【書評】白川真澄「脱成長のポスト資本主義」(社会評論社 2023-04)
<<「脱成長」論が提起する課題と現実>>
(初出:「季報唯物論研究」第164号 2023/8)
<新自由主義経済路線の「脱成長」>
今我々が直面している現実の資本主義は、産業資本主義段階から、金融資本が支配する金融独占資本主義段階にあり、1971年のブレトンウッズ体制の崩壊、ドル・金兌換廃止以降は、米国は他のどの国も持たない債務特権、つまりは「いつでも紙幣を印刷できるので、米国はどんな借金でも返済できる」(アラン・グリーンスパン、1987~2006年米連邦準備制度理事会・FRB議長)、基軸通貨としてのドル一極支配体制に移行した。この下で、金融規制緩和政策が推し進められ、金融資本が支配するマネーゲームが横行し、規制緩和万能・市場原理主義路線=新自由主義経済路線が世界中に跳梁跋扈する段階となった。
米国はかくしてポストブレトンウッズ体制から多大な恩恵を受け、世界中にドル国債をばらまき、買い支えさせ、厳密に計算すれば破産状態にあるにもかかわらず、対外債務を返済する能力も、支払う意図もなく、この債務特権にあぐらをかき、ドル一極支配体制を通じて、通貨はもちろん、世界中の他の地域の労働力や実物商品・製品を組織的に過小評価し、取得することを可能にし、グローバリズムがそれを一層促進させ、そうした事態の進行に依存する経済、米国内の実体経済がどんどん空洞化し、実体経済の生産額とGDPの間に前段階には見られなかった乖離が露呈する段階となったのである。米国では、金融と保険と不動産業界の対GDP比率は15~24%増加し、すでに製造業を上回っている事態である。対して、米国の製造業は最新データによると7ヶ月連続の縮小となっている。
金融資本の金融資産(預金)は、歴史的にGDPの約40%であったが、2020~2021年には GDPの70%以上にまで上昇している。2007年11月の金融危機前のピークから15年間で、銀行預金の総額は 6.6 兆ドルから 17.6 兆ドル、年率 6.2%にまで急増している。FRBが金融緩和政策の名のもとに市場にあふれさせたイージーマネーによって、2020年3月以降は、その成長率は年率10% 近くまで加速、対照的に、2007年第4四半期以降、名目GDPは年率 3.8% しか拡大していないのである。しかも、米国がGDPと呼ぶものの大部分は金融サービスによって肥大化されている。それでも、2023年第1四半期の米国経済は年率1.1%の成長にとどまっているが、この減速はやみそうにもない。インフレ率を意図的に低下させる現在のCPI算出を、1980年代と同じ計算方法を用いれば、GDPは実はマイナスなのである。
かくして金融資本は、収益のかなりの部分を成長のための資本に投下するのではなく、さらなる最大限利潤追求の場としてのマネーゲームへの資本投下と、上位1%層への配当と自社株買いに割り当てたのである。 その路線を最大限利潤追求者として合理的であり、良しとしたのである。言い換えれば、新自由主義とは、経済を金融化させ、実体経済を破壊させ、社会保障を削減・民営化させ、新たな債務危機を引き起こす金融システムでもある。
そして、新自由主義経済政策の始動後、世界の成長グラフは実際に下降、ないしは鈍化しているのが現実なのである。その意味で、新自由主義経済推進論者は、米国は言うに及ばず、全世界に「脱成長」の課題を強制し、経済活動を急速に衰退させる、かれらこそが、世界で最も先鋭かつ実践的な「脱成長」論者なのだとも言えよう。もちろんこのことは、新自由主義路線そのものが、「脱成長」を掲げている、あるいは意図的に「脱成長」に追い込んでいるというわけではない。結果的に「脱成長」路線を推進しているにすぎないのであって、地球環境危機や気候危機から「脱成長」を主導しているわけでは全くない。むしろ、新自由主義経済路線は、アメリカの、環境を破壊し、危険で有害で高価なフラッキングガスをヨーロッパに押し付けていることに象徴的なように、地球環境危機・気候変動危機をより悪しく激化させているのである。
白川氏は、「ブレーキがなく、アクセルしかない資本主義では、気候危機は解決しない」、「経済成長をダウンさせ経済を縮小する脱成長への転換が求められる」と主張されているが、如上のような、現実に進行している「脱成長」路線をどのように評価されるのであろうか。主観的には別として、客観的には結果としてもたらせられる「脱成長」は大いに歓迎されるべき、同盟軍なのであろうか、それとも無視しても何ら差し支えない、論議すべき対象ではないと考えておられるのであろうか、基本的な疑問である。「経済成長をダウンさせ経済を縮小する」ことそれ自体が目的となれば、その「脱成長」の中身、実態、本質が問われることはない。白川氏がそんなことを主張しているとは考えられないので、より前向きな議論の展開が望まれるところである。
