【書評】『誰が命を救うのか──原発事故と闘った医師たちの記録』

【書評】『誰が命を救うのか──原発事故と闘った医師たちの記録』
            (鍋島塑峰著、論創社、2020年9月発行、1,800円+税)

 2019年3月9日に放映されたNHKのETV特集『誰が命を救うのか 医師たちの原発事故』を担当したディレクターの記録である。
 2015年NHK福島放送局に異動し、2016年3月、NHKスペシャル『“原発避難”七日間の記録 福島で何が起こっていたのか』の放送に関わり、その後改めて、事故直後に現場に立った医療者の視点で原発事故を記録しようと番組制作に取りかかった著者は、報道されててこなかった話の多さに驚愕する。「病院で酸素を待っている患者がいたのに屋内退避区域に業者が入ってこなかった。ドライバーは入ろうとしていたのだが、本社に止められた」、「寝たきりのおばあちゃんを残して家族が避難した。枕元に水とおにぎりを置いていたのだが、家族が戻ってこないうちに、おばあちゃんが亡くなってしまった」等々。
 そこで可能な限りでの東日本大震災と原発事故についての放射線医学総合研究所、福島県立医大、広島大学、消防庁、DMAT(災害派遣医療チーム)などの記録を読み起こし、当時の緊急被ばく医療に携わった医療者へのインタビューを通じて、「そのとき 何が起こっていたのか」を当事者の目線で記録を残すことを始めたのである。
 この膨大な作業の結果として現れてきたのは、原発事故では「各組織がそれぞれの現場で混ざり合いながら対応に追われていた」、「医師たちの証言から見えてきたのは、いわゆる『原子力安全神話』のもと、十分な体制が整備されてこなかった緊急被ばく医療の実態であった」。
 本書のそれぞれの証言はこのことを裏打ちしている。「一般的な災害現場での活動に関しては精通し、準備をしていながら、原子力災害には備えていなかったDMAT。そして原子力事業所の周辺にまで被害が広がった場合を想定していなかった緊急被ばく医療体制。それぞれの死角が突かれたかたちだった」。
 例えば、原発からの避難指示が出ていた半径20キロの圏内には高齢者を中心とする1000名近くの入院患者・施設入所者や医療スタッフたちがいたが、これらの人々は避難バスに乗せられ長距離移動を余儀なくされた。
 「搬送途中のバス社内の様子を、ある医師が撮影していた。バスのなかに体調の悪い患者がいるため、対応してほしいという連絡を受け、駆けつけたのだった。/撮影された映像委は、布団などにくるまれた高齢者がシートに力なく腰かけている姿が記録されていた。車内に乗り込んだ看護師が、緊迫した声をあげる。
 「こっちこっち、手がはさまっている。手を離して」「おばあちゃんの下にもうひとりいるの」「え、この下に?」「生きてはいるけど埋まってる。次、助ける。待っていて」
 バスのなかの患者は、ほとんど寝たきりの高齢者、自力で体を支えられない人たちがバスで搬送中にシートからずり落ちて、座席の下で折り重なっていた。泡をふいている人もいる。カルテもない。名前もわからない。
 「先生、この人、死んでいる」
 車内を確認したところ、バスのなかでは、すでに二名が亡くなっていた。/医師は救急車両を手配し、心臓マッサージをおこないながら近くの病院に搬送した。
 「こんなことが起こるなんて・・・」
 その他、オフサイトセンター(原子力災害時に現地対策本部が置かれる前線拠点)が有効に機能しなかった事実、3号機爆発後の汚染患者受け入れをめぐる混乱、極限に達した医療従事者のストレス・疲労など深刻な事態が生じたことが記録されている。
 この中で奮闘した医療従事者の方々には頭が下がるが、本書は指摘する。
 「東京電力福島第一原発事故から九年。原子力緊急事態宣言は、二〇二〇年のいまも続いている。/あのとき医療者たちが直面した大きな課題。原子力安全神話のもと、おざなりにされてきた備え、そして一人ひとりが迫られた重い決断──。/その教訓はいま、生かされているのだろうか」。
 そして「未曽有の原発事故によって、多くの不備が露呈した日本の緊急被ばく医療体制。その後、体制は見直されてはきているが、まだ道なかばである。その一方で、各地の原子力発電所は再稼働をはじめている」と。
 つまり国は、電力事業が国民一般の生活の重要な基盤であるがゆえに、事故などで電力の事業所が危殆に瀕した場合には国の主導のもとに国民の生命を守らなければならないのは当たりまえのことである。しかし国はこれについて責任をあいまいにしたままで「事業者責任」という言葉を隠れ蓑にして知らぬ存ぜぬを決め込んでいる。
 このような国の姿勢に対して、ある識者は憤る。
 「たとえば、くだんの放水作戦にしても、今回はたまたま東京消防庁が応じてハイパーレスキュー隊が原発構内で作業に当たりましたが、これは本来、消防の業務ではないんです。問題は、誰がそこを救うのかということを、国がちゃんと決めてこなかったことにあります。そして、じつはいまも決めていない。私はここに、大きな誤りがあると思います」。
 原発を再稼働させる前に、この部分をきちんと決めておかなければならない。しかし懸念は置き去りにされたまま「復興」は進んでいるとされる。将来への警告の書である。(R)

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