【投稿】能登半島地震1か月―『天災のあとは、すべて人災』
福井 杉本達也
1 増え続ける死者数・初動が遅かった政府
石川県は1月29日、地震による住宅被害が 4万3786棟になったと発表した。断水は輪島市や珠洲市などのほぼ全域で継続し、県全体では4万2千戸、避難者数は 1万4288人、災害関連死15人を含む死者数は238人で、28日に珠洲市の2名の死者を発表するなど災害関連死でない死者数がいまだに少しづつ増え続けている(福井:2024.1.30)。「地震当日から救命救助に当たった自衛隊の報告では、救出した生き埋め者は、2日4人、3日3人、4日4人の合計11人だったと読める。これは、2016年4月熊本地震の16人より少ない。熊本地震の直接死は50人だった。津波と火災による死者はなかったから、すべて生き埋めによる死者だ。生き埋めになったが救出された人の割合は24%(16/66)だった。これと比較すると、能登半島地震で救出された人の割合はわずか5%(11/231)だ。極端に少ない。なぜこれほどの違いが生じたのか“」(早川由紀夫note2024.1.22)。岸田政権は能登半島地震対策の初動対応で、首相が本部長の非常災害対策本部より格下の特定災害対策本部を設置するという決定的誤りを犯した(それとも、能登は過疎地であり、首都圏に影響はないと無視したのか。さらに穿った見方をすれば、能登がどこにあるかも知らなかったのか。)。2016年4月14日の熊本地震では21:26 地震発生、22:10 非常災害対策本部設置22:21 第1回対策本部会議で、安倍総理大臣出席している。ところが今回、政府は自衛隊を、発災日の1日に1,000人、3日に2,000人、4日に4,600人、6日に5,400人と逐次投入した。これは最初から災害の規模を誤認していたからである。4日では発災から72時間を経過し生存率が大幅に下がる。助かったであろう人も死んでいる。
岸田首相は発災後2週間も経過した1月14日に現地視察をしたが、内田樹氏は志賀原発の放射能漏れを警戒していたのではという穿った見方をしているが、そこまで頭が回る政府であればこのような地震地帯に原発などは造らない。首都圏から遠く離れた過疎地ならばどこでもよかったのである。
2 自治体による「緊急消防援助隊」と「対口支援」
発災日の1日夜、消防庁長官が近隣の11府県に「緊急消防援助隊」の派遣を要請し、1,900人が活動にあたった。しかし、道路状況が最悪で、2日に現地入りできたのは、隣県の福井県と大阪市消防局の約60人のみである。4日に1,000人程度となった。阪神大震災後の1995年に制度化されている(福井:2024.1.29)。
珠洲市や輪島市などは職員の多くも被災しており、行政組織としてほとんど機能していない。そこで、能登半島地震からは、「被災自治体ごとに支援役の自治体を割り振る「対日(たいこう)支援」が採用されている。ペアになることで役割を明確にし、やりとりを円滑にする狙いがある。」1月26日現在で1,253人の自治体職員が派遣されている。「『対口』は中国語の『ペア』の意昧で、2008年の四川大地震で内陸部の被災地にほかの地域の省や直轄市を割り当てた仕組みがモデルになっている。」(日経:2024.1.29)。2011年の東日本大震災において、関西広域連合が被災県ごとに分担して職員を派遣したが、2018年に総務省が「応急対策職員派遣制度」として制度化したものである。これによって、応援に入る自治体の買任を朋確にして人員の確保や業務の引き継ぎを円滑にするメリットが得られる(日経:同上)。ただ、今回は、愛知県などの「総括支援チーム」が現地入りしたのは発災から3日目以降で、総務省は初動が遅れたと反省している。断水や停電が続く中、宿泊場所の確保も困難を極めている(福井:2024.1.25)。ちなみに、東日本大震災時に岩手県陸前高田市に入った福井県の部隊の一部は、津波の被害を免れた高台にあるお寺や、盛岡市のホテルから車で三陸沿岸まで通ったが、今回は半島という奥まった地形もあり、そうした対応もできない。医療関係は日赤やDMATなど制度化された組織が独自に動いている。DMATは熊本地震を上回る延べ1,028隊が派遣されている。幸い、医療機関の被災は少ない(日経:2024.1.30)。
ところで、全く影が薄いのが国交省である。衛星通信車・道路補修機械や大量の給水車・港湾局の船など自治体ではとても保有できない機材を多数所有しているはずであるが、全く動きが見えない。いったい、どこで何をしているのか。
3 石川県行政の陥没
石川県は当初、道路事情が悪く、被災地が混乱するのでボランティアは来ないでというキャンペーンを張った。その後、ボランティアを事前登録制としたが、金沢市からバス二台・80名程度を被災自治体に運ぶ程度であり、圧倒的にボランティアは足りていない。
能登から金沢市や加賀市などに2次避難所を設けているが、「馳知事は避難している人に対し、3月に北陸新幹線の敦賀延伸を控え、観光客の受け入れもあることから旅館での避難に一定の区切りが必要になるという考えを示し」た(NHK:2024.1.24)と報道されたように、北陸新幹線が敦賀まで開業するから被災者はそれまでに出て行けというとんでもない発言を平気で行っている。能登は厄介者という意識である。
「多くの大震災では発災から2、3日後までに自衛隊が温かい食事や風呂を被災者に提供してきたが今回は遅れた」、「被災地で起きていることを把握するシステムが機能せず、国や県のトップがこの震災を過小評価してしまった」。「阪神淡路大震災から積み重ね、受け継がれてきた教訓が、ゼロになってしまっている印象だ」と室崎益輝神戸大名誉教授は述べる(ゲンダイ:2024.1.17)。
「この先、東京が、みずから進んで地方を見捨てる、わけではないだろう。」しかし、このままでは能登は「いつの間にか、だれも責任を取らないかたちで、なんとなく、見捨てたことになっていくのではないか。見捨てたことへの後ろめたさもないままに、なし崩しに、予算も人もモノも出さないし、出せない。」(鈴木洋二神戸学院大:プレジデント:2024.1.10)という暗澹たる未来が待っている。
「後藤田正晴元副総理が、阪神淡路大震災直後に官邸を訪ね、村山首相にこう告げたという。『天災は人間の力ではどうしようもない。しかし起きたあとのことはすべて人災だ。政治がやるべきことは、やれることは何でもやるということだ』、この後藤田の『天災のあとは、すべて人災』というのは、まさに大災害の際に、政治が自らにに厳しく課すべき」名言である(ゲンダイ:2024.1.17)。