもない。

本書は「メカニクスの西洋科学は20世紀において100倍にも規模を拡大したが、その中でメカニクスと西洋学問の衣の分離が進んだ」。「中国のような異なる学問の伝統をもつ社会の中にこのメカニクスが移入されれば、メカニクスは新たな衣をまとった営むに変貌するかもしれない」と締めくくる。

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