【書評】『綿の帝国―グローバル資本主義はいかに生まれたか』(スヴェン・ベッカート著 鬼澤忍・佐藤絵里訳 2022年12月 紀伊国屋書店 4,500円+税)
福井 杉本達也
1 新疆綿
『綿の帝国―グローバル資本主義はいかに生まれたか』は原注・索引などを含めると847ページにも及ぶ訳書であるが、訳はこなれていて読みやすい。本書の原書は2014年に刊行され、ピュリッツァー賞の最終候補にもなっている。鬼澤忍氏の訳者あとがきは「昨年(2021年)のこと、新疆ウイグル自治区で強制労働によって生産された綿を使用しているとして、大手アパレル企業が批判を受けたというニュースが流れた。…人権意識が高まっている現代においても、こうした劣悪な労働環境はなかなか解消されない」と書き出しているが、事実はどうなのであろうか。
シュライバー米国防次官補は、「2018年5月現在『ウイグル人の少なくとも100万人(ウイグル人の約8.9%)、しかし、おそらくは300万人(ウイグル人の約27%)の市民』が強制収容所である新疆ウイグル再教育収容所に勾留されている。」と中国を非難した。2021年1月、米国は、中国政府による新疆ウイグル自治区での少数民族ウイグル族弾圧を、国際条約上の「民族大量虐殺」である「ジェノサイド」であり、かつ「人道に対する罪」に認定したと発表し、新疆産の綿の輸入を停止した(Wikipedia 2023.3.14)。米国は綿製品について「収容所の収容者や受刑者を労働力として活用し、強制労働を行っている実態が合理的に示唆される」と説明、「中国政府が現代の奴隷制による搾取を行うことを容認しない」とした(CNN:2021.1.14)。しかし、丸川知雄東京大学社会科学研究所教授によれば、中国の公式統計を基に「『ジェノサイド』というほどのことが起きている証拠はまだ提示されていない」と指摘している(Record China 2021.8.16)。
ウイグル自治区の一次産品としては、小麦・綿花・テンサイ・ブドウなどが挙げられるが、どうして、小麦ではなく、綿花が「強制労働」の標的にされたのか。確かに新疆綿は繊維が長く光沢があり高級品とされ国際的な評価は高いが、それだけが理由ではない。本書は「綿」という特殊な農産物の秘密から、強制と暴力が大きな役割を果たしてきた資本主義発展の歴史の本質を解き明かす。
2 戦争資本主義
『綿の帝国』はヨーロッパ人の才能を「世界を『内部』と『外部』に分ける」ことだと書く。三十年戦争の講和条約として1648年にウェストファリア条約が締結された。これによってヨーロッパは主権国家間の秩序となり、相互承認関係で域内の戦争を抑止しながら西洋的価値観を『外部』の世界に広めていく。西洋的価値観や社会原理は、西洋固有の特権ではなく、諸国家の「自立・共存」の多様世界となり、「西洋」はみずからが編成した世界の中にその一部として解消されるべきものであるが、実際はそうならなかった(西谷修:『世界』2023.1)。「『内部』の世界は母国の法律、制度、慣習を内包しており、国家が強制する秩序によって支配されていた」が、西洋以外の「『外部』の世界は、帝国主義的支配、広大な領地の収奪、先住民の大量殺戮、彼らの資源の強奪、人間の奴隷化、民間の資本家による広大な土地の支配などを特徴としていた。これらの民間の資本家が、遠く離れたヨーロッパ諸国から監督されることはほとんどなかった。こうした帝国主義的属領には『内部』のルールは適用されなかった。そこでは奴隷の所有者が国家を凌駕し、暴力が法律を無視し、民間人による剝き出しの物理的強制が市場を再編した」。18世紀には「複数の大陸にまたがり、多くのネットワークを通じて広がっていた勢力が、ヨーロッパの資本家と国家が支配するひとつの中心に向かって次第に収束していった。こうした変化の中心にあったのが綿だった。この商品の生産と流通にかかわる多種多様な世界が、グローバルな規模で組織された階層的な、<帝国>に徐々に侵食されていった」(『綿の帝国』)。
3 奴隷制の支配
「新たに生まれた<綿の帝国>にとっては奴隷制とは適切な気候や肥沃な土壌と同じく欠かせないものだった。農園主が上昇する価格や拡大する市場に素早く対応できたのは、奴隷制のおかげだった。奴隷制があればこそ、大量の労働者をあっというまに動員できたばかりか、暴力的な監督と事実上不断の搾取という体制を築くことができた」。アメリカの農園主が他の地域と異なるのは「大量の安価な労働力」=「『世界一安価で世界一入手しやすい労働力』―の供給力に恵まれていた」からである。「綿花栽培には文字どおり、労働力の探求とそれを管理するための永続的な奮闘が必要だった。奴隷商人、奴隷小屋、奴隷の競売、何百万人もの奴隷の拘束に伴う身体的・精神的暴力は、アメリカにおける綿花生産の拡大とイギリスにおける産業革命にとって何よりも重要だった」。