<ウクライナ危機の現実>
白川氏は、序文の冒頭で、「新型コロナ感染症の世界的な大流行とロシアによるウクライナ侵略」を、「私たちの予測能力や想像力をはるかに超えた2つの出来事」と述べておられる。コロナ危機は別として、ウクライナ危機は、突如勃発したものではなく、ある程度予測されていたことである。
それは当事者自身が自己暴露していることからも明らかである。2015年2月17日に国連の安全保障理事会は、13項目からなるウクライナ東部紛争の停戦を実現する「ミンスク合意」を承認する決議をしているが、アンゲラ・メルケル元独首相は、昨年12月7日のツァイト紙のインタビューでミンスク合意は軍事力を強化するための時間稼ぎにすぎなかったと認め、その直後に、フランソワ・オランド元仏大統領もメルケル氏の発言を事実だと語っている通りである。当事者のウクライナ政権自身がこの合意など守る意思はさらさらなかったことを公言し、挑発的な軍事行動を絶え間なく繰り返していたことは周知の事実であった。ロシア側の抗議と米ロ首脳会談にもかかわらず、停戦交渉を意図的に妨害し、ぶち壊してきたのはアメリカとイギリスなのである。
とりわけ米エネルギー産業独占資本と産軍複合体、ネオコン勢力は、何年も前からユーロ経済圏のロシア天然ガス依存政策を問題にし、ノルドストリーム天然ガスパイプライン爆破攻撃につながるユーロ経済破壊政策を、米国防省ペンタゴン配下のランド研究所がすでに提起していたことが明らかになっている。
このウクライナ危機に関する最も重要な点は、歴史上最も回避可能な戦争であったということであり、米英がロシアを泥沼の戦争に引きずり込み、プーチン政権は大ロシア民族主義からそのワナにはまり込み、一連の誤算に基づくウクライナ侵攻に突き進んでしまったのだと言えよう。
プーチン政権のスターリン主義路線への回帰ともとれるレーニン路線(民主主義の徹底としての社会主義、民族自決権の擁護)の否定(侵攻開始にあたってのプーチン演説)が、このウクライナ危機解決に芳しからぬ悪影響をもたらしていることも指摘されねばならない、見逃し得ない論点であろう。
しかし、一見、米英の悪辣な戦略が成功したかに見えるウクライナ危機は、対ロシア経済制裁政策によって、逆に巨大なブーメランとなって跳ね返り、今やドル一極支配体制が足元から崩れ去る、世界的な脱ドル危機として跳ね返ってきているのが現実である。
冷静に分析し、評価がなされれば、こうした事態の進行は、「私たちの予測能力や想像力をはるかに超えた出来事」ではないのである。
そしてウクライナ危機の現実は、対ロシア、対中国の緊張激化路線を一層拡大することによって米英はもちろん、日本を含むG7諸国の軍事費を巨大化させ、国家債務を膨大化させ、インフレを進行させ、米欧側が望む「経済成長」をさえ阻害し、経済的治的危機を深化させ、ここでも結果として、「脱成長」路線を推し進めてしまっているのである。
<問われているオルタナティブは何なのか>
こうした新自由主義経済路線と核戦争にもつながりかねない緊張激化路線に対するオルタナティブこそが問われている、と言えよう。何よりも優先されるべきは、ウクライナ危機の平和的・外交的解決は可能であり、「戦車ではなく、外交官を送れ!」(欧州平和運動のスローガン)という、軍拡に反対する緊張緩和政策・平和外交政策であろう。これなしには、他のオルタナティブが成り立たないからである。
新自由主義経済路線に対しては、金融資本の規制緩和を撤廃し、金融資本の独裁を許さないトータルな規制、民主的規制、金融資本を社会化するオルタナティブ、気候危機・環境危機に対応した社会的インフラ投資に重点を置いたオルタナティブ、ニューディール政策こそが提起され、優先されるべきであろう。そのもとでこそ、白川氏が主張される「医療、介護、子育て、教育などケアに重点を移行させる」オルタナティブが生かされるのではないだろうか。
白川氏が強調する、気候変動危機に対するオルタナティブとして提起されている連帯経済への様々な取り組みや問題提起は貴重であり、生かされるべきは、言うまでもない。(生駒 敬)
※ 本書評の掲載については「季報唯物論研究」編集部の了解をいただいております。