【書評】
『いないことにされる私たち──福島第一原発事故10年目の「言ってはいけない真実」』
(青木美希著、2021年4月、朝日新聞出版)
「福島第一原発事故から10年。/『十年一昔』といい、『復興が進み、多くの人々が元の地区に戻っているのでしょう』と記者仲間からも言われるようになった。しかし、いまも原子力緊急事態宣言が発令されており7万人が避難しているのが現状だ。もう過去のことだという世間の雰囲気に乗じて、あの話は終ったことにしたいという原発依存勢力が息を吹き返し、これまでよりは安全になったという『新安全神話』を広めている」。
この中で政府は被災者への支援を次々と打ち切っている。「政府と福島県は避難者2万世帯の住宅提供を打ち切り、その後、自死に至った人がいる。福島県南相馬市に暮らしていたある家族は、避難先の新潟県で住宅提供が打ち切られた。生活のため父親が除染作業員として一人で福島県に戻った直後、中学3年生の息子は、自ら命を絶った」。自死した中学生の父親はうつになり、入院したが、しかし政府は2019年、医療費を無料にする措置を打ち切る方針を決めた。父親は「有料になったら医療を受けられなくなる。子どものあとを追った方がいいのか・・・」と嘆いた。
本書は、「第1章 消される避難者」で、「復興」の掛け声とともに、原発による避難者数がいつの間にか減少、消滅しているカラクリを探り、「第2章 少年は死を選んだ」では、住宅提供の打ち切りをはじめとする政府の方策によって避難者が追い詰められている現状を問い詰める。
「第1章」で本書は、問題が提起された大阪府を取り上げて、「そもそも避難者数とは何なのか。。大阪府内の避難者に『全国の避難者数(復興庁による)』『全国避難者情報システム(総務省による)』『大阪府内の市町村集計(協議会による)』の3種類の数字が存在するのはなぜだろうか」と問う。そしてこの食い違いの中に、東日本大震災後の3年5カ月の間「避難者」の定義を定めなかったこと、都道府県と市町村とでは避難者の集計基準が統一されずに、自主避難したり、住民票を移した人を避難者数から除外していた例や住宅提供を打ち切られた避難者をカウントから除外していた例などのチグハグな集計のやり方が明らかになる。
そして避難者数が最も多い福島県では次のような事態が起こっている。
「福島県は当初から災害救助法に基づき住宅を提供した人を基本に数えてきた。自力で住宅を確保した人、長期避難者のために県が建てた復興公営住宅に入居した人、住宅提供を打ち切られた人などは入っていない。市町村が公表している避難者の数を私(註:著者)が集計すると、福島県内の避難者は、県が発表する統計7590人よりも3万5千人多かった(2020年6月~8月時点)。顕著なのは全町避難の双葉町で、全員が避難しているのに、県発表の県内避難者の数字は552人、双葉町が発表する県内避難者数は4026人(同年6月30日現在)。7.3倍の開きがある」。
これはどう考えてみておかしい、県が基本的に住宅を提供した人しか避難者として数えないのも、またこれが復興庁が示した避難者の数え方(2014年8月)とも違うというのもおかしいとして、本書はその点を県に問いただすが要領を得ない。県内を数えるにあたって復興庁から指導が入ったこともなく、調整した跡もないとう回答であった。
また「浪江町は帰還困難区域の人も含めて20年3月に住宅提供が打ち切られた。復興公営住宅だけではなく、多くの人が政府(復興庁)の公表する避難者から外れた。/浪江町が町外への県内避難者として把握しているのは21年1月末時点で1万2937人。一方で県が浪江町からの県内避難者として発表しているのは326人。40分の1だ。復興庁は自ら定義した『避難者』を数えていない福島県の集計結果を公表し、『避難者は減った』と復興の証として使っている」。
復興住宅に入居して政府と福島県に避難者と数えられていない浪江町の元住民は憤る。「数値のごまかし、そうやって、避難民はいなくなっているんだ」。
「第2章」では、住宅提供打ち切りによって、避難者の精神的な問題の深刻さがあらわになったことが指摘される。例えば新潟県で行われた精神の深刻度を測る「K6」の調査では、回答した避難者512人の24.8%が重症精神障害相当となった。これは通常時の平均(3%)の8倍である。
また本書がこの章で継続的に追っている少年の自死について言えば、震災関連自殺の集計である「東日本大震災に関連する自殺者数」(厚労省)の表には、「宮城、岩手、福島、東京、神奈川などの都道府県ごとの枠が設けられ、亡くなった人数が記されているが、新潟県は枠そのものがない。つまり新潟県では1人も亡くなっていないことになっている。それだけではなく、14年以降は岩手、宮城、福島の3県以外の場所で亡くなった震災関連自殺者は1人もいないことになっていた」。こうした状況は、その後多少の手直しがされたとはいえまだ至る所に残されていて避難者を苦しめている。
本書は、この状況を生みだしている大きな原因を、現地で避難者の精神的ケアに取り組んでいる医師の言葉に見い出す。
「パワハラって、加害者が被害者に謝ると、被害者の精神状態が良くなるんですよ。東電も国も謝っていませんよね。それがまた、人々を苦しめているんです。原発事故は国と東電による『国策民営』の人災。国が謝罪してきちんと賠償することが必要なのに国は向き合っていない」。
ところが国はこうした声に耳を貸さず、「当初定めた復興期間が20年度で終わるとして、19年12月に『復興・創生期間後における東日本大震災からの復興の基本方針』を閣議決定。予算は20年度までの10年間の31兆3千億円から、21年度からの5年間で1兆6千億円と大幅に減額される。(略)/年平均では約3兆円から、3千億円ほどと10分の1になる」。
こうして政府は復興交付金を廃止、中小企業再建や心のケアセンターなど各支援を縮小する方向に向かっている。更には「政官業学メディアの五角形」により、再生エネルギーの強調の間隙を縫って原発への回帰を画策している。
しかし本書は警告する。「原発事故から10年。忘却は、政府の最大の武器で、私たちの最大の弱点だ」と。個別の具体的事象から根深い原発の問題を炙り出す書である。(R)