「奴隷制は、反乱を起こす恐れのある奴隷への暴力を常に必要とし、その暴力は国家の黙認に基づいている。そのため、国家に支配力を及ぼしつづけること、あるいは少なくとも奴隷制反対論者を国家権力機関から締め出すことの必要性を、奴隷所有者は痛感していた」(『綿の帝国』)。
4 アメリカ先住民の虐殺
綿にとって適切な気候と肥沃な土壌がアメリカ南部に広がっていた。アメリカの農園主は「土地。労働、資本の供給をほぼ無限に受け入れられた」。課題は土地だった。「2,3年以上にわたって同じ畑を綿花の栽培に利用するのは不可能だった」。「かれらはひたすら、さらに西へ、さらに南へと転身した」。18世紀後半「アメリカ先住民は海岸地帯からわずか数百マイル内陸のかなり広い土地を依然として支配していた。だが、彼らは白人入植者の絶え間ない侵入を阻止できなかった。入植者は最終的に、数世紀にわたる血なまぐさい戦争に勝利を収め、アメリカ先住民の土地を法律的に「無人の」土地とすることに成功した。こうした土地は、そこに存在していた社会構造が壊滅的に弱体化ないし消滅させられた土地であり、その住人がいない、したがって歴史とのかかわりが失われた土地だった。邪魔者がいない土地という点で言えば、アメリカ南部は綿花を栽培する世界において敵なしだった」。
「1938年、連邦軍は奪った土地を綿花プランテーションに変える目的で、チェロキー族をジョージアの彼らの父祖の地から追放しはじめた。さらに南方のフロリダでは、1835年から42年にかけて、きわめて肥沃な綿作農地がセミノール族から収奪された。この第二次セミノール戦争は、ヴェトナム戦争以前ではアメリカ史上も長く続いた戦争だった」。
1838年の先祖伝来の土地を奪われるに際して、チェロキー族の首長ジョン・ロスは議会に対し「『われわれの土地は目の前で強奪されるだろう。われわれの仲間には暴力が振るわれるだろう。われわれの生命さえ奪われかねない。それなのに、誰もわれわれの言い分に耳を貸そうとしない。われわれは国民としての権利を奪われている。公民権を奪われている。人類社会の一員としての権利を奪われているのだ!』」と訴えた(『綿の帝国』)。
だが、時の大統領アンドリュー・ジャクソンは一万数千人のチェロキー族の1300キロの強制集団移住を強行した。その代表的な惨劇が『涙の道』」“Trail of Tears and Death”である。「ジャクソンは老若男女を問わぬ北米先住民大虐殺に血道をあげた。『やつらには知性も勤勉さも道義的習慣さえない。やつらには我々が望む方向へ変わろうという向上心すらないのだ。我々優秀な市民に囲まれていながら、なぜ自分たちが劣っているのか知ろうともせず、わきまえようともしないやつらは環境の力の前にやがて消滅しなければならないのは自然の理だ』と演説した」(藤永茂ブログ:「私の闇の奥」2020.8.1):詳しくは、藤永茂著『アメリカ・インディアン悲史』1972参照)。
5 『内部』と『外部』が一体となった『綿の帝国』米国の成り立ち
アメリカ先住民の徹底した排除・弾圧による、米国の歴史からの文字通りの抹殺と、黒人奴隷の暴力による「強制労働」から米国の国家は始まった。彼らは初めから『内部』ではなく、『外部』としてあった。「普遍的人権」は「人間の生存にとって欠くことのできない権利および自由」とされ、人が生まれつき持ち、国家権力によっても侵されない基本的な諸権利とされる。それは、西洋人固有の特権ではなく、あまねく世界のものであるはずだが、現実には「自由」や「人権」は「権利主体たりうるキリスト教ヨーロッパ出自の移住者にしか帰属しない」(西谷修『世界』同上)。そして今もアメリカ先住民や黒人は人権の外側にある。その延長線上に現代の中国やインド、東南アジアや中東、アフリカや中南米があり、また、スラブやロシアなど東方正教会の世界がある。
今日の米国による中国のウイグル「強制労働」への非難は、他国も“我々”と同じように、『外部』としての先住民を抹殺し、土地を奪い、「無主物」とした土地に綿花を植え、『外部』から持ち込んだ奴隷の強制労働によって綿花が摘まれているはずだという、<綿の帝国>の自己意識の反映である。