【書評】『東日本大震災──3・11 生と死のはざまで』

【書評】『東日本大震災──3・11 生と死のはざまで』
         (金田諦應著、2021年1月刊。春秋社。1,800円+税)

 本書によってわれわれは「臨床宗教師」というものの活動を知ることができる。著者は、宮城県内陸部にある曹洞宗・通大寺住職。そして傾聴移動喫茶「カフェ・デ・モンク」を主宰する。そのメッセージボードにはこうある。
 「Cafe de Monkはお坊さんが運営する喫茶店です。Monkは英語でお坊さんのこと。(略)『文句』の一つも言いながら、ちょっと一息つきませんか?お坊さんもあなたの『文句』を聴きながら、一緒に『悶苦』します」。
 こうして3・11東北大震災の避難所、仮設住宅を巡って被災者の言葉を傾聴する。
 その原点には、二つの体験がある。
 その一。大震災の後、新聞記者から沿岸から多数の遺体が来るという情報を得る。地震と津波によって遺体を荼毘に付す火葬場がほぼ壊滅し、内陸の火葬場に運ばれてくる多数の遺体。これに最後の祈りを捧げようと、僧侶たちに呼びかけ6名ほどの僧侶が応じてくれた。しかしここで普段とは異なる事態に直面する。「檀家の火葬ではなんの問題もなく読経できるのだが、ボランティアとして不特定多数の方々に読経するとなると、話が違う。私たち僧侶といえども、火葬場という公共空間で檀徒以外の方に向き合うためには、行政との取り決めが必要なのだ」ということである。つまり政教分離の原則の枷である。このため読経にあたっては、斎場管理の市、特定指定業者の社長、そして現場で働く職員への説明と了解が必要となる。この手続きを踏まずに火葬場や遺体安置所に入った宗教者がいたために、その後「宗教者お断り」となったところもあった。
 著者の場合、「最初に来た遺体は小学生5年生の女の子二人。小さな棺を前に祈りの言葉が震え、声が出ない。(略)にわか作りのお棺に入っている祖父、トラックの荷台に載せられてきた父、青いブルーシートに包まれた母、宅配便の冷凍トラックに妻と子を載せてきた夫、父の死骸に何度も話しかけている息子・・・。/静謐で残酷な『生と死』。そこには凍り付いてしまった心と、未来への物語が紡げなくなった人々がいた。火葬場での読経ボランティアは一ケ月半ほど続き、あわせて三五〇体ほどのご遺体に祈りを捧げた」。
 その二。震災から四十九日目。僧侶一〇名と牧師一名が参加しての「四十九日犠牲者追悼行脚」。南三陸町戸倉海蔵寺から海岸まで僧侶と牧師で歩く。「遺体の見つかった瓦礫の山には赤い旗が立っている。周囲には死臭とヘドロが入り混じった臭いが漂う。私たち僧侶の唱える経文はやがて叫びに変わり、後ろを振り返ると、牧師は讃美歌集を頻繁に閉じたり開いたりしている。この状況の中で歌う讃美歌が見つからないのだ」。
 そして自分に問う。「瓦礫が散乱する海岸に立つ。破壊の海を前に、教理・教義、あらゆる宗教的言語が崩れ落ちる。/大乗仏教中観哲学の祖、龍樹(りゅうじゅ)の『中論』を思い起こす。龍樹は『認識の不成立』を徹底的に説く。ならば、目の前の惨状は虚亡なのか。この惨状も不成立なのか。不成立なのに慟哭する自分がいるのはなぜだ。この湧き上がる慟哭も虚妄なのか」と。
 かくして著者は、これまでの教理・教義、宗教・宗派以前の「宗教者としての基底を支える」部分、「現場から立ち上がる『言葉』と、自らが信ずる宗教の教義とを厳しく対峙させる、その無限循環」こそが重要であるとして、ここから大災害現場に立ち、被災者の言葉をひたすら傾聴する運動を始める。
 その一環として「カフェ・デ・モンク」があり、具体的な活動の経緯は本書の至る所に記されている。被災者の体験はそれぞれの地獄、苦しみであり、それへの対応の難しさは言うまでもないが、この運動の継続的発展として「臨床宗教師」の活動・育成が志される。
 「臨床宗教師」とは、「被災地や医療機関、福祉施設などの公共空間で、心のケアを提供する宗教者」、「布教・伝道を目的とせずに、相手の価値観、人生観、宗教を尊重しながら、宗教者としての経験を活かして、苦悩や悲嘆を抱える人々に寄り添う」、そして「スピリチュアルケア」「宗教的ケア」を行なう宗教者とされる。
 この構想は東北大学大学院に「実践宗教学寄附講座」の設置と、そこでの超宗教・超宗派の宗教者の育成というかたちで結実し、欧米の「チャプレン教育」(教会・寺院に属さずに施設や組織で働く聖職者)を参考にはするが、日本人の宗教感情を踏まえて開講されている。
 こうした宗教者のケア活動に対して、とあるシンポジウムで、精神科の医師でもなく、臨床心理の専門家でもない宗教者が「心のケア」と称して介入するのはいかがなものか、という意地悪い質問が出た、と著者は語る。そしてこれに対して、こう切り返した、と。
 「私の住む栗原市は・・・(略)。その山から宮城県側に三本の川が流れている。(略)人と物はこの川を利用して行き交っていたのだ。つまり、私たちは彼らと風土・言語・文化を共有しているのである。川上の人間が川下の危機にあたり援助するのは当然のことで、ことさら心のケアということではない。/しかるに、精神科医も臨床心理士も、この地方の方言を理解できるか?文化はどうだ?なにか芸能の一つでも知っているか?信仰のありようはどうだ?あなたたちは何者で、誰に向き合おうとしているのか?(略)まあ、目的は一つ、それぞれの役割があるので、互いに専門性の囲いをはずし、一緒にやりましょうよ。会場のあちこちから笑いが起こる」。
 そして続ける。「人々は蛸壺の中に居座る専門家たちの『下心』には、決して心は開かない。専門家たちよ。蛸壺を出でよ!そこに待っているのは、命をつなぐ北上川と三陸の豊かな海だ」。
 こうした視点から被災者に寄り添う宗教者として、福島第一原発事故についてもこう語られる。
 「宮沢賢治の詩『雨ニモマケズ』は、現場に『行って』のフレーズが繰り返される。これは宗教者としての基本的な態度である。しかし、であるならば、『福島第一原発に行って、怖がらなくともいい』ということを、心の底から言えるだろうか。(略)宗教はこの原子力災害とどう向き合うのか。それは、『宗教はこの文明とどう向き合うのか』と言い換えることができるだろう」。
 以上のように本書は、宗教者の立場からの根底的な自省を含めて被災者の「心のケア」に取り組んできた僧侶の記録である。その活動には様々な議論があると思われるが、しかしこれまで大震災、原発事故に対して行なわれてきた活動に別の深まりの視点を提供するものであろう。いわんや昨今メディアを賑わしているカルト宗教などはこの爪の垢でも煎じて飲めば、と思われる。(R)

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