【書評】『犬の心』と『奪われた革命』

『犬の心 怪奇な物語』ミハイル・A・ブルガーコフ 著 / 石井信介 訳・解説
(発行:未知谷、2022/11/30 四六判上製272頁 2,400円)

『奪われた革命 ミハイル・ブルガーコフ『犬の心』とレーニン最後の闘争』 石井信介 著
(発行:未知谷、2022/11/30 四六判上製248頁 3,000円)

ここに紹介する二冊の書籍は、それぞれが不可分に補い合っている。『犬の心』はすでに邦訳『犬の心臓』(増本/V.グレチュコ訳、2015年)として出版されているが、訳者・著者の石井信介氏は、「犬の心」を「犬の心臓」としたのでは、ブルガーコフが意図したものとは異なる、まったく見当はずれの作品となってしまいかねないとの危惧から、今回あえて新訳に踏み切られた、と思量される。
 ブルガーコフが取り上げた「犬の心」の核心は、この作品発表の1924年当時のソ連の政権を、レーニンが意図した社会主義政権とは異なる、スターリンの独裁政権、民族主義政権、国家資本主義政権に実質上変質させつつあった、せめぎあいが繰り広げられていた、ある意味で切羽詰まった状況を反映したところにある。ブルガーコフは、その当時の政治・思想・文化・社会状況を正面から取り上げ、鋭い批判と辛らつな風刺を展開したのである。その中で、「犬の心」とは、日本語でも「この犬め!」「犬畜生!」と罵倒するときに表される、卑怯で下卑、粗野で噛みつく、それでいて飼い主にへいこらする心性を、スターリン主義にへつらう政治姿勢に重ねて表現したのであった。犬にとっては責任のない失礼な用法なのであるが、犬から人間に改造された「犬の心臓」ではなく、「犬の心」なのである。臓器としての「心臓」ではなく、感情、意志、意識、思いやり、精神といった意味での「心」である。

レーニンが死去したのは、1924年1月21日であった。この『犬の心』は、そのレーニンの死去から一年もたたない状況の中で執筆され、様々な文学仲間の会合などで発表され、検閲当局と発行をめぐってのやり取りで何度も修正、加筆、削除等が行われたのであるが、原稿は家宅捜索で押収され、結局は発行禁止となった作品である。ゴルバチョフ政権成立後のペレストロイカ政策によってようやく出版許可となったのが、1987年6月、実に62年間の発行禁止であった。この作品を除くブルガーコフの主要作品は、実は、1953年にスターリンが死去し、1960年代・フルシチョフ政権の「雪解け」政策で出版許可となったのであるが、この『犬の心』だけは許可されなかった作品なのである。それだけこの作品が、ソ連政権の核心、弱点を突いていたということであろう。ゴルバチョフ政権は、それを乗り越える課題を提起されていたのであった。
この紹介文を書いている筆者自身が、ブルガーコフその人、作品にからむこうした事情を、今回の石井氏の訳書・著書を通じて初めて知った次第で、お恥ずかしい限りである。
この新訳『犬の心 怪奇な物語』には、筆者のような「ブルガーコフ未知」を前提に、実に懇切、丁寧な訳注が97項目50頁超にまで及び、その広がりと奥行きの深さは、この訳書の価値を一層高めていると言えよう。
訳者・著者にしてみれば、もちろん、これではまだまだ足りない、論及が及んでいない問題点も多々あると思われる。そのいくつか、中でも最も重要なのは、「レーニン最後の闘争」をめぐる問題であろう。

「レーニン最後の闘争」が提起するもの

『奪われた革命 ミハイル・ブルガーコフ『犬の心』とレーニン最後の闘争』の目次は以下の通りである。

1 犬の心と人の心
手術後の心 /カラブホフの家と住宅委員会 /プレチスチェンカ通り /シャリクはどこで拾われた? /ブルジョアとプロレタリア
2 『犬の心』における社会主義批判
秘密警察のレポートから /ブルガーコフのソビエト政権批判 /ブルガーコフの日記に見るロシアの政治状況
3 『犬の心』の主題
プレオブラジェンスキー教授のモデルは誰か /シャリコフのモデルは誰か /ヨッフェのなぞ解き /レーニンから見たスターリン /ボルトコ監督の変身? /レーニン記念入党と新しい支配者の誕生 /『エンゲルスとカウツキーの書簡集』 /「全部かき集めて山分けする」 /攻撃の矛先はどこへ? /カーメネフ政治局員への直訴
4 家宅捜査と取調べ
道標転換派とブルガーコフ /家宅捜索のいきさつ /取調べ
5 『犬の心』のその後
ソ連の支配者になったシャリコフたち /『犬の心』とペレストロイカ /ソ連は社会主義国じゃなかった? /隠居のまとめ

この目次からも明らかな通り、この著書の全体が、『犬の心』発刊をめぐる、当時の具体的な人間関係を含めた政治・思想状況のち密な分析である。推察される最大の論点は、レーニンとスターリンの関係である。第二の論点は、レーニン死去後の「レーニン記念入党と新しい支配者の誕生」と、それが何をもたらしたかということである。

レーニンとスターリンの関係に関しては、最大の問題は、レーニンによるスターリン解任の問題提起である。レーニンがスターリンを解任すべきだとした理由の第一は、その独裁主義的・行政主義的手法であるが、より本質的に重要な問題であったのが、スターリンの大ロシア民族主義であった。スターリンは、レーニンの言う「少数民族の権利の尊重」を、「譲歩」とみなし、「許してやっている」と公言し、さらにスターリンが起草した民族政策の計画案では、ロシア以外のウクライナ、ベラルーシ、グルジア、アルメニア、アゼルバイジャンの5共和国をロシア共和国の中に吸収する、「赤熱の鉄で民族主義の残滓を焼き払う」というものであった。病気療養中であったレーニンは、当然、この計画案に強く反対し、ロシアを含めた6共和国がソヴィエト連邦の下にまったく平等に並び、なおかつ無条件での分離独立の権利をふくめた諸民族の民族自決を擁護し、「各民族は平等でなければならない」と強調したのであった。

そしてまさにこの論点こそが、現在のロシアのプーチン政権のウクライナ侵攻に直接的につながる問題なのである。
プーチン大統領は、今年2月21日、ウクライナ侵攻に際してウクライナは「我々にとって単なる隣国ではない」と述べ、「我々の歴史、文化、精神的空間の不可侵の一部である 」と述べた後、「現代のウクライナは、すべてロシアによって、より正確にはボルシェビキ、共産主義ロシアによって作られたのです。このプロセスは実質的に1917年の革命直後に始まり、レーニンとその仲間は、歴史的にロシアの土地であるものを分離、切断するという、ロシアにとって極めて過酷な方法でそれを行ったのです。」と、述べている。「ウクライナはレーニンの過ちの産物」であると断じているわけである。プーチン氏は、「スターリンはもちろん独裁者だった。しかし問題は彼の指導のもと我が国は第二次世界大戦に勝利したのであり、この勝利は彼の名と切り離せないことだ。」とまで述べて、自らスターリンの直接の後継者であることを認めているのである。米英が仕掛けた、ロシアを泥沼の戦争に引きずり込む戦争の罠から脱出するには、この民族主義の罠からまず脱出すべきだと言えよう。

民族主義は、第二次世界大戦での日本、ドイツの民族主義に典型的に示されたように、歴史上一貫して戦争行為に随伴してきたものであり、ふつふつと醸成されてきた民族主義こそが戦争を合理化し、優越主義と差別主義をのさばらせ、人類の連帯・平等・人権を踏みにじってきたのである。

本書は、まさにそうした現在進行中の危険極まりない情勢に対する警告の書である、とも言えよう。

なお、残された論点として、レーニンの新経済政策(NEP)と協同組合論について、さらなる展開が期待されるところである。それは、社会主義とは何か、という論点でもある。
(生駒 敬)

カテゴリー: ウクライナ侵攻, ソ連崩壊, 人権, 書評, 生駒 敬, 社会主義 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